教員と制作活動、二つを通して”伝えていくこと”/小学校教諭 橋本雄大
東北芸術工科大学校友会・リレーインタビュー「TUAD OB/G Baton」(ティーユーエーディー・オービー・オージー・バトン)では卒業生が日々歩まれてきた人生をインタビューと年表でご紹介します。
第7回目は漆作家・水野谷八重さんからのバトンを、小学校教諭・橋本雄大(はしもと・たけひろ)さんにつなぎます。
橋本さんは、現在は小学校教諭として働きながら自宅兼アトリエで制作活動を続けています。芸術学部美術科工芸コースに1996年に入学。ゼミ担当教員は安部定(あべ・さだむ)先生、金子透(かねこ・とおる)先生でした。
[水野谷八重さんからメッセージ]
工芸科の新歓コンパで、革ジャン・ジーパン・ブーツにモヒカンのワイルドな風貌で「風になりたい/THE BOOM」を爆音で熱唱する彼を見た時、「大学っていろんな人がいるなぁ~」と思った記憶がありますが、まさか結婚することになるとは・・・人生ってわからないものです。
思ったら即行動、エネルギーの塊のような人です。
誰かとの共感をカタチに変えていく
―橋本さんの芸工大での思い出を教えてください。
「海や川で遊んだり、温泉に行く」「ロカビリーバンド」「制作」の3つが中心の生活をしていました。
―「Iron Fight」という自主制作活動をされていましたが、始めたきっかけについて教えてください。
それまでの制作は、自分と向き合い、一人で答えを出していくみたいなやり方でしたが、もっと外に出たい、共感してくれる人を増やしたいと思い始めました。また、鉄の「打っていくことで変形していく姿」がかっこいいと思ったことも「Iron Fight」を始めたきっかけでした。
―「Iron Fight」の活動を海外でも展開していますね。
元々、旅行が好きなのでいろいろな場所に行っていましたが、旅を重ねるうちに、もっと旅先で出会う人と仲良くなりたい、と考えるようになりました。知らない場所で制作することで自分も積極的に交流することができると考えていたので、その一つのきっかけとして「Iron Fight」を海外でもやってみようと思いつきました。
―日本と海外で参加者の反応の違いなどありましたか?
日本でも海外でも反応はほとんど同じで、大抵の人は参加してきてくれました。ただ、日曜日の公園で大きな音を出すことに、海外の方の反応はシビアでした。休日の公園でのひと時を、みんなが思い思いに過ごしているので、制作を始める前には周りにいる人たちに断ってから始めるようにしていました。
良い刺激を与えてくれる子どもたちとの生活
―現在は小学校教員をされていますが、教員という仕事は橋本さんにとってどのようなものですか?
忘れていた子供のころの記憶や考え方を思い出すことができる仕事です。
教員は中学校の美術を教えたのがはじまりで、現在は小学校の教員をしています。
小学校教員として、美術だけでなく全教科教えることを経験してみるととても面白いんです。自分は社会科の授業、特に歴史や政治が面白くて、現在の政治や世の中について、子どもたちについつい熱く語ってしまいます。
―自身の子ども時代と、現在の子どもにどういった違いを感じますか?
現在の子どもたちは制約が多く、自由な時間が少ないと感じます。そして”間違うこと”に対してとても敏感です。その一方で個性・人との違いに対しては自分たちよりも寛容だと感じます。
小学校教員という立場は、子どもたちが友達や周りの大人、社会に対してどんなスタンスで接しているのかを間近で見ることができ、自分にとっても刺激になっています。
―「教育者」と「制作者(表現者)」で、ご自身の中で共通していると感じる部分はありますか?
”教育することは、伝えること”だと思うので、そこが共通していると思います。伝えたいことは、表現の仕方で伝わり方が違ってきてしまします。子どもたちに教える時も、自分の制作活動でも、それも共通点と言えます。
身近な環境・人・自然をモチーフに、自分により近い感覚で制作する
―教員として働き始めたことで、自身の制作に変化はありましか?
制作時間が限られたことで、時間を気にするようになりました。なので悩んだらその作品は見えない場所にしまって、一旦寝かせることにしています。
―教員と並行して行っている自身の制作活動について教えてください。
日中は小学校で教員として働き、制作は夜に、子どもたちが寝静まってから自宅のアトリエで行っています。制作としては鉄の作業が多いです。
―制作を続ける時の心持ちを教えてください。
鉄以外にも身近な素材や題材を大切にするようにしています。
自宅の暖をとるための薪作りを年中していて、木に接することが増えたため、その中でなんとなく良い形のものを薪にせずに取っておいて、後で彫刻の素材にすることもあります。建築現場の廃材で什器を制作したり、自分の身近にある環境・人・自然などの魅力を伝えていきたいと思っています。
―日々楽しみにしていることや、今、面白いと感じていることはありますか?
我が家には娘が2人いますが、子どもや家族と過ごす時間がとても楽しみです。今年はコロナ禍という事態で家にいる時間が長かったこともあり、より一層、家族との時間を大切に過ごすことができたと思います。
―ご自宅の改修を家族みんなで取り組んでいる様子を、奥様(水野谷八重さん)のSNSで拝見しました。
自宅の改修は終わりがありません。実はけっこうきついですが、毎朝娘が「床の板が増えてる~」とか、「いいじゃん!」とか、感想を言ってくれるのがうれしくて、さらにやめられません。
自分たちの理想の生活に近づけるように家族全員で役割分担して頑張っている、そんな感じです。
あと、小学校の児童たちにも自宅改修の進捗状況を伝えています。それも自分の中では楽しみの一つです。
―長く続いているコロナ禍ですが、何か心境に変化などありましたか?
コロナ禍に限ったことではありませんが、これからは今までよりも人に伝えようとする気持ちや、何かを体験して実感から理解するような環境が大切になってくると思います。
小学校教員として、子どもたちが学校や社会に対して興味を持ち、疑問があれば素直に伝えあい、より良いものにしていけるように一緒に協力していきたいし、そのような教育をしていきたいと考えています。
―今後の展望や取り組みたいことなど教えてください。
きれいな川が近くにある場所にセカンドハウスが欲しいです。今の家は自分たちには大きいので小さい家を管理してみたい気持ちもあります。
―最後に、東北芸術工科大学で学ぶ在学生のみなさんへ、メッセージをお願いします。
制作の続け方は人それぞれです。
編集後記
「鉄のように変化する力強さを持つ人」
今回、取材をさせていただき、質問事項に対する回答がとてもシンプルで、最初の印象は”朴訥とした人”でした。
ところが職業は小学校教員。
私の経験で、口数少ない寡黙な小学校の先生にはお会いしたことがない…。どんな先生なのか、想像がつきませんでしたが、どうやら八重ちゃんをはじめ、橋本夫妻は私の印象を裏切るのが好きみたいです。
子どもたちに対して政治の話をする、自宅の改修の進捗状況を報告する、などの話を聞き、”中身熱い人”に変わっていきました。
取材を終えた今、橋本さんに感じるのは、多くの経験を積み重ね、”生活する自分”、”制作する自分”、”教員としての自分”、たくさんの”自分”がありながらも、そこに傾ける力の差異はなく、その意志は同じ方向に向かって、一束になっているような力強さです。でもそれは頑ななものではなく、鉄のように叩けば伸びたり、しなったりする柔軟な強さです。
橋本さんのような、たくさんの自分を持った、力強い先生だったら、子どもたちもきっと変化を楽しめるようになれるのではないでしょうか?私も子を持つ親として、こんな先生といつか子供たちが出会ってくれたらな…と思わずにはいられません。
校友会事務局 カンノ(デザイン工学部生産デザイン学科 卒業生)