理想の「神作家」と現実の「神作家」 ~タイパラの残滓
以前、タイトル、あらすじから頭の悪いタイトルの作品を見つけたので、読んでみた。確かに頭は悪いし、糞と一喝できる内容だった。
ただ、しかし…作品外での背景を考えると馬鹿に出来ない作品だけに悩み続けている作品でもあった。
『高校生WEB作家のモテ生活 「あんたが神作家なわけないでしょ」と僕を振った幼馴染が後悔してるけどもう遅い』(著者:茨木野)
自分がひとまず読んだのはコミカライズ版だが、原作も購入済み。しかし、糞な内容を読みながら、論理的に分析するのには相当体力を使うため、まだ原作は読めていない。
とにかく、この作品は内容の酷さで読むのが辛い。ただ、それでいてやりたい事は分かるから二重に辛い。
それはタイトル時点で、WEBで活動する承認欲求が拗れた者の妄想と感じるからだ。だから、糞であっても、承認欲求が拗れた者の妄想を分析すると馬鹿には出来ない。
そして、この手の承認欲求が拗れた者が憧れる理想の「神作家」を題材とした作品はこれだけでなく、増えてきている印象はある。
そして、今は確認が出来なかったが、こういうイラストレーター講座の広告もあったようだ。
これでは「神作家」とはスキル(技術)ではなく、ステータス(社会的地位、身分)である。これらにおいて創作とは、承認欲求モンスターを鎮める儀式でしかないだろうか?
ともあれ、作品がどうこうよりも、他人の「承認欲求」に関して分析するのは難しい話であった。
だが、現実の「神作家」は違った。承認欲求を満たす以前に自身とすら分かって貰えなかったからだ。
読者、ファンからは藤本タツキ「先生」と呼ばれていて、「ながやまこはる」というある種の裏アカを持ちながら、その人となりはベールに包まれていた。
だからこそ、SNSに突如として現れても、証明する要素は何処にもなかった。
また、冨樫義博氏にしてもTwitter開設当初は真偽で騒がれていた。未だ公式での正式は避けられているようだが。
現実の「神作家」とはファンにとって次元が違いすぎて、文字通り神の存在である。直に見る事すら恐れ多い。
それだけに、「神作家」の権威では承認欲求を満たせることは難しいのではないか。
だからこそ、承認欲求を満たすだけなら、「神作家」を目指すべきではない。そして、『理想の「神作家」と現実の「神作家」』という構図で創作論を先駆者がおり、その解答を冒頭からしている作品がある。
そう、『タイムパラドクスゴーストライター』である。
この理想の「神作家」から、タイパラを見つめ直すと違ってくる。佐々木哲平は担当編集が指摘するように、実際は大義名分はなく承認欲求で漫画を描いていたのだ。
だからこそ、神作を盗作することは、承認欲求モンスターを治めるための儀式であったのかも知れない。しかし、それは違っていた。
承認欲求を満たすだけなら、担当編集が言う通りコミニティを作り出す方が正解だった。実際、今のイラスト界隈の創作では、この傾向も強い。
そういった目線で見つめ直すと、この物語は「神作家」のいない世界だったのかも知れない。
いまさら、タイパラのネタバレを気にする話ではないとは思う反面、この作品から感じられる点は人によって様々だと思う。それだけにネタバレ、話の結末を語った所で人それぞれになってしまうだろう。
悪評が多い作品ながら、この点だけはこの作品の評価が高い点である。
さて、話は『高校生WEB作家のモテ生活 「あんたが神作家なわけないでしょ」と僕を振った幼馴染が後悔してるけどもう遅い』に戻るのだが、この作品のあらすじで書かれている内容で、映画は興行収入500億の大ヒット作者とある。
ちなみにこの興行収入500億とは、『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』と同じ額である。
この点を見る限り理想の「神作家」像を荒唐無稽なモノにするのではなく、現実を的確に見ている。実はこの作品は、承認欲求が拗れた者の妄想でありながら現実に苦悩する様でもある。
それだけ内容の糞さの中に隠れる、タイパラと似た理想の「神作家」に苦悩する様がこの作品を馬鹿に出来ない点なのではないかと、改めて思った。
それだけに読むのが辛い作品である。
まあ、クソ作品と割り切って読むのが、コンテンツとして正解なのだろうが…
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