父と書いて道路が目的地の男と読む

父はとにかく車を走らせることだけが趣味の男だ。
目的地があるとか、旅をのんびり楽しむとか、そういうことではない。
とにかく車を走らせたいのだ。だが、家族がいる以上、名目がいる。
俺が行きたいとは言わない。家族の誰かが行きたいと言ったともやもやっとした理由を持ってくる。

姉がおーい竜馬にはまったと見るや高知へ。
祖母が金毘羅山に行ったことがないと呟けば香川へ。
似たような曖昧な理由で日光や岐阜へも連れていかれた。
一番遠かったのは大分だったらしいが、当時二歳の私は覚えていない。
本来であれば新幹線や飛行機を使う距離を絶対に車で行く。ひたすら走る。
幼児二人を連れての九州行は正気の沙汰でなかったと母は遠い目をする。
距離が長すぎる。深夜出発当たり前の父との旅は家族には常に不評だ。
母だけがはいはいと着いていく。さすが父と付き合って結婚を決めた女である。

そんな父は六十も半ばなのだが、数年前には念願の北海道一筆書を果たし。今年は孫にねだられて福井。夏は思い付きで恐山に行く予定だという。
もはや三百キロ圏内が近くに分類される。娘としてもちょっとわからない。

七十を過ぎたら免許を返納すると言っているが、まだまだ現役で走り続けそうだ。
父の人生の総走行距離は何千キロになるのか想像もできない。

父は運転が生業の職業ではないので、職業にしている方には負けるでしょうが…

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