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人魚歳時記 霜月 前半(11月1日~15日)

1日
朝の散歩から帰ると、昨夜のうちに煮ていたぶりんぶりんの牛筋を切り分ける。
予定が詰まっている。月が変わり、年末が見えてきて気ぜわしい。
でも愛犬が牛筋スープを平らげるのを見守る間は気を抜く。バチャクチャいう豪快な音に、神経が心地よく緩む。
外では鳥が騒がしい。

2日
神経質ですぐに暴れる愛猫だが、今年は静かに採血させてくれた。健康診断の結果は問題なし。
昼に帰宅。病院でもらった小冊子を読みつつ、お握りを二個食べる。
愛猫は人間なら七六歳になるらしい。
ストーブをつけ、お茶を飲むと、どっとほぐれて、畳の上で爆睡してしまった。

庭に来ていた猫。可愛い子。

3日
農業をやめた老人が、今は使われなくなった選果場の前で、柿をいじっていた。
綺麗に皮を剥き、残した軸にビニール紐を結んでいく。ゆっくりした手つきで作業をしている。

帰りに通ると、老人はいない。
庇の下に、繋がった柿が吊り下げられて、陽を浴びていた。

4日
続く寝不足。朝早くからキリキリ動き続けたら、昼前に違和感を覚えた。
放っておくと風邪になる予感。
湯たんぽを作り、横になって目を閉じる。猫が布団に入ってきた。
静かな祝日。
鳥が鳴いている。
文化の日って、いい名称だな思った。
明るい陽の中で二時間ほど猫と寝た。

5日
近くの林で、烏瓜の朱色の実が秋風に揺れている。
なんて風情があるのだろう。
宝物を見つけた思いで、蔓を千切り、実をいくつか持ち帰る。
玄関に飾るが、萎びてきたので庭に捨てに行くと、そこの物陰に朱色の実が揺れていて、アレとなった。
素敵な物は意外と身近にあるね。

烏瓜。


6日
散歩の途中で、とうとう落ちてきた。
傍らに並ぶ農家のビニールハウスに雨粒が当たる。その音がだんだん大きくなっていく。
足を速めた。
ハウスの中には、白い実をつけたイチゴ苗がずっと向こうまで続いていた。

帰ってきて、重曹湯で拭いた愛犬は、温い干し草の匂いがした。

7日
霜はまだ降りない。
畑には螺旋状に糠が撒かれている。朝晩の冷気に当たったからか、アブラナ科の野菜が幼稚園児ぐらいまで大きくなって整列している。
新築の家から出てきた女子高生が、肩を傾けて駅へ歩いていく。
制服から伸びる素足は、もう寒そうだった。

電柱。曇りの朝。


曇天の奥の太陽。

8日
犬を洗う。
濡れると急にお痩せになって、女の子なのに、パイプでも咥えそうな、おじさんみたいな顔つきになる。
乾かせば毛は膨らみ、仔犬に戻ったみたい。鼻先を埋めて匂いを嗅ぐ。
そうして一緒に陽を浴びながら、窓の外に乙女椿の最初の一輪を見つけたりした。

乙女椿。蕊がないから乙女か? と思っている。

9日
薄く霜が降りた。
道の辺のイネ科雑草が、昨日まではもっさりしていたのに、朝露に濡れてキリリと赤く紅葉している。
見ると、トンボが羽を畳んで赤い穂にしがみつき、動かない。
濡れた羽が朝陽に光っている。
そっと触れると、その虫はまだ少し動いた。

10日
夜明けの町は、何がしない。
どの家も人が起きだした気配はなく、日曜だから、駅の周りにも人も車も見当たらない。
曇りの薄暗い朝。
夜のうちに住人が消えてしまった、という空想がふっと湧いた時、見上げた二階の出窓に猫がいた。
猫もこちらをじっと見つめ返してきた。

最後のトンボがいた赤い草。

11日
雨上がりの朝。
田んぼ脇の錆びたトタンのポンプ小屋が、昔話の精霊の家のように見えるのは、辺りにたちこめる牛乳を流したような霧のせいだ。
道はまだ濡れている。
霧が流れてくると、細かい粒子が肌を打つ。そして頬に点々と小さな水滴を残して、幻のように去っていった。


12日
朝晩はとても寒くなった。
うっすらと霜が降りていて、陽が出ると、それが溶けてあちこちが濡れていく――

冷たい朝露の中、私が植えた薔薇が可憐に咲いていると、それは私ではないのに、私までもが可憐であるような気になる。
いい気なものだ。


霧の朝。

13日
たまに通る散歩道。
郵便局の裏の古い家。ブロック塀に沿った道。
塀の向こうは鬱蒼とした庭。道路まで枯葉や木の実が落ちてくる。
帰宅して、愛犬の足裏を拭いていたら、マズルの片方が膨らんでいる。
口の中を探るとドングリが出てきた。
遅れた秋のセピア色をしている。

14日
夕方、洗濯物を取り込みに行くと、ジョウビタキが物干し竿に止まり、遊んでいた。
橙色のお腹がまん丸だ。
庭にいると、鳥たちが囀りながら、暮れていく空へと高く飛んでいく。鳴き声が初冬の景色に共鳴する。
聞いていると胸が締めつけられる。
郷愁の二文字が浮かぶ。

15日
雨の朝。病院送迎。
入口で老婆と付き添い男性が、植え込みの樹が紅葉して綺麗と喜んでいたり、
待合室の椅子にアニメキャラの小さなトートバッグが置いてあり、子供の物だと思っていたら、採血を終えた老爺が袖を下ろしながら戻ってきて、それを膝にのせて椅子に座ったり。


ジョウビタキ。


何処かへ行きたいと思いつつ空を見る。

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