ラピュタと情操教育

先々週、54歳にして初めて「となりのトトロ」を見た。

夕食後にうっかり寝てしまったので9時40分頃から見たのだが、
とても良かった。

時代背景が分からなかったので金ローのCM中にササっと調べると昭和30年代の田舎らしい。
お姉ちゃんの方が小3なのに母親不在の中で妹のために頑張っている。
そんな状態でトトロやネコバスに出会い、夢のような時間を過ごす。
優しい映画だ。
トトロが大人には見えないということにリアリティを感じた。


そしてその翌週。
これも初めて見る「天空の城ラピュタ」。
寝ないように注意して、最初からちゃんと見た。

ずっと考えていた。
(これは、どこの国の、いつの時代の話だろう?)
(この少年少女は、何歳くらいだろう?)
ウイキペディアで調べようとしたがやめた。
たぶん、俺の知りたい情報の10倍以上のことが書いてあるだろうから。

考えてるのをやめて見たが、別のことを考えていた。
(こんな高い場所で、呼吸は普通にできるのだろうか?)
(空中なのに海賊?)
(その、バルスってのはまだ?)
(11時?まだあんの?)
(滅びの呪文?……呪文?)

要するに、ラピュタには俺は乗れなかった。


人には向き不向きがある。

しかし、俺の「SF、近未来、宇宙モノ、(一部を除く)ファンタジー」への乗れなさは…どうにかならんのか?
…と思っている。
楽しめた方が楽しいに決まっているからだ。


俺は仮面ライダーとウルトラマンを中心として多くの特撮ヒーローものをテレビの再放送で見た世代だが、

ウルトラマンを見て疑問に思っていた。
(なぜ、そんなに大きくなる?)
(ウルトラマンが怪獣と戦う時に壊したビルに人は住んでないの?無人だとしてもビルの修理代はどうなる?)

大きくなるウルトラマンより、等身大の仮面ライダーの方が好きだった。
スペシウム光線という実態の無い攻撃よりライダーキックの方が物理的に確実だとも感じた。

そして小4の頃に「スターウォーズ」のブームがやってきた。「帝国の逆襲」である。
小学生向けの多くの雑誌にスターウォーズに出てくるロボットが載っていたし、友達もスターウォーズの話をしていた。

これは映画館に見に行かねばならない。
子ども向けの「東映まんがまつり」みたいなのを除くと、初めて自分の意思で見に行った映画は「スターウォーズ 帝国の逆襲」である。
1980年、俺は10歳だった。

映画が始まって10分で寝た。
熟睡した。起きたら映画は終わっていた。

10歳の頃には「SFが苦手」というヘキは、出来上がっていた。

(その2年後に見に行った「ロッキー3」はしっかり覚えている。なので最初の映画体験は「ロッキー3」ということになる)


ここから先は、予想と感覚のみで書く。
親や自身の出生について恨むような気持ちは「無い」ことを明記しておく。


俺は母と祖母、双子の兄との4人家族で生まれ育った。
父親については省くが、要するに「大人の男性がいない家庭」で生まれ育った。
あの時代、父親というのはデフォルトがロクデナシだったので父親が最初からいなかったことについては「ラッキー☆」くらいに思っていた。


しかしこの家族構成が、俺のヘキに大きな影響を及ぼしたと考える。

一家に1台しかなかったテレビを通じて、俺の脳に染み込んでいたのだ。

何が染み込んでいたか?

横領。詐欺。
痴情のもつれを原因とする犯罪。
戦後の貧しい時代に巻き込まれるように、主人公が犯してしまった過去の犯罪。

母と祖母が好んで見ていた土曜ワイド劇場、火曜サスペンス劇場。
その中で「高視聴率が取れる」という理由で何度も俳優を変えてリメイクされていたのが、
松本清張原作の小説である。

松本清張は、いや松本清張原作のドラマは女性からの人気が高かったと思う。
女性が主人公の話が多い。
読んでないが、数多くある短編も入れるとそうなのだと思う。
「ゼロの焦点」のように女性の悲しき過去から生まれた犯罪を描いたものが多い。
母と祖母が好んで見ていたのだからそうだ。

あの「家政婦は見た!」も原作は松本清張の「熱い空気」という短編小説である。
それを土曜ワイド劇場が『松本清張の熱い空気 家政婦は見た! 夫婦の秘密「焦げた」』という2時間ドラマにして好評だったので後に連続ドラマになったらしい。
最初のドラマ化から市原悦子が家政婦を演じている。
(この最初の「家政婦は見た!」を数年前に見たが、市原悦子がマジで悪くて、子どもが持っている外国製のマッチでジジイの耳かきをさせて、ジジイの耳毛を燃やしたりしていた)


たぶん、広義の意味の性癖=ヘキは小学生になる前、5〜6歳の頃には核の部分が出来上がっていると思う。

そしてそれは、後で変えようとしても難しいのだ。

俺には(読んでないのに)松本清張が染み込んでいる。

推理小説家としての松本清張ではない。「犯人はなぜ罪を犯すことになったか」という悲しい人情劇の原作者としての松本清張が染み込んでいる。

「ワタシの人生、なんでこんなことになったのかしらネェ…」
包丁で刺殺した男の横で女は煙草をふかす。

そんなのが染み込んでいるから「バルス!」に対して(滅びの呪文…?なぜ光が?)などと思ってしまうのだ。


いや、松本清張ドラマを子どもの横で見てもいいとは思う。

でも同時にアンパンマンやディズニーなど、もっと夢のあるものを…


「夢」は重要だ。

夢が無いと飛行機も空を飛んでないし、今、手に持ってるスマホも誕生していない。

夢が無いと「ヒーローになって人を救うより、横領した方が確実では?」などと考えるようになる。


まあ、いい。過ぎたことよ………

余談だが、広義ではなく狭義の性癖=性的嗜好、どんな異性を好きになるかという大まかな好みも5〜6歳までに核の部分は出来上がっているように思う。

それは幼少期に触れたアニメや絵本、イラストなどで決まるのかもしれないが、
それをコントロールしようと思ってもムリな気がする。

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