見出し画像

人魚歳時記 神無月 後半(10月16日~31日)

16日
曇り日の夕暮れは、浅葱色を残す空の、裾からゆっくり珊瑚色に染まっていく。
早くも葉を落とした枝垂れ桜の枝の間から、輪郭の滲んだ月が現れる。
世界の全てが淡い。

秋の空は高いから、夜が更けた頃は、月も高いところにいた。

金木犀が仄かに香り、とても良い夜だった。


17日
ドア開くとグルッポと鳩の声。薄曇りの朝。
いつものように犬と散歩に出る。
空は鈍色の奥に不思議な光をたたえ、蝶貝細工を見るよう。
静かな中、木犀が香っている。

砂がサラサラ流れるように、こんな美しい瞬間が行き過ぎて人生を作っているのか。
思わず足が止まる。

霧の朝。

18日
曇っている。時おり霧雨が散る。渡ってきた鳥が鳴く。
午後、ふいに下校する小学生たちの声がワッと聞こえ、すぐに途絶えてまた静かに。
半分開いた二階の窓。薔薇一輪だけが鮮やかな薄暗い庭。風の唸りが聞こえて窓を閉める。

終日ぼんやりしていた。


19日
薔薇の選定をする。
綺麗な枝先を挿し木する。
気がついたら掌に血が滲んでいた。

たいした傷じゃないのに、今朝、糠床をかき回していたら、塩気がしみてとても痛かった。
大根と茄子はよく漬かっていた。
そろそろ糠を足さないといけないな。


20日
柿が陽を浴びている。その向こうの電柱のてっぺんで、烏が鳴きだした。
空には月が白く残っている。
秋の朝。
人はいない。
だぁれもいない。
あれっ? と少しソワソワする。それから、あぁ今日は日曜だ、と気づいた。

元井戸。


21日
冷え込んで、夜、猫が布団に入って来た。初夏以来のこと。
朝まで一緒に寝ていた。
起きてからも、しなしなと身をくねらせて、足元にまとわりつく。妙に甘え癖がつきだした。
顔つきも、急に仔猫っぽさが蘇っている。
寒くなると猫が可愛いね。


22日
ビオラとパンジーを買う。
今年は迷わず黄色に手が伸びた。
帰宅して、苗を培養土に植え付けていきながら、こうして今年も冬の花を楽しめるのは幸福だと思った。
花の黄色に安寧を感じた。
大きく根を張るように、苗にかけた土をキュッキュッと両手で押した。

そして丸葉ルコウ草。


23日
送られてきた生命保険料控除証明書を読んでいた。
ふと顔を上げると、開いた窓のすぐ外の枝から、鳥が一羽、こちらをのぞき込んでいる。
急いで机の引き出しから古いバードコールを出して鳴らすが音が出ない。
古すぎて音が出ない。
鳥は飛んでいった。
雨は止んでいた。

雨もよい。そして鳥。


24日
水もないのに、刈り取った稲から青々としたひこばえが伸びて、水田が戻ったかのような。
その中から白い鎌首がヌッと伸びる。
見ていたら、純白の羽ばたきが始まり、飛んでいった。

あぁ、なんだ白鷺か。
肩から力を抜いた。

今日はやけに蒸し暑い。

いつか動きだしそうで。


25日
セイタカアワダチソウに雀が止まって、鮮やかな黄色の先端が大きくしなる。
菜園は雑草で埋まっていた。
いつの間にか住宅街となった、その一角の小さな菜園。もう二、三年は放置されている。
身を屈めて鍬を使っていた老人の姿が、一瞬いきいきと蘇り、消えた。


26日
お稲荷さんの祠で大きな猫が寝ている。
陶器のお狐さんはひっくり返っている。

今は十月。主はまだ出雲に? 猫は留守居か?

なんて、つい手を出したら指をひっかかれた。
少し腫れて、一晩指輪が外せなくなった。

神使を甘く見てはいけないと、薬を塗りつつ反省する。

この猫ちゃんは本文とは無関係。


27日
朝は冷え込む。
ヒコバエが青く伸びた田んぼの上、綿菓子を平たく置いたような霧が動かない。
私鉄列車がゴォと唸りながら東京に向かって走って行くも、その光景は霧に隠されて見えず。
頭上で鳥が鳴く。
顔を上げると、爪の伸びた部分みたいな月が、青い空に薄くあった。

28日
冷える朝、糠床をかき回す。
大根ばかり出てくる。
寒くなるこれからは根菜の季節だなんて思っていたら、底から茄子の切れっ端が出てきた。
くにゃりとした茄子に、残暑の頃の記憶が蘇るが、それはもう色あせていた。

茄子は古漬けにしようと、再び糠床に押し込む。

収穫した稲から出た糠を畑に撒く。
冬の畑の準備。

29日
その老人と私の誕生日が一日違いと知り、お赤飯を炊くようになった。

あの人の歳になった時の、老婆の自分や世界の様子を想像しながら餅米を洗い、ササゲを煮る。
最期まで幸せを感じる日々を送りたい。
自身の誕生日に、翌日の祝いのお赤飯を炊く日が、今年も近づいた。


30日
雨があがったので、愛犬と散歩に出る。
途中から陽がカンカン照り、暑い。
梨農園は、ブルーのネットが全て取り払われていた。収穫期は終わりらしい。
雨を吸った梨の木に、猫が登って遊んでいた。
さっきの道に落ちていた栗のイガより丸い顔した猫だった。

何か落ちていて、
栗のイガだった。

31日
朝は冷え込む。 ヒコバエが青く伸びた田んぼの上、綿菓子を平たく置いたような霧が動かない。 私鉄列車がゴォと唸りながら東京に向かって走って行くも、その光景は霧に隠されて見えず。 頭上で鳥が鳴く。 顔を上げると、爪の伸びた部分みたいな月が、青い空に薄くあった。

爪ほどの大きさの赤い花。丸葉ルコウ草。


田んぼの色が秋色。
天が高くなるにつて烏瓜が鮮やかに色づいていく。もうすぐ冬。


いいなと思ったら応援しよう!