【短編小説】王子様への惚れ薬
喧騒な人混み中で、私は頭巾を深く被り微笑んだ。手には、手作りのチョコレートを入れたバスケットを握って。
大歓声の中で白馬に乗り笑顔を浮かばせる王子は、相変わらず麗らかに陽の光を浴びた。熱心な職人もその一度だけは手を止め、視線をそちらに遣った。
この帝国では、隣国との争いに勝利したため数年前から経済の成長期を迎えている。この王子の先代が数々の偉業を残し、街は栄え、市場は活気を取り戻し、広場の噴水の近くには彼の栄誉を讃え石像が置かれている。
しかし、そんな先代にも欠点があった。女癖の悪さだ。一応国を救った英雄ではあったがために、国民も目を瞑っているところはあった。
だが、遂に恐れていた事態が起こってしまう。とある大臣の娘に手を出したのだ。よりにもよって、その娘には許嫁がいたのだ。結果、その許嫁の男がその経緯を知り憤怒し、戦勝一周年のパレードに際して、男の息のかかったものに暗殺されてしまったのだ。
男は即刻首を刎ねられたものの、当の娘は心に深い傷を負い、今ではすっかり気落ちし、さすらいの旅に出たと噂されている。
話を戻す。私を含めた群衆が寄って集る先にいるのは、先代から王位を受け継いだ王子、レオだ。彼は将軍としての父親を慕ってはいたが、日常の折々では心の底から嫌っていたらしい。先代が暗殺された詳細を知った彼は、心底呆れ返っただろう。
ゆえになのか、彼は父親と打って変わって全く嫁を取ろうとしない。いくら側近が勧めても耳を貸さない。その分政治手腕や戦術の造詣は先代並みで、国民からは慕われている。
もちろんルックスも良い。それに未婚者ときた。国中の美女が彼に求婚する。この場は、謂わばパレードの名を冠したお見合いなのである。
王子の一行が街を一周しひと段落着いた後も、街は忙しさが絶えない。商人が次から次へと祝いの品を運び、王子の眼前にやってくる。国民との関わりが一番と考えていた王子は、身分を問わず面会も献上も許した。
側近からは「殺されては大変だ」と忠告されたが、「痴話喧嘩で殺されるよりはマシだ」と笑って返していたらしい。
「この度は、〈隣国〉との条約の締結、誠におめでとう御座います」
間を空けずやって来るのは、数多の美女。皆あれやこれやと御託を並べ、内心は王子との結婚をこぎ着けようと必死なのだ。
無論、私もその一人だ。しかし、私は少しテイストが違う。私はそこまで贅沢な暮らしは出来ていないし、THE・美女というほどルックスに自信も無い。そこで私は、『惚れ薬』の開発に勤しんだ。別に王子の顔立ちや性格に惚れてはいない。ただ、病がちな父に楽をさせてやりたい一心だった。
そして先日、念願の惚れ薬が完成した。山に生える全ての植物を調合に調合を重ね、ようやく完成したのだ。そして、お手製のチョコレートにチョコッと(駄洒落ではない)入れて、こうして持って来たのだ。
王子への面会は大行列を成していたが、いよいよ次は私の番だ。深く頭巾を被り、敢えて顔は晒さぬ様にしておく。美女が犇めく中では、こちらの方が返って記憶に残りやすい。
その場で惚れさせて求婚されるのもアリだけど、それだと周りのライバルからの視線が怖い。敢えて、渡したら速攻帰る。そして王子からの使者(なんなら本人でも)を待つ。
「では、次」
側近の冷酷な声が、私の方に掛けられた。少し怯える素振りを見せながら、特に何も言わず、そっとバスケットを置いた。もちろんのこと、王子や側近は困惑している。
「あ……どうぞ」
ささやかにそれだけ言って、私はその場から大急ぎで離れた。演技とはいえ、多少の緊張も混じっていたのか、思った以上に速く走れた。
街の外れまで来た辺りで、私は立ち止まった。優越感を得たのか、そこから先は悠々と家へ帰った。
結果として、私は数ヶ月後には父を養い、家族団欒で過ごす事になる。しかし、それは私が思い描いていたのとは少し違う終結だった。
パレードの翌日。家の扉が二度ノックされた。思わず少し胸を躍らせながら、飽く迄もゆっくり、怯みながら戸を押した。
「は、はい……」
「失礼。わたくし、レオ王子の側近のダンと申します。急に訪ねてしまい、申し訳ない」
流石はあの謙虚な王子のもとで暮らすだけある。育ちの良さと、王子に感化されたであろう静かな強かさが垣間見えている。
「昨日のパレードの折、王子に面会されたか思いますが、間違い無いですか」
「あ、はい。チョコレートを……」
私の答えに頷き、ダンは深呼吸した。やっと私の努力が、最高の形で報われる……と、思った瞬間。
「わたしは、貴女に惚れた!ちょうど良い苦みと甘み、焼き加減、貴女のチョコは本当に素晴らしかった!しかし、わたしはそれ以上の気持ちを貴女に抱いてしまったんだ!頼む、この衝動は止められる自信が無い。どうか、わたしと結婚して欲しい!」
「……え」
咄嗟に“王子からの伝言ですか”と言おうと思ったが流石に口を噤んだ。しかし何故、王子ではなくダンからのプロポーズが来たのだろう。
───昨日
「あ……どうぞ」
(王子との結婚目当てに面会に来る女は多くいるが、彼女は一体なんのつもりで来たのだろう。ただ単純に、条約締結を祝いに来ただけなのだろうか)
踵を返し、逃げるようにその場を去る女を、ダンは少し訝しく思った。
「殿下」
「ん?どうした」
「今の頭巾を被った女、少し怪しいと思います。殿下との結婚を狙った者たちが多くいることは承知の上ですが、だったらもっと殿下と長く話すでしょう」
「なに、緊張しちゃっただけだろ」
「しかし……もしかしたら、条約締結に反対する輩の手の者かもしれません。取り敢えず、このチョコレートは一つ毒味をした後、殿下にお渡しします」
───現在、ダンの情熱的な部分に惹かれた私は、中々幸せな家庭を送っている。