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〝愛され方〟を知れなかった私達【ACと向き合い続ける人生②】

※こちらに記載する内容は、全て私Lily Clownの実話となっております。前回の①でも記載しましたが、話の内容がとても重たいです。影響を受けやすい方は、読むのをやめて、心をリラックスさせることを優先にしてください。※

↓前回までのお話はこちらです。↓


家族のほとんどが、「精神的」に苦しんでいる家庭。
それが、我が家の当たり前な光景でした。

そんな家庭環境で育ったために、言葉のひとつひとつを気を付けなければ、家族が何を起こすか分かったものではありませんでした。

私が小学1年生の頃には、母は「鬱病」を発症しました。原因は、職場でいじめにあっていたのにも関わらず、家庭の為にと無理をしてまで、仕事を続けていたのが原因でした。

その時の母は、バラエティー番組を見ていても無表情で、母が「笑った顔」は1度も見た事がありませんでした。

当時の私は「どうしてお母さんは笑わないの?」と、純粋な気持ちで問いかけたことを今でも覚えています。

けれど、今振り返れば母が「鬱病」を発症してしまったのも、自分を支えてくれる(認めてくれる)存在がいない。というのと、幼少期から自分を褒めてくれる人が居なかった。というのが、自分を卑下させてしまう大きな原因であったのではないかと思います。

つまり、愛されて来なかった人は、人への愛し方も分かるはずがないのです。

現に、祖父の「アルコール依存症」と「統合失調症」そして、過干渉過ぎるほど母のプライベートまで管理していた環境が嫌になった母は、貯金をして家出を計りました。(現在でいう毒親という言葉が合うほど、酷い環境でした。)

知らない土地でもしっかりと働いてはいましたが、今まで「支えてもらった経験」がなかった母は、すぐにホームシックになってしまいました。

さらに、職場で出会った男性(後に私のお父さんとなる人)と交際を始めますが、その男性の育った環境すらも劣悪で(父親はDV、母親はてんかん持ちで、金遣いが荒い)、互いに〝愛〟というものをしっかりと分からないまま、なんとなく「この人には私(俺)が居ないと」といった『負の共依存』の関係を築いてしまったのです。

結婚後、兄が産まれましたが、私が産まれる前まで、父は兄へ暴力を振るっていました。自分が気に食わなければ手を出していい。それは教育だからと、兄の感情を押し殺させるような育て方をしていました。そうなってしまったのも、結局のところ、父も自分の父親からそのように育てられてしまったからなのです。

子供は悲しくも、最初に出会う大人は〝親〟です。そして、良い意味でも悪い意味でも『親の背中を見て育つ』のです。

結局、父とは離婚しましたが、母も愛された経験がないため、「自分は親のようにはならない」と、口癖のように言っていましたが、残念ながら向き合ってもらえたと、私は感じられたことはありませんでした。

理由は、このDVが原因で、母は無自覚のうちに兄のことばかりを優先に動いてしまっていたためです。

兄が「これをやってみたいな」と伝えると、「いつか出来るようにするからね」と約束し、叶えてあげる。
兄が「今日はこれが食べたい」と言えば、兄中心の夕ご飯が作られる。
兄が「この先のことを深く考えてなかった」としても、「自分のやりたいことを選べるのならいいんじゃない」と肯定する。

これが、異常なほど母親は、兄へ愛情が向いていました。
代わりに私はと言うと、

私が「これをやってみたい」と言えば、「お金が無いから無理」と断られ、
私が「これを食べたい」と言えば、「あんたは偏食が多いから嫌だ」と作って貰えず、
私が「目標のために、これを頑張りたい」と言えば、「あんたが出来るの?」と、否定から返される。

きっと、母親にはこのような意識は、全くなかったと思います。
ですが、身近にいるからこそ、私は誰よりも〝兄のことを心配している〟という過保護な気持ちが、幼い頃から強く伝わっていたのです。

そんな環境下でも、私は「これが〝普通〟であって、世間が言う〝家族愛〟というものなんだ」
「私たち家族は〝愛されている〟んだ」と、信じて疑わなかったのでした。

ー続くー

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