ロミオとジュリエット
この映画は見るたびに号泣しますが、その音楽を聴くだけでも泣きそうになります。
『ロミオとジュリエット』は、言わずと知れたシェイクスピアの戯曲ですが、その舞台は14世紀の北イタリア、ヴェローナという都市です。
物語の中ではその街で、ロミオのモンタギュー家とジュリエットのキャピュレット家が、代々対立していましたが、それぞれモデルになった家があったようです。モンタギュー家のモデルはヴェローナの貴族モンテッキ家、キャピュレット家のモデルはカペレッティ家で、こちらは貴族ではなかったようです。
両家の対立は「皇帝派」と「教皇派」の党派闘争だと言われることが多いそうなのですが、どちらの家が皇帝派で、どちらが教皇派なのか?ということで、よく意見が分かれるそうです。
そのあたりについては勉強不足で、私にはよくわからないのですが、いろいろ見てみたところによると、貴族のモンテッキ家が皇帝派(ギベリン)で、カペレッティ家がクレモナの教皇派(ゲルフ)という意見をよく見かけました。
こんな話も見かけました。
シェイクスピア以前に、ダンテの『神曲』の中にも「モンテッキ家とカッペレッティー家」という二家が出てきます。そしてそれ以前にも、元となったお話はあったようです。
また、オペラにも『カプレーティとモンテッキ』という演目があるようです。
このヴェローナの歴史を見てみると、中世からルネサンスにかけての頃は、その街では、スカラジェリ家(デッラ・スカラ家)、ヴィスコンティ家、パドヴァのカッラーラ家と、支配者が次々と変わっていっているようで、そこにもいろいろと、熾烈な闘争があったのだとか。
『ロミオとジュリエット』の中に出てくる「プリンス・オヴ・ヴェローナ」であるエスカラス大公のモデルは、デッラ・スカラ家の「バルトロメオ・デッラ・スカラ」だと言われているそうです。
デッラ・スカラ家がヴェローナを治めていたのは1277~1387年で、この家は、皇帝派(ギベリン)だったそうです。
上の三家で言うと、私は今までヴィスコンティ家くらいしか知りませんでした。ヴィスコンティと言えば、ミラノを支配していた家だと思っていましたが、ヴェローナにも手を出したりしていたのですね。
15世紀にヴィスコンティ家が途絶えると、ミラノの支配権はその後、スフォルツァ家に移っていきました。
現存する最古のタロットと言われている、『ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロット』を持っているのですが、そこに描かれている絵柄は、ミラノのフランチェスコ・スフォルツァ公たちが、15世紀の後半ごろに画家たちに描かせたものだそうです。
私が持っているのは『ピアポント・モルガン・ベルガモ版』ですが、他にもいくつかヴァージョンがあるそうで、時の権力者たちが、幾人かの画家にそれぞれ描かせたのだろうと思います。
タロットカードは、中世末期にイタリアで生まれた貴族の遊び道具だったようです。ジュリエットもまた、こういったカードで遊んだりしていたのでしょうか?
中世やルネサンスの頃のイタリア。こういった時代のタロットカードの絵や写本の挿絵などを眺めていると、とてもワクワクしてきます。
そんな時代を舞台にした幼いふたりの純愛、悲恋の物語。
とても、胸に来るお話です。