病死
ガンで死ぬ人もいれば、ガンになっても生きている人もいる。
例えば、俺の双子の兄は大腸ガンで死んだが、同じ大腸ガンになった俺は今も生きている。
「ガンという病気は、死に至ることもあります」
という病気の説明に異論を唱える人は、まずいないと思う。
これが精神病(精神疾患・精神障害)になると話が違ってくる。
「精神病は、その病状として、死に至ることもある病です」
という病気の説明に対し「???」となる人は多い。
精神病は「脳の中で何かがバグを起こしている」という仕組みである。
そう、22年に渡り精神病(鬱病→双極性障害)の治療を続けている俺は思うのだが、
その説明は、理解され難い。
ガンは「内臓に起こるバグ」である。
しかし、同じ「脳という内臓」にバグが起こる精神病は
ガンなどの病気と同じように捉えにくい。
なぜか。
まず第1に、精神病で起こる脳内のバグは、レントゲン的なものでは(現代の医学では、まだ)見えないからだ。
レントゲンでもCTでもMRIでも見えない。
頭部を割って直接バグを見て、そのバグを切除したりする外科手術もない。
そしてもう1つ。
精神病の「病状」である死は、
ほとんどの場合、自死という形になるから。
「脳のバグ」が「心のこと」に入れ替わる。
医療関係者ではない一般人は、
「ガンなどの病気のこと」については全く分からないことを認めるが、
「心のこと」については、「ある程度分かる」と思ってしまう。
自分にも心があるからだ。
精神病の病状の1つとして「自死」がある。
人の心が無い、冷たい言い方になってしまうかもしれないが、
死因が自死であれ、
その人が精神病を患っている場合、
その死は、「病死」である。
俺は目の前で兄がガンで病死するのを見た。
俺にできることは無かった。
ただ、この死が「精神病の末の自死」であった場合、
「俺にできることがあったのではないか」
「あの時、ああしとけば、こう言っておけば、死は防げたのではないか」
と思っていただろうと思う。
自分を責めていただろうと思う。
でも結局、どちらであっても、できることは無かったのだ。
ガンであれ、精神病であれ、
病気の症状として死に至った場合、
それは「病死」だからだ。
余談。
俺は双極性障害という精神障害だが、
今のところ自死という選択肢は無い。
鬱病→双極性障害という病歴だったので、病状として過去に何度も致死念慮はあった。
しかし、今はその選択肢は無い。
理由はハッキリしている。
10年前に兄が死去し、
「親より先に子が死んだら、その後、どうなるのか」
を身を持って知ったからだ。
毎日、母親が泣きながら電話をかけてきた。
1回の通話時間は3時間以上。
母親のその泣きながらの話を聞く相手は、俺しかいない。
俺しかいなくなった。
子が親より先に死んだ。
母親はその原因を誰かのせいにしたくて仕方なかったようだ。
ガンによる病死なのに、である。
〇〇が悪いとか、あの時〇〇しなければとか、
果ては〇〇が殺した、とまで言った。
論理は全て破綻していたが、全てを肯定してウンウンと聞いた。
ウンウンと聞いていたが、俺もキツいので「もう止めてくれ」と怒って電話を一方的に切ることもあった。
それでも翌日には母親は泣きながら電話をかけてきた。
毎日、3時間以上。
それが半年ほど続いた。
兄の死から1年が経過する頃までに3日に1回、1週間に1回と、
母親からの電話の頻度は減っていき、
3年が経過した頃には母親からの泣きながらの電話は、無くなった。
そういうことがあり、
母1人子1人になった10年前から
俺は母親より先に死ぬという選択肢は無くなった。
死に対してのボンヤリとしたあこがれも無くなったし、
「死は救済」とも思わなくなった。
精神病の治療で自分に合う薬が12年前に見つかり、双極性障害の病状が安定しているという要因もあるが。
俺自身が大腸ガンになった時は、1年以上、母親には伝えなかった。
「再発の可能性は1%以下」ということがハッキリしてから伝えた。
兄の奥さんや子どもには伝えていない。
同じ大腸ガンでありながら、兄は病死し、俺は生きているからだ。
いつか伝えることになると思うが。
今はまだ………