大学に行きたかった話

地元は田舎だと再三書いてきた。
電車は一時間に一本来ればいい方。走るのも遅く、単線だから行き違いでさらに遅い。車で片道一時間が電車だと二時間近くなる。

近所の歩いて行ける高校はおバカ高校だった。
入試で二百点取れれば入れると当時は言われていた。
私は比較的頭が良く、そこではない高校に行くべきだと教師からも姉からも再三言われていた。
だが、他の高校は遠い。前述の電車ではるばる行かなければならない。

姉が朝六時に登校し、部活がなくとも七時近くならないと帰らない生活をしているのを見ていて、無理だと思った。
なにより面倒だった。
私はおバカ高校に入った。

勉強なんぞしなくても成績はトップクラス。
当然だ。レベルがあってないのだから。
私は勉強をしなくなった。授業中もいたずら書きをしていた。
それでも成績は落ちない。
だが、努力をしている人たちからは引き離されていた。それは他校の話で校内では相変わらず成績上位。
周囲に染まってバカになっていることに気付きもしない。

大学に行きたい気持ちはあったが、父に大学は国公立以外は行かせられない。行かせられたとしても奨学金を借りてくれと言われていた。
正直、面倒だった。生来面倒くさがりで流されやすい私はぬるま湯から抜け出すガッツなど持ち合わせていなかった。
中三の時、姉が大学に行くならお前は行かせられないと言われたことも尾を引いていた。
学ぶことは好きだったが、勉強は嫌いだった。

結局私は専修学校に進学し、大学には行かなかった。

どこで選択を間違えたのだろうと大人になってから良く考える。
高校選びが悪かったのだろう。
近くにあることしかメリットのない高校だった。
近くにある高校が難関だったら行ったか?とは考える。たぶん行った。とにかく登校が面倒だったから。

そう考えると結局環境なのだと行き当たる。
子供のころは孟母三遷をバカにしていたが、孟母の行いは正しいと大人になって心底思う。
あの時、もう少し発展した町に住んでいたら。もう少し教育熱心な親だったら。考えてももはや意味のないことで、結局自分のやる気もなかったではないかという話。

大人になってから勉強したくなるというのは本当だが、当時の若さにあふれ、一回読めばすべて暗記する力も、理解するために調べ回る力もずいぶんと錆び付いているわけで…
できるときにもっと勉強しておけばよかった。大学に行きたかったと思うときには遅い。

ずいぶん愚痴っぽくなったので終わります。
最近は解剖学の本を読んで楽しく暮らしてます。

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