あるヤクザの末路
※現代では汚いと思われる昭和の原風景と、虫の描写があります。苦手な方は読まないでください。
急に思い出したので書く。小学5年生の頃の記憶。
この話は自分の母や祖母、兄にも言ってない。妻や友人・知人も含め、誰にも言ったことがない。
以前にツイートした気がするが、ちゃんとアウトプットするのは初めてのことになる。
小学5年生の頃(1981年)、初めて間近で浮浪者を見た。
ある日の夕方、遊びに行こうと玄関を開けると、家の前の道にボロボロの服を着た浮浪者が倒れていた。
年齢は、爺さんにもオッサンにも見えた。
筑豊の田川郡にある田舎町だったので、今考えると珍しいことではなかったのかもしれない。
しかし、突然の浮浪者である。
ビックリした。
ビックリしたが怖くはなかった。
その浮浪者は死にそうだったから。
襲ってはこないだろう。
もし自分の子どもにこの話をされたなら「死にそうなフリをしてる不審者かもしれないから、気を付けなさい」と言うかもしれない。
だが、11歳の俺には(本当に死にそう)と感じた。
その倒れた浮浪者は、震える手でワンカップ大関の空き瓶を俺に差し出し
「水を…」
と言った。
その浮浪者の、ワンカップ大関を持つ手の小指が欠けているのを見た。
それがどういう意味なのか、テレビドラマからの情報で知っていた。
夕方の再放送で偶然見てしまった、Gメン75の(俺のトラウマ回である)「アルコール漬けの小指」という回である。
ヤクザの小林稔侍がカタギの中学生の小指を切断するシーンがある、衝撃的な回だ。
ヤクザと関わってはいけない、ということを教える教材としてはかなり優れたものだが、あまり人には見せたくない回。
関わってはいけない。
でもこの人、死にそう。
その小指が欠けた浮浪者からワンカップ大関の空き瓶を受け取った。
そのワンカップ大関の空き瓶の中には、ナメクジがいた。
玄関の横にも水道の蛇口はあった。
しかし、この人に外の水道の水を飲ませるのはいけない、と思った。
ワンカップ大関の空き瓶を持って家の中に戻った。
台所の水道は使わなかった。
洗面所の水道を使った。
欠けた小指とナメクジ。
11歳男子が混乱しても仕方のない情報だ。
その空き瓶の中にいたナメクジを洗い流したのか、覚えていない。
台所ではなく、洗面所の水道を選んだ時点で「自分は、差別をしている」と感じていた。
しかし、外の水道ではなく、家の中の水道を選んだのは偽善だったのだろうか。優しさだったのだろうか。憐れみだったのだろうか。
その浮浪者に水を入れたワンカップ大関の瓶を渡した。
浮浪者が水を飲んでる映像の記憶は無い。
その水の中にナメクジがいたままだったのか、分からない。
俺の次の記憶は、玄関の反対側の窓から見た、足を引き摺りながらゆっくり歩く浮浪者の姿と、その浮浪者が見えなくなるまで見ていた11歳の俺だ。
俺は何も被害を受けていない。
知らん人だ。
しかし、
なんとも言えない、感じたことがない感情が11歳の俺の中にあった。
現在の俺の少ない語彙からあの感情を表すとするならば、「哀しい」だろうか。
もしあの時にスマホがあったなら、俺は足を引き摺りながら消えてゆく、浮浪者の動画を撮っただろうか。
絶対に撮らない。
技術的には可能でも撮ったらいかんものがある。
この話を母にも祖母にも兄にも友達にも言わず、記憶に蓋をして忘れようとしたのは、見てはいけないものを見てしまった、という気持ちからだろう。
記録なんて残そうとは思わない。
あの浮浪者は元ヤクザなのか、ヤクザとして失敗してあの姿になったのか、消えゆく浮浪者を見ながら考えていた。
暴対法も無い、ヤクザがヤクザとして恐れられていた時代、映画等でカッコよく描かれていた時代。
そういうフィクションでは描かれてなかった、ヤクザの末路を11歳の時に見た。
という、話です。
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