故郷

以前にもどこかに書いたかもしれないが、私の実家はド田舎にある。

小さな小さな集落で家が十軒しかない。いわゆる限界集落というものだ。ここ一年で二軒空き家になったのでもう八軒しか人が住まっていない。

六十代になった父が地元の若い衆と呼ばれているほどに高齢化も深刻でこれからどんどん戸数は減っていくだろう。

そんな地元で、私の通学路は山道だった。整備されている登山道の方が広くてきれいだった。舗装などなく。踏み固められただけの泥道。秋になればどんぐりや小石の上に木葉がつもり、よく滑り、春先には筍を掘る猪のせいでぐちゃぐちゃになる。雨の日は言うまでもない。

そんな山道を私は十二年間使っていた。小中はスニーカーだったからよかったが、高校からは意地を張ってローファーを履いたばかりに転んで膝をギタギタにした。

ローファーばかりでなく、私は運動神経が鈍い。そんな山道を走って下れば転ぶのは自明の理だったが私はとにかく朝ゆっくりしたかった。ぎりぎりまでごろごろして、朝ごはんをかき込み、走って登校する。誰にでも経験があることではないだろうか?

話を戻そう。

山道は当然野生動物とも道を共有していた。ニホンザルやリスとはよく遭遇した。珍しいところでキジなども見たことがある。カエルはだいたい十センチ以上ある大きなものと遭遇することもあった。

シカやタヌキ、キツネ、クマは夜に車で遭遇したことはあるが、歩きではない。活動時間が違ったからだろう。

そんな山道は歩く人がいなくなり、徐々に荒れて行き、今は完全に自然に返ってしまったようだ。動物達は活動範囲を広げ、人間が活動範囲を狭めている。それが我が地元だ。

庭にまでシカが入り込み花壇の花を食べると母が嘆く。茶畑も新芽をシカが食べるから、芋は猪が掘るから、椎茸や栗は猿が持ってくから…そうして畑をやめる人が増え、地元はゆっくりと山に飲み込まれている。

姉が実家を守ると言ってはいるがいずれ誰もいなくなり、ただ廃屋だけが残る土地になるだろう。寂しいとは思えど、縄文時代から人の住むというかの地の山神がゆっくりと木葉に埋もれて小さくなって行くのを見るにつけ、それが自然と思えてならない。

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