夜色椿

毎日小説を書いている専業主婦です。 かわいい娘と天然な夫と三人暮らし。 自分の気持ちを…

夜色椿

毎日小説を書いている専業主婦です。 かわいい娘と天然な夫と三人暮らし。 自分の気持ちを書く練習中。

最近の記事

父と書いて道路が目的地の男と読む

父はとにかく車を走らせることだけが趣味の男だ。 目的地があるとか、旅をのんびり楽しむとか、そういうことではない。 とにかく車を走らせたいのだ。だが、家族がいる以上、名目がいる。 俺が行きたいとは言わない。家族の誰かが行きたいと言ったともやもやっとした理由を持ってくる。 姉がおーい竜馬にはまったと見るや高知へ。 祖母が金毘羅山に行ったことがないと呟けば香川へ。 似たような曖昧な理由で日光や岐阜へも連れていかれた。 一番遠かったのは大分だったらしいが、当時二歳の私は覚えていない

    • ガンと偽薬

      末期ガンで亡くなった祖父が最後に飲んでいた薬が偽薬だったと知ったのは小学生の時分でした。 祖父は私が生まれた年に亡くなったので写真でしか顔を知りません。けれど、祖母や両親、伯父伯母の話にちょこちょこ顔を出しました。 おにぎりが好きで最期の日も食べたこと。お風呂が好きで亡くなる日も入ったこと。おしゃれが好きで、お酒が好きで。酔っぱらうと伯父や父同様、説教をしたこと。威張りんぼで頑固者だけど憎めない人だったと大人たちは口を揃えました。 そんな祖父はガンに侵され、もう手の施しよう

      • 【閲覧注意】猫を山に帰した話

        ※猫を捨てた話です。 ※私自身は猫が好きですが、当時はまだ子供でどうすることもできませんでした。 ※批判は多くあると思いますが、それは私ではなく、無責任に命を預かった人たちに言うべきではないかと思います。 ※生き物を飼うなら最期まで責任を取りましょう。 これは山奥の寒村での話です。 私の子供のころの話なのでもうずいぶん昔のこと。 近所のおばさんが猫を飼っていました。とても可愛がっていましたが、『かわいそうだから』避妊手術はしていませんでした。 猫は妊娠し、うちの隣のお家の

        • 大学に行きたかった話

          地元は田舎だと再三書いてきた。 電車は一時間に一本来ればいい方。走るのも遅く、単線だから行き違いでさらに遅い。車で片道一時間が電車だと二時間近くなる。 近所の歩いて行ける高校はおバカ高校だった。 入試で二百点取れれば入れると当時は言われていた。 私は比較的頭が良く、そこではない高校に行くべきだと教師からも姉からも再三言われていた。 だが、他の高校は遠い。前述の電車ではるばる行かなければならない。 姉が朝六時に登校し、部活がなくとも七時近くならないと帰らない生活をしているの

        父と書いて道路が目的地の男と読む

          味噌を作る

          実家では毎年、翌年に食べる分の味噌を作る。 大豆を煮て、ミンチにして、麹を入れて、一年寝かせる。 ごくごくシンプルな田舎味噌だ。 かつての手動のミンサーは集落での共同購入品で昭和の初期の年号が書かれていたから、伝統的に味噌を作っていたのは間違いない。 味噌煮は足掛け二日かかる大仕事で前の晩に大豆をひやかし、翌朝早朝から大きな釜でぐらぐらと煮立てる。 やわらかくなったら比較的新しい臼に大豆をひたすらミンチしていく。手順に関しては一般的な味噌作りとなんら変わらないだろう。

          味噌を作る

          いい人、優しい人

          ご無沙汰しております。生来筆不精なものでこういったところは放置しがちです。 私はよく優しいとか、いい人だとか、話しやすいと言われます。 淡泊で冷たいと夫は言いますし、私自身もそう思っています。 では、なぜそういう評価がつくのか。それはきっと私のサービス精神から来るのだろうと思います。 もしくは嫌われたくないと怯える臆病な心です。 この人にはこういうと喜ぶだろう、怒るだろう。そういうことを察するのが人よりいくらか早く、相手が気持ち良いように立ち回るのがクセになっています。

          いい人、優しい人

          普通

          普通ってなんだろう。 長いこと私の中にある問いで、答えは人の数だけあるのだろう。 でも、普通は純然と世界に存在していて普通であることを求められる。普通がはっきりしたものではないのに。 子供のころから変わっているとよく言われた。 周りと同じように普通でいたくて努力するほど、普通から離れた。 ずっと、なんとなく浮いているのが私だ。 中高の頃にはそれが無性に悲しくて、怖くて、必死に普通を取り繕いもしたけど、無意味だった。 私はみんなと同じ普通になれなかった。 進学して和裁

          母という人

          親ガチャなんて言葉が散見されるようになって数年が過ぎる。 私はどうかといえば母は間違いなく大当りだ。父に関してはまぁ置いておこう。ハズレでは決してないのだけど、母とは比べものにならないのだ。 いわゆるステレオタイプ通りのやさしいお母さんが私の母だ。 少しポッチャリでいつもニコニコ笑っていて、怒ることは稀。愚痴は言わない。ひまさえあればお花の世話をしていて、夏にはワンピース。冬にはマフラーやセーターを作ってくれる。昔ながらのやさしいお母さんだ。 料理も上手で、人当たりも

          母という人

          骨折しました

          玄関の階段で足を捻って一段落ちただけだったのに足の小指の踵に近い骨が折れまして。 そんな簡単に折れるものかと心の底から驚きました。 肥満だったからよくなかったのかなとか、色々考えましたが、折れてるものは折れてるので人生初のギプス生活中です。 慣れない松葉杖に四苦八苦しながら、どうにか日々をやり過ごしています。 そんな日々で夫と娘の助けはかけがえのないものです。 私は台所に誰かが入るのが許せないタイプで夫が台所に立つことはほとんどありませんでした。 私が専業主婦なの

          骨折しました

          ふるさと

          我が地元は某キャンプ漫画の舞台になったことで一躍脚光を浴びた。 だが、実質は寺がたくさんあるだけの小さな寂れた町だ。 アニメでは少々都会に描かれていたが、実際は野生動物の跋扈するド田舎である。 電車が停まる理由が鹿や猪と衝突したからというほどだ。 ウサギやタヌキ、リスもいればキツネもいる。 当然、熊もいた。 熊が出れば送り迎えしてくれたかといえば否である。 父は厳しかった。姉と私のランドセルにカウベルをくくりつけ、熊避けだという。 結局、熊と遭遇することはなかったが、

          魔法使い

          以前、長く連れ添ってきたオルディアというキャラクターについて書いたのですが、彼は私の物語の影でずっと暗躍していました。 長編になるとそれが顕著で彼が人間に優しくよりそう時代、ただ見ていた時代、どうにか繋ぎ止めようとしていた時代とわかれています。 私の初めての本格的な長編小説『宝石の子』は産業革命期でオルディアは人間に寄り添うのか、傍観者となるのか決めかねています。 それでもある程度の平和を維持したい。そんな気持ちの影響か、彼の側に存在する妖精と呼ばれるような不思議は急速に遠

          魔法使い

          読むこと

          私は小説が読めない。 書いてるのに?と言われても理由はわからない。 昔はとにかく小説が好きだった。図書館が私の住家だった。 けれど、いつしか私は小説が読めなくなった。 時間がなかった。 気分じゃなかった。 言い訳ならいくらでもある。 でも、それだけなら不意と本を買って開けば読めるはず。 私は小説が劇物だと知っている。小説の中に登場人物の人生が記されている。価値観、生死、信条。 多くのものを小説にもらった。 泣いて笑って怒って。 それが怖かったのかもしれない。 精

          読むこと

          お姫様

          子供のころ、私はお姫様になりたかった。 将来の夢は?と聞かれてお姫様と元気に答えていたのだ。記憶にある限りでは小学校低学年までは言っていた。 もはや筋金入りで母も椿はお姫様になるんだもんねとよくレースとフリルのたくさん付いた服を用立ててくれた。 用立てるの中に作るが入ってくるのは母の洋裁の技術が遺憾無く発揮されたからだ。 もちろん購入したもの、お下がりも少なくなかった。 私には従姉妹が七人いて、下から二番目だ。必然的によそ行きだったふりふりの服が生き残って私のところまで

          オルディア

          彼は私がまだ中学生だった頃から一緒に歩んできた。 その頃はまだオルディアではなく、エメリオという名だった。 彼は虹の城の主にして虹の魔法使い。不老不死で金の髪をなびかせ静かに佇んでいた。 魔法を使うことで記憶や感情を失っていくという難しい設定をアイデンティティにする彼は高校生の私の手には余った。 女神との恋に破れ、幽閉され、あまつさえ愛する少女を守り切れずに死なせてしまった。 若さゆえにそういったものを好んでいたのも否定はできない。 もう一度、彼の物語に取り組んだ

          オルディア

          故郷

          以前にもどこかに書いたかもしれないが、私の実家はド田舎にある。 小さな小さな集落で家が十軒しかない。いわゆる限界集落というものだ。ここ一年で二軒空き家になったのでもう八軒しか人が住まっていない。 六十代になった父が地元の若い衆と呼ばれているほどに高齢化も深刻でこれからどんどん戸数は減っていくだろう。 そんな地元で、私の通学路は山道だった。整備されている登山道の方が広くてきれいだった。舗装などなく。踏み固められただけの泥道。秋になればどんぐりや小石の上に木葉がつもり、よく

          叔父の本棚

          一番最初のnoteで母の本棚に触れた。 今回は母の弟である叔父の本棚の話をしようと思う。 私が子供のころ、叔父は母方の実家に暮らしていた。だから春夏冬の休みのたびに遊んでもらっていた。 そんな叔父の本棚は階段を上ってすぐの廊下にあった。 祖父母の家は狭くて独特の形をしており、バンドマンの叔父は部屋をギターやアンプで埋め尽くしていたから置く場所が他になかったのだろう。 叔父の本棚はぎゅうぎゅうでぎっしり並んだ本の上に横倒しになった本が詰め込まれているといった有様だっか

          叔父の本棚