腹が減るということ

食べ物の話って結構楽しくできるんだな?
ということに最近気付きました。

楽しいというか、アツくなれるんだな?と。

アレは何故?…と考えると、

腹は、毎日減るから。

だと思います。


俺は夜、眠れない時にnoteを書く。
特に、睡眠薬を飲んでもスッと眠れず、
頭の中の思考グルグル・スパイラルが止まらない時、
「やっぱ眠れねぇ!note書こう!」
と、一旦完全に寝に入ったのにわざわざ起きて書いてる。

俺のnoteの投稿時間が深夜なのはそのためです。

noteを書くことは、俺の睡眠のためであって、それ以上の意味は無い。

もう開き直って「#粒あんウンチク」や「#粒あん思い出話」というタグをつけて過去の話に振り切って書いてる。

学術的なことに興味は無いので、
テーマ・話題としては音楽や映画など、エンタメのことについて書いてる。

映画については省く。


たぶん、俺が人生で一番、時間とお金を費やした趣味って音楽だと思う。
ギターをやってた関係もあり。
音楽を聴くにしても、演るにしても。

でも今は…
ギターはもう何年前だろう…?…7年くらい前?
弾かなくなって全部手放した。

高校生の頃はギター弾いてて気が付くと朝で、まだ弾いていたいから学校に連絡もせずに休んで弾き続けてたあのギターを?
…と書き出すと唖然とする。

聴く方にしても
マジでNO MUSIC, NO LIFE、
音楽が無い人生、いや「人生」なんて考えてなかった
音楽が無い時間が耐えられなかった。
1日何時間、音楽を聴いてたとかそういう次元ではなく
可能な限りずーっと。
あと何も買わないのにタワレコやツタヤ・ゲオのCDコーナーをブラブラして、
その間、ずっとワクワクしていた。

しかし、今はもう、音楽を聴くことは殆ど無い。

音楽に対して、腹が減ってない状態なのだ。

しかし俺は、
noteに昔の音楽についてのことを書くことが多い。
音楽を聴いてないのに、だ。


音楽はエンタメの中で一番「感覚的なもの」だと思う。

なぜ自分がその音楽を好きなのか、それを言語化するのは本来、とても難しい。

あのアーティストの音楽はどうだ、とか、
果ては音楽を分類したりだとか、

終わってんな、と、時々(自分で)思う。

音楽を求めているならば、音楽に対して腹が減っているならば、

音楽について語る暇があったら、
音楽を貪るように聴いているはずだ。

なんか分からんけど、この音楽、好き!
それが音楽に対する、本来の向き合い方だと思う。 

もう、現役ではないのだな…
ということをたまにふと、思う。

あることに対して、新鮮な気持ちで貪るように摂取できなくなると、

もう腹が減ってない状態になると、
過去の自分の中に溜まった
莫大なウンチクや思い出話を放出するようになる。

音楽に対しても。

理屈抜きで音楽を貪るように聴いている、「現役」の方々は不愉快になるかもしれない。

…と、割と冷静な頭で今は書いているのだけど、

たぶんこれからも、(過去の)音楽の話を書くと思います!

そこは、俺の睡眠第一主義に免じて、
目を瞑ってください。


音楽でも、映画でも、恋愛でも、性に関することでも、

論理ではなく
「理屈は分からないけど、自分はコレが好き!」
と貪るように摂取してる時って、
そういう「現役」の時って、

とても幸せだと思う。


ただ、最近、エンタメ全般に対して夢中になることなど無い俺を、

夢中にさせてくれた、
時間を忘れて没頭させてくれた、
「地面師たち」というドラマには本当に感謝してる。

夢中になって没頭できた!
という体験をまさか54歳になってできるとは。
この俺が?
何故?
あのドラマは何故、感性が死んだこの俺を夢中にさせて没頭させてくれたのだろう?

…と考えるが、
その理由は全く分からない。

あんな体験をさせてくれた作品に対して
「分析」や「考察」をするのはやめておこう。

それは、やめておこう……


教養?
そんなことは、どうだっていい。
10〜20代の頃、夢中になって貪っていた時に
「教養」なんてことを考えてたか?

教養が云々。
そんなことを研究者でもない一般人が言うってことは、

腹が減ってないということ。
もう現役ではないということ。





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