織田信長が変えた日本の歴史!3つの合戦が生んだ運命の転換点
織田信長が天下統一を目指して戦った中で、特に日本の歴史を大きく変えた3つの戦いについて解説します!信長ファンの方や日本史に興味がある方、ぜひチェックしてみてください!
1位 桶狭間の戦い(1560年)
信長といえばこの戦い!と言われるほど有名な「桶狭間の戦い」。1560年、尾張(愛知県)の小大名だった信長は、大軍を率いて上洛(京都へ進軍)しようとする駿河の大大名、今川義元と戦います。
この戦いのポイント
信長はたった数千の軍勢で、2万5千もの今川軍に立ち向かいました。
奇襲で今川義元が討たれたため、今川軍は総崩れに。
この勝利によって信長は一躍注目を集め、大名としての地位を確立。
さらに、今川家の勢力が衰えたことで、家臣だった松平元康(後の徳川家康)が独立し、信長と手を組むようになりました。この信長と家康の同盟が後の江戸時代につながっていくのです。桶狭間の戦いは、まさに日本の歴史が動き出した瞬間でした!
ゆかりの地
桶狭間古戦場公園(おけはざまこせんじょうこうえん)
愛知県名古屋市緑区桶狭間北3丁目1001
2位 石山合戦(1570〜1580年)
10年間にわたる激しい戦いとなった「石山合戦」。信長は、強大な宗教勢力・石山本願寺とその信者による一向一揆勢力と争いました。顕如(けんにょ)という僧侶が指揮を取り、各地の一揆勢力を結集させます。さらには浅井・朝倉氏や西国の大名たちとも連携し、信長包囲網が敷かれました。
この戦いのポイント
信長は軍事力だけでなく、朝廷(天皇)の力も使って講和を成立させました。
本願寺を屈服させたことで、信長の天下統一が現実に近づきました。
一向一揆勢力の衰退で、信長に抵抗する勢力が大きく減少しました。
この戦いを通して、信長がいかに柔軟に権威を使いこなすかが見えてきます。石山合戦は、戦国時代の終焉を象徴する大きな一歩となりました!
ゆかりの地
史跡・石山合戦古戦場 灰賦峠 (しせき・いしやまかっせんこせんじょうはいぶとうげ)
〒599-0303
大阪府泉南郡岬町深日
3位 備中高松城の戦い(1582年)
天下統一に向けて西日本の毛利氏を抑えようとした信長。彼の家臣である羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が、この毛利方の高松城を攻めました。戦略家・黒田官兵衛の提案で「水攻め」という特殊な戦法を使い、城を孤立させます。わずか12日間で堤防を築き、城の周囲を水浸しにしました。
この戦いのポイント
信長の指示で秀吉が毛利氏を追い詰める重要な戦いでした。
交渉の中、本能寺の変(信長が明智光秀に討たれる事件)が勃発。
この事件により、秀吉は講和を急ぎ、引き返して光秀討伐へ向かいました。
もし本能寺の変が起こらなければ、毛利氏は滅亡していたかもしれません。しかしこの変のおかげで毛利氏は存続し、日本史が大きく変わるきっかけとなったのです。清水宗治の自害も、武士としての誇りを感じさせます。
ゆかりの地
蛙ヶ鼻築堤跡 (かわずがはなちくていあと)
〒701-1335
岡山県岡山市北区高松558−2
高松城水攻め史跡公園
〒701-1333
岡山県岡山市市北立田
備中高松城跡
〒701-1335
岡山県岡山市北区高松
織田信長の戦いは、戦国時代から近世への移行を進めた重要な歴史の転換点ばかり。桶狭間の戦いでの快進撃、石山合戦での宗教勢力への挑戦、そして備中高松城での戦略と本能寺の変…これらの戦いがなければ、今の日本は存在しなかったかもしれません!
参考文献
「信長軍の合戦史1560~1582」日本史史料研究会/監修
「山川 日本史小辞典」新版 山川出版
「日本歴史大辞典」小学館
「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田牛一/著
桶狭間の戦い NPO法人桶狭間古戦場保存会 https://okehazama.net/