【閲覧注意】猫を山に帰した話
※猫を捨てた話です。
※私自身は猫が好きですが、当時はまだ子供でどうすることもできませんでした。
※批判は多くあると思いますが、それは私ではなく、無責任に命を預かった人たちに言うべきではないかと思います。
※生き物を飼うなら最期まで責任を取りましょう。
これは山奥の寒村での話です。
私の子供のころの話なのでもうずいぶん昔のこと。
近所のおばさんが猫を飼っていました。とても可愛がっていましたが、『かわいそうだから』避妊手術はしていませんでした。
猫は妊娠し、うちの隣のお家の屋根裏で子供を産みました。
猫は初めてのことに育児放棄しました。
何日も弱々しい鳴き声が聞こえてきました。
子猫はとうとう屋根裏を出て、うちの裏庭の畑に出てきました。
目も空いていない三匹のかわいい子猫でした。
母が拾い集めて箱に入れると必死に威嚇をしていました。
数十年たった今も良く覚えています。
本当は忘れてしまいたい出来事なのにずっと覚えていて胸が痛むのです。
白黒のぶち、グレーのしましま、茶虎。
必死に鳴いてた顔を覚えています。
本当に小さくて、必死に生きていました。
猫の飼い主のおばさんは知らんぷり。いなくなっていた愛猫が帰って来たのを喜ぶだけ。妊娠には気付いていたようですが、対処する気はなかったようです。
祖母は言いました。
「山に帰さだぁ」
人里から離れたかつての水源地に置いて来ようと祖母は言ったのです。
まだ八つか、九つだった私にも、それが猫を捨てること、死なせることであるとわかりました。
『かわいそうだから』飼いたいと私は言えませんでした。
まだ目も開かない子猫。
自分の力で食べることもできない子猫。
それを育てることができるとは自分でも思えませんでした。
私は祖母と一緒に子猫を山に帰しに行きました。
箱に入れたまま大きな木のうろに置いてきました。
近くにわき水がありましたが、食べるものは当然ありません。
狐や熊もいる山奥です。鷹や鳶、烏ももちろんいます。
子猫はきっとそういった動物に食われたでしょう。
その日、私は泣きませんでした。
泣き虫で泣いてばかりいる子供だったけど、泣けなかったんです。
子猫たちは必死に鳴いていたのに生かしてやれないんです。
泣くことさえ傲慢に思えました。
あの子猫たちのことを忘れはしないでしょう。
忘れたくても忘れられないんです。
命に対する責任を果たさなかった大人がいた。
その結果で傷付き、今も引きずってます。
近所で猫の餌付けをされている方がいます。
最近生まれた子猫が隣のうちの前で鳴いていました。
迷っているうちにどこかに行ってしまいましたが、長くはないでしょう。
車や烏といった脅威はどこにでもある。
ペットとして身近だからこそ餌付けをしてしまう人がいる。
気持ちはわかります。かわいいから。かわいそうだから。
それで命の責任は取れますか?
『かわいそうだから』野良猫に餌をやるのは正しいことですか?
『かわいそうだから』避妊手術もしくは去勢手術をしないことは正しいことですか?
『かわいそうだから』で生まれた命に責任は取れますか?
知らんぷりするなら手を出さないで欲しい。
こんなこと書きたくなかった。
あんな思いしたくなかった。
でも、あんな思いをしたから、思うんです。
無責任な『かわいそうだから』は罪だって。
愛してるなら責任を取ってください。
それがペットを飼う、命を預かるってことではないのですか?
きっと届けたい人には届かないのでしょうけど、私のメッセージが伝わることを祈ります。
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