伊東歌詞太郎と「音楽」を作った半年
私たちは、今日のこの日まで、
一緒に音楽を作ってきたのだと、
あの夜を終えた今、心から思える。
2024年6月8日を皮切りに、
フリーライブが始まった。
その中で発売されたCDは、「DEMO→REC」と名付けられたものだった。
歌詞太郎さんより、
今年のは、楽曲制作の流れを一年通して表現をするという話があった。
5月まではエッセンスを落とし込む「経験」。
そして6月から始まった路上ライブは、
柴田さんのギター1本で曲を形成することから、「デモ制作」になぞられ始まった。
晴れの日もあれば、突然のゲリラ豪雨に見舞われる日もあれば、ショッピングモールの中で、
初めて出会う人が足を止めながら、多くの人に囲まれて歌う日もあった。
場所によってスピーカーの配置を変えたり、歩き回って歌ったり、試行錯誤しながら届ける姿はまさに「デモ」を感じさせるようだった。
最後には、いつものように一人一人と握手を交わす。時には、高い背を曲げながら、目を合わせ丁寧に感謝する。そうしながら全国を回り、音楽を作っていくための種を集めているようにも見えた。
そんな「デモ制作」の期間を経て、「アレンジメント」というリハーサルが始まり、
ギターだけだった音に対して、色んな楽器が重なっていく。
そして8月17日からは「MIXツアー」が始まった。
これが次の過程の「ミキシング」になる。路上で既に聴いたはずの曲たちは、
ライブハウスで聴くと、全く違う曲のように聞こえたり、今まで見えてこなかった曲に込めた思いが見えてきたりと、不思議な感覚になった。
音・ライト・歌詞太郎さんの感情、そして私たちの歓声や声が混ざり合う。
なるほど、これが「ミキシング」なのかもしれないと感じた。
ツアー初日、何度も柵に足をかけ、身を乗り出し、客席を指さしながら歌う歌詞太郎さんを、
私自身初めて目撃したような気がする。
ただそれは、歌詞太郎さん本人がよく言う「憑依」している状態ではなく、
いつもの歌詞太郎さんのまま、素直な気持ちが乗っているようで、私自身に強く刺さった。
そして次の日の岩手で、私は今まで見たことがなかった歌詞太郎さんにまた出会う。
ライブの終盤で、客席に身を乗り出した状態で座り込んだのである。
あまりの勢いに、最前の方々が手を伸ばし支えたほどだった。
歌詞太郎さんは、「酸欠で、下半身に力が入らなくなった」と話した。
ツアーはまだ10日程もある。でもそんなことは関係なく、今日という日を
「最高」にするために、すべてを出し切って歌う。
歌詞太郎さんの凄いところはここにあるのだと強く感じた出来事だった。
そしてこの日の最後のMCで、「ライブを突き詰めていくと、それは『感謝』なんじゃないかと思う」と話した。
私たちと歌詞太郎さんでの、感謝の返し合い。それはいつまでも変わらないものであり、
いつまで経っても返しきれない気がする。
そこから公演が進み、振替公演になった宮崎・福岡を残して、
9月29日、実質のファイナルとなる浜松公演までやってきた。
初日と比べると全く別物なライブだった。歌声も、熱量も、何倍も増していた。
そしてこの日一番印象に残ったのは、「singer.song.writers.(alpinist.)」。
この歌詞の「僕は愛されて歌を歌ってきたんだね」という歌詞で、叫ぶようにこの日は、
「僕は『何年も』愛されて歌ってきたんだね」と歌った。
もしかすると、本人にはそんなに大きな意図は無いのかもしれない。
だがその言葉を聴いたときに、こちら側の思いはちゃんと伝わっていたのかもしれないと思った。
いつかの生放送で「客席を見るのが怖くなった」と話していた歌詞太郎さんの言葉が
頭の中でよぎる。あの日私は、自分自身の言葉の重さと、正しく伝えられているのか、
自分の応援が本当に良いものなのか、自問自答をした。
だからこそこの『何年も』という言葉に、酷く泣けてしまったのと思う。
また、一緒に夢を見る私自身を肯定してもらえたようにも思えた。
私の中で、絶対に忘れたくないライブの景色が一つ増えた。
そして10月4日。満を持して、「マスタリング」の段階、「Mastering」公演が始まった。
ホールかつ、バンド編成で観るライブはいつぶりだろうか。
高い天井、広い空間、ステージ上の大きなバックドロップに、ブルーの照明。
始まる前から、最高の一日になることを確信してしまうほど、大きなステージ。
そんなライブの一曲目は、「SWEET GOLEM」。
昔はマイクスタンドが無いと歌えなかったと、路上ライブで話していたことを彷彿させるように、ステージ上に置かれたマイクスタンドに触れながら、昔結成していたバンド時代の曲を歌いだした。
ずっと前に作られた曲のはずなのに、1曲目に違和感なくはまった。
「始まりの合図 僕はスロースターター」
という歌詞は、今日まで苦悩や困難を乗り越えてきた、今日の歌詞太郎さんにピタッと合ってしまう。
マイクスタンドが無いと歌うことが出来なかった過去はもうないんだというように、
一曲目が終わった後に、マイクスタンドを後ろに置き、二曲目以降登場することはなかった。
そして二曲目は、「Virtualistic Summer」。手拍子・歌で、私たちも歌詞太郎さんに応える。「君に会いにゆくよ」という歌詞が、こんなに説得力を持つアーティストを、私は歌詞太郎さん以外に知らない。
そして立て続けに歌われたのは「絆傷」。
歌詞太郎さん自身の経験が色濃く出ているこの曲を、ステージの端から端まで歩きながら、客席をずっと見ながら歌い上げた。
「絶対勝つまで負けんな」の歌詞の重さは、歌われるたびに増しているような気がする。
それだけ、歌詞太郎さんの覚悟が見えるのがこの曲である。
どのツアーも、三曲目の後には歌詞太郎さんのMCが入っていた。
そしてこの日も「来てくれてありがとうございます」と、力強い感謝が伝えられた。
そして今日は曲数も多いのだという話があり、客席からは喜びの声が上がった。
そこから、一瞬で空気を変えてしまう「KING」、懐かしさに思わずぐっとくる「タイムマシーン」、バンドメンバーのソロが光る「春泥棒」と、各地のツアーで日替わりで演奏された曲たちが続く。MIXツアーのセトリが、更に混ざり合っていく。
その後、いつものように長く、でも楽しそうに話す歌詞太郎さんのMCが続く。
昔はMCが苦手だったという言葉がまるで嘘のようで、そんな姿はもう思い出せそうにもない。
そしてそんな明るい雰囲気から、音楽で静かな世界へ引っ張っていき、バラードパートが始まった。
愛猫のみみとの思い出、そしてぽんに助けられた瞬間を詰め込んだ「ひなたの国」、
タイアップ曲でありながら、歌詞太郎さんと私たちを繋ぐような曲である、
「ヰタ・フィロソフィカ」。客席をずっと見ながら、こちら側に訴えかけるように歌う姿を見て、「タイアップの曲を作るときには、作品に対して表現したいことと、自分自身の伝えたいことが、完全に一致している要素を探す」と、過去に歌詞太郎さんが言っていたことを思い出す。
だからこそどんな曲だろうと、歌詞太郎さんの思いが込められているのを感じ、心から感動することが出来るのだと思う。
その後に歌われたのは、これまたタイアップ曲であった「真珠色の革命」。
この曲は、MIXツアーのすべての会場で歌われた曲。
スポットライトが歌詞太郎さんを照らし、曲が始まる演出がこの日はあった。
雰囲気がガラッと変わり、「約束の場所へ行こう」という歌詞が一段と刺さった。
更に、上から降りてきた白の幕はライトで照らされ、オーロラのように輝いていた。
オーロラといえば思い出すのは、2021年の11月から行われた「Auroragazer」ツアー。
その初日のMCで、歌詞太郎さんはこう話していた。
「オーロラには、『夜明け前』と『春を待つ』という意味がある。そういうと今までは冬だったんですか?と言われるかもしれないけど、俺にしかわからないこともあるんだ。
陽の当たる場所までついてきてほしい」と。
「真珠色の革命」で、「伝えたい言葉はあなたの心に届くと信じて ここで歌うだけ」と
歌う歌詞太郎さんはいつも笑顔で、今ツアーの中で、歌詞太郎さんの苦しさに触れる瞬間は、ここ数年で一番少なかったかもしれないと思い返した。
もう夜は明けるのだと、そんなことを照明から訴えかけているようだった。
真珠色の革命のジャケットイラストだって、それを表しているのだから。
その後MCでは、これからの話や思い出話をした後、
「修羅日記」という、歌うのが非常に難しいとツアー前半で話していた曲の話題になった。
しかしこの曲も、難しさを感じず歌えるようになったと話す。
それが嘘でなかったことは、その後に歌った「修羅日記」が堂々と証明した。
速く変則的なテンポ、高いサビも危なげなく、楽しそうに歌い切る。
そして次に用意されていたのは、また難易度の高い曲の「senseitoseito」。
覚えるだけでも難しそうな早口かつ、言葉数の多い歌詞もお手の物。
サビでは赤い照明が点滅し、一気に異色な曲の世界に引きずりこむ。
「伊東歌詞太郎は歌が上手い」、そんな一言では片づけられないほどの歌声で、
ここまでの進化を突き付けられるようだった。
その次に歌われた曲は、今年作られた「天才になろうぜ~ミアキスの選択~」。
「さぁ天才になろうぜ今から」という歌詞を聞きながら、
ここまでは、歌詞太郎さんが思う天才パートのセトリだったのかと考える。
そう思うと、難易度が高いこの2曲を、今回のセトリに入れた意味が分かる。
ということは次に来るのは、今の歌詞太郎さんが一番難しいという
「WORLD‘S END」だろうか、と思っているところに歌われたのは、
「からくりピエロ」だった。
この曲を作った40mPさんへのリスペクトが含まれているとも感じ取れるが、
私はなんとなく、あえてここで、「歌ってみた」の曲を選んだのではないのかと思った。
なぜなら、この曲の前に歌った「天才になろうぜ~ミアキスの選択~」は、
ルーツに関する曲になっていると思ったからだ。
ミアキスは犬や猫などの祖先と言われている動物で、曲中に出てくるニコラ・テスラは、
発明によって電力供給を安定させた人物で、エネルギーを生み出した。
言い換えると「ルーツ」ではないだろうか。
答えはもちろん歌詞太郎さんの中にしかないが、
私自身は勝手にそう受け取って嬉しくなった。
だからこそ、そのあとの「アストロ」も涙が出るほど刺さった。
2014年にアップロードされたこの曲を、10年経った今でも聴けることが心から嬉しい。
そしてそのあとには、難しさを全く見せずに「WORLD‘S END」を歌い切り、
「singer.song.writers.(alpinist.)」へ。客席を細かく見ながら、大事に歌っていく。
この曲には本当に、歌詞太郎さん自身のこちら側への思いが強く詰まっている。
「今しかいない!」の歌詞の後のギターソロでは、スポットライトが柴田さんを照らした。
今まで色んなことが歌詞太郎さんに降りかかる中で、路上だろうとライブハウスだろうと、
常に横にいた、歌詞太郎さんにとっての最大の味方はきっと柴田さんなのだろうと思うと、
安堵と嬉しさで、また涙が止まらなくなった。
次に歌われたのは「pride rock music」。
痛いくらい思いを乗せた声で「大切なものはなんだ」と叫びながら訴える。
曲の最後には客席に降り、通路を走り、通路ではない客席さえ横断しながら、
またステージまで戻っていった。
その時間も、バンドメンバーはずっと音を繋げ歌詞太郎さんを待つ姿は、
歌詞太郎バンドとして長年一緒にやってきた、信頼が見えた。
そして本編の最後に用意されたのは「magic music」。
曲が始まると同時に、歌詞太郎さんがマイクの紐を最大限伸ばして、下手側のステージの端まで歩き出した。
曲の1番が終わるまで、歌詞太郎さんはそこでずっと歌い続けた。
ホールという広い会場でも、変わらず一人一人と目を合わせようとする。
その後の間奏で、上手の端まで移動をしながら、
「間奏長い!全員と目を合わせられるかな」と笑いながら話した。
そこから、間奏中もずっと客席を見続けて目線を送る姿があった。
どんなに人数が多くても、「全員」ではなく「あなた」に向けて歌う姿は、
何年経っても変わらないどころか、丁寧さが増しているように感じて驚く。
全ての曲が終わり、本編の幕が閉じると同時に、
「アンコール」の声が響き、暫くして歌詞太郎さんが再び登場した。
嬉しそうにグッズ紹介をしながら、グッズの中にも、
こちら側への思い、対等でありたいという話があった。
そしてその話に続けて、「ライブ、忘れることは絶対にない。思い出せなくなることはあるかもしれない」と話した。
矛盾しているようでそうではない言葉が、歌詞太郎さんのライブに対する思いを的確に表しているように感じた。
そしてアンコールで歌われたのは「I Can Stop Fall in Love」。
予期せぬ曲選に、急いでタオルを準備し、曲に合わせて回す。
最後は楽しく終わりたいという歌詞太郎さんの気持ちが伝わり、
「終わってしまう寂しさ」よりも「楽しい」が大きく上回った。
タオルを回しながら、掛け声を叫びながら、一緒にライブを作って終われた感覚があった。
そして曲が終わり、バンドメンバーと歌詞太郎さんが横並びで前に立った。
「一年間、一緒に音楽を作ってくれてありがとうございます。来年も一緒に音楽を作ってください」と話し、深くお辞儀をした。
そしてその後はまた、ステージの端から端まで歩きながら、
一人一人に感謝するように、目を見て「ありがとうございました」と伝えていった。
そして最後には、膝をつきお辞儀をして、袖へはけていってライブが終了した。
ライブの最後の最後まで、歌詞太郎さんからこちら側への感謝が詰まっていた。
ライブが終わり、オーロラのような複数の光が、またステージを明るく照らしていた。
「夜明けはすぐそこ」だと言わんばかりに、キラキラと輝いていた。
ライブ後に、購入したCDを聴きながら、この半年、私たちは間違いなく歌詞太郎さんと共に音楽を作ってきたのだと実感するとともに、
その一端を担えたことに、心から嬉しくなった。
そして、この先もずっと一緒に音楽を作っていくのだと、心から確信できる夜だった。
この日得た感情を、ずっと忘れずに、
何度も思い出していたいと思う。