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大河ドラマ:べらぼう第8話 「逆襲の『金々先生』」のあらすじ&ちょこっと解説
べらぼう第8話「逆襲の『金々先生』」のあらすじ
~吉原を巡る商売の駆け引きと誇り~
江戸時代の版元・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)が手がけた吉原細見「籬の花(まがきのはな)」が大ヒット。
価格の安さに加え、花魁・瀬川(せがわ)の情報も掲載されており、多くの人が求めました。
その結果、瀬川の人気は急上昇し、彼女や遊女たちの負担が増加。
そんな中、盲目の大富豪・鳥山検校(とりやまけんぎょう)が瀬川の客として登場。彼は瀬川に双六や本を贈り、遊女たちと楽しむよう促します。
瀬川はお礼として本を読み聞かせることを決意。
本来、初対面の花魁が客と口をきくのはご法度ですが、鳥山検校のために特別な配慮をしました。
しかし、本棚を探す中で、偽版で捕らえられたはずの鱗形屋(うろこがたや)の印が入った青本を見つけ、驚きます。鱗形屋孫兵衛(うろこがたやまごべえ)がすでに復活しているのではと、瀬川は蔦屋重三郎の行く末を案じるのでした。
そんな折、蔦屋重三郎が瀬川を訪ねてきます。
彼も鱗形屋の本の存在を知っていましたが、吉原の親父衆が協力し対抗策を練っていると安心させます。
そして、瀬川に「女重宝記(おんなちょうほうき)」という本を手渡しました。
この本は、女性が教養を身につけ、武家や商家に身請けされるための知識を学べるもの。蔦屋重三郎は、瀬川が幸せな未来を掴むことを願っていたのです。
しかし、事態はさらに動きます。鱗形屋孫兵衛が地本問屋の鶴屋喜右衛門(つるやきえもん)らと共に蔦屋重三郎を訪ね、彼を仲間から外そうとします。そこで蔦屋重三郎は「吉原関連以外の本は出さず、吉原細見は無料提供する」との条件を提案し、交渉の場は揺れます。
しかし鶴屋喜右衛門は「吉原は卑しい外道だ」と蔑みました。
これを聞いた駿河屋市右衛門(するがやいちえもん)は激怒し、鶴屋を追放。
こうして、吉原の親父衆は誇りを守るため、地本問屋たちの吉原出入りを禁止する決断を下しました。
商売の駆け引きだけでなく、誇りをかけた戦いが繰り広げられたのです。
鳥山検校と「鳥山瀬川事件」
鳥山検校は、江戸時代の盲人組織「当道座」(とうどうざ)の最高位にあたる「検校」に就いた人物です。
当道座は盲人による自治組織で、琵琶演奏や鍼灸(しんきゅう)などの職業を独占し、幕府の保護を受けていました。また、当道座には高利貸し業「官金」(かんきん)を営む特権があり、鳥山検校はこれによって巨額の財産を築きました。
五代目瀬川の身請けと「鳥山瀬川事件」
鳥山検校が最も世間の注目を集めたのは、1775年(安永4年)に吉原の花魁・五代目瀬川(花の井)を1,400両(現在の価値で約1億4,000万円)という破格の金額で身請けしたことでした。
当時、遊女の身請けには高額な費用が必要でしたが、これほどの大金が支払われた例は珍しく、江戸中の噂となりました。
この事件は後に「鳥山瀬川事件」と呼ばれ、洒落本(しゃれぼん)といった文学作品にもなりました。
田螺金魚(たにしきんぎょ)の『契情買虎之巻』(けいせいかいとらのまき)や、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『跡着衣装』(あとぎいしょう)などが有名です。
瀬川を主人公とした悲恋物語として描かれ、当時の庶民にも広く知られることとなりました。
鳥山検校の失脚
瀬川を身請けした後も、鳥山検校は贅沢な生活を続けていました。しかし、彼の金融業における取り立ての厳しさが問題視され、1778年(安永7年)、幕府は鳥山検校を含む高利貸し業者を取り締まりました。結果、鳥山検校は全財産を没収され、江戸から追放されました。
五代目瀬川のその後についてははっきりとした記録が残っていませんが、鳥山検校の処罰前後に別の男性と結婚したという説もあります。
鳥山検校の生涯が示すもの
鳥山検校の人生は、江戸時代における盲人の社会的地位や、金融業の影響力を象徴するものです。財力と権力を兼ね備えながらも、その強引さゆえに短期間で没落した彼の運命は、「奢れる者久しからず」という教訓として語り継がれました。
あとがき
参考文献
画像引用:NHK「【大河べらぼう】第8回 逆襲の『金々先生』まとめ 」