母という人
親ガチャなんて言葉が散見されるようになって数年が過ぎる。
私はどうかといえば母は間違いなく大当りだ。父に関してはまぁ置いておこう。ハズレでは決してないのだけど、母とは比べものにならないのだ。
いわゆるステレオタイプ通りのやさしいお母さんが私の母だ。
少しポッチャリでいつもニコニコ笑っていて、怒ることは稀。愚痴は言わない。ひまさえあればお花の世話をしていて、夏にはワンピース。冬にはマフラーやセーターを作ってくれる。昔ながらのやさしいお母さんだ。
料理も上手で、人当たりもいい。私のお母さんだったらいいのに。よくそう言われた母は私の自慢だった。
まさに良妻賢母。大和撫子。そんな人だ。母なくして実家は回らない。
そんな母に育てられた私は母のような母になれなくて苦悩した時期がある。
いつでも機嫌がいい。
ここですでに無理。
子供のことを常に観察する。
無理無理。
母になって母が超人だと知るのに時間はいらなかった。なんでそんな母から私のような神経質で理屈っぽい人間が生まれたかといえば、間違いなく父の血だ。
閑話休題。
そんな母しか知らないから小説で母親を書こうとすると、そんな母親いないレベルの母親が出てくる。時代も時代で専業主婦である母も減っているだろう。だが、実家に帰れば、そんな母が実在している。
母は理想の母であると同時にちょっと、いや、だいぶ変わった人だ。
なめくじに塩を盛って観察したり、謎の創作料理に精を出したり…
だが、この分野でも母は才能を発揮する。
なめくじは少量、あるいは温い塩では復活することを突き止め、創作料理は一回目はまずいが二回目はおいしい。
我が母ながら設定盛り過ぎでは?
因みにミステリー好きでグロい話も好物。今で言えばおたくだがコミュ強なため母なくして限界集落である地元の小さな集落が回らなくなっている。
つまり、趣味の話も付き合ってくれるし、提案もくれる。クレイジーな母だ。こうして書くと母凄すぎでは?
そんなわけでステレオタイプ通りのやさしい母親しか書けないけれど、謎の属性を盛っていいと思っている私が完成した。仕方ない。母がすごいから仕方ない。
高齢の母にまた手土産を持って遊びに行こうと思うのでした。
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