出版社が他のブランド力を借りる時代 ~商業版『ケモ夫人』を読んで
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■商業版『ケモ夫人』を読んで
商業出版された『ケモ夫人』を読んで、様々なことを感じてしまった。
私はTwitterでもこの作品を追っていただけに、内容のインパクトは体験済み。それでもこの本を読んで何かを感じることは、この場合は作品外のことになってしまう。それは何か?
簡単に言えば、商業出版された意味が分からないからだ。
いや、Twitterで連載されていたモノが商業出版されれば収益となる。収益性、それは明確な意味である。しかし、『ケモ夫人』はTwitterで無料公開されてはいるが、本来の位置づけは同人誌作品であり、有料コンテンツである。そのことは『ケモ夫人』の1話が投稿時点で、作者から明言された事実である。
収益性は既に確保され、人気も既に得ている。また、商業版の帯にしても有名漫画家等のコメントが載っているが、これにしてもTwitter連載時で出されているコメントという側面もある。
商業出版は完全に人気の後追いでかつ、収益にしても後追いの部分がある。
確かに大手出版社から出たことでの市場の大きさはメリットではあるが。
そして、今回の商業出版の続巻は出るかどうかは売れ行き次第とあった。これも不思議なことではない。だが、この単行本で掲載されていた話数は第52話までと続きが気になる展開で終わっていた。
続きが気になる展開で終わっていながら、続巻が出るかは不明ということは、出版社である講談社は詐欺といわれても仕方がないレベルの話である。
しかし、Twitter連載当初からの人気で続巻が出ることは、ほぼほぼ確定ではあったのだろう。だから、あの気になる場面で単行本は終わっていたのかもしれない。
ただ、出なければ出なければで作者はTwitterでの投稿は止めなかっただろうし、同人誌でも作品を出し続けただろう。もし単行本の次巻が出なかった場合、この単行本で『ケモ夫人』を知って続きが気になる読者は何処へ行くのか?
それはTwitterなり、作者の同人誌となるだろう。
実際、単行本でも続きはTwitterにて読めますと書かれている。
これを初めに見たとき、私は愕然とした。大手出版社にとって、自社と関係のない所へ誘導する文言をよくも載せたモノだと。先から語るように既に同人誌、グッズも作者の手で作られている。
『ケモ夫人』は大手出版社が商業展開しなくとも、話題、収益を得ている。もし、続巻を出さなければ、大手出版社が他者の宣伝を大々的にしていただけである。この場合、人気がないから打ち切ったとは話が全然違う。
ただ、同人誌と商業展開ではその収益に大きな差があると思う人はいるだろう。しかし、この考えは昨今では違っている。これに関しても後述する。
それだけに今回の商業展開とは、”出版社が出版をして”あげたというよりは、”作家が出版させて”あげたといえるだろう。このパターンは何も『ケモ夫人』に限った話ではない。
同じ講談社の漫画作品、『シャングリラ・フロンティア ~クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす~』にしても似た傾向がある。また、後で比較対象として語る、『姉なるもの』は完全にこのパターンといえる。
さて、今回はここらに関して語ってみたい。ただ、内容に関しては単純で分かりやすい物があったので、これだけでも見て納得していただければと思う。
■同人誌と商業
さて、そもそも同人誌から商業連載されるケースというのは珍しくはない。文学でいえば、日本の近代文学においても同人誌の存在は外せないし、同人誌という歴史でもここは外せない。
そこから語ってもキリがないし、漫画における同人誌から商業連載も意外に歴史が深い。個人的な感覚では、同人誌即売会を題材にした『大同人物語』(平野耕太 )が雑誌連載されたのが1996年であり、この時点で漫画における商業、同人誌というボーダーがなくなっていたと言えるだろう。
ここを語るのは難しい話とはなるし、今の漫画産業を作り出した赤本、貸本にしても同様に同人誌から商業という見方もできよう。
ひとまず、『ケモ夫人』のような流れは昨日今日始まった話ではないことだけ押さえて、次へと話を進めていきたい。
■同人誌版と商業版という二つが共存する作品
今までは同人誌での作品が商業連載になっても、同人誌が設定ベースであり、商業での作品が正とするケースが多かった気がする。『GUNSLINGER GIRL』(相田裕)なんかもそうだろう。
ただ、この同人誌から連載に至る経緯は明確には知らないが、よく聞く話は同人誌即売会で出版社が声をかけ、商業デビューする流れだろう。今でも、同人誌即売会で出版社が出張の持ち込みブースを出していたりもする。
そういった流れを作品としたのが『こみっくパーティー』というゲームである。こちらのオリジナルの発売が1999年である。内容はフィクションであるが、それでもスタッフの内輪ネタ入り込んだ作品でもある。
ともあれ、この時代ではまだ、”出版社が出版をして”あげていたといえる話である。
それが”作家が出版させて”あげたといった感じに変化していった一つの作品が、『姉なるもの』(飯田ぽち。)であろう。
これは『姉なるもの』のアニメ化に対して、同人誌を黒歴史化、なかったことにしないことが前提でアニメ化を認めたと作者が動画配信内で語っていた。それは、この作品の同人誌は成人向けの内容であることから発言である。
また、同様な話として同人誌の執筆が優先され、商業連載が遅れることも出版社側に認めさせているとの内容も配信内で語られていた。
先ほどから発言のソースが動画配信としている辺りも、出版社からの制御がされてない部分である。また、この同人誌版も黒歴史はおろか、各種電子書籍サイトが現在も簡単に読めるようになっている。
『姉なるもの』に関しては、同人誌版と商業版が同時に存在してなおかつ、同人誌版でも収益を得ている。こうなっては作品、収益でもどちらが主か分からなくなる。
そもそも、どちらかのウエイトが大きければ、当然そちらへとシフトしているであろう。それだけにこの場合でも、同人誌は趣味の範疇を超えている。
また、同人誌での収益というのは、最近では漫画連載するよりも高いという事実が周知され、多くの漫画家か同人活動等をしている側面もある。実際、商業誌での漫画連載のための資金を稼ぐために、同人誌を描くという漫画家もいる。
この話題だけでも長くなるので一旦はやめておくが、既に人気を獲得している者にとって同人誌だけでもやっていけるのが現状である。
ともあれ、既に収益性が確保された作品を商業展開するというのは、今までは考えられないことではあった。そもそも、読者からすれば、どちらのオリジナルだけに両方買う人も多いだろう。そう、読者にとっては同人誌版と商業版という垣根はない。
しかし、出版社からすれば売れるコンテンツの話題性、収益性も自身で管理したいはず。だが、”作家が出版させて”あげるでは、それは難しいこととなるだろう。
■追記(2022/3/27)
『姉なるもの』の売り上げ部数について、作者Twitterで挙げられていたので追記として載せておきます。
商業連載版100万部に対して、同人版50万部をどう見るかはこの数字だけでは足りない部分もあります。商業連載版によって同人版が部数を伸ばしたという点もあるからだ。
ただ、現在の結果だけで考えると、元々の記事内でも書いてはいるが収益の点では同人の方が上だとは言えてくる。
■今はテレビへの出演が踏み台にすらならない
このことは近年、テレビでも起きている現象である。
そう、テレビ番組でネット配信する、YouTuberに出て貰っている点と同じである。ただ、彼らにとってはテレビに出るよりも、動画配信で稼ぐ方が効率がいいと知ってからはテレビに出るのを控えているとも聞くのだが。
どちらにせよ、自身の番組と収益性を持つYouTuberにとって、テレビに出る理由など“広く”顔を知って貰うぐらいでメリットがない。何せ、知名度も収益も既に得ているのだから。そうなれば、残るのは“広く”知ってもらうぐらいしかない。
テレビを見ていても一昔前までは、”テレビが出演させて”あげていたが、今は”個人、企業が出演して”あげたに変わっている。特に最近の流行ランキング形式なども、企業側の宣伝番組になっているよう感じる。
また、テレビ番組がムーブメントを作る時代ではなくなっている。これは「新語・流行語大賞」からも読み取れる。明確にテレビ発のワードが少なくなった点からだ。
昨年、トップ10に入った「親ガチャ」にしても、元はインターネットスラングでもある。また、ノミネート語を含めてみても「推し活」、「ウマ娘」などインターネット発のワードが並んでいる。
■他のブランド力を借りる時代
『ケモ夫人』の書籍に関しても感じたの一つに、他のブランド力を借りて付録付き雑誌と似ていると感じた。それに『鬼滅の刃』とのコラボをした缶コーヒーだけで営業利益が倍増してしまった例もある。
これはいいことなのか、悪いことなのかは一概に言えない。ただ、他のブランド力だけで売り上げが上げていることは、本来、自社のブランド力のなさを示してはいないだろうか?
先は漫画側のコラボを例に出したが、出版社サイドでこのことを考えるには『進撃の巨人』(諫山創)を例にすることで分かりやすいだろう。
この作品はジャンプに持ち込みしたが断られ、その後、マガジンの編集部へ持ち込みして連載に至ったことは有名である。そして、その際の読み切り版から、担当編集者とともに現在の形へと変えていったとある。
『進撃の巨人』とは作家と編集部が二人三脚で作り上げた漫画作品というる。これは今までの漫画作品の作り方にいえることである。
それもあってか、『進撃の巨人』は講談社内でも多くのスピンオフ作品が作られている。確かに作品の権利は作家にはあるが、共同作業ともいえる場合では作品が作者の手を離れることに対しても強くはいえないだろう。
しかし、他のブランド力を借りていては、これがしにくい。権利が作家に全て持っているからだ。先に語った『姉なるもの』に関しても、アニメ化に対して条件を突きつけている。そして、これは権利以上にマージンにも関係は出てくるだろう。
■『ケモ夫人』の知名度を頼る企業は一つではない
さて、『ケモ夫人』の商業展開にはTwitter連載を紙の本にする以外にも、展開している。それが音声作品、ASMRである。
ただし、こちらの音声作品は単行本とは別の出版社によって作られている。
つまり、『ケモ夫人』のブランド力は複数の企業が借りた状態である。
それもあって、『ケモ夫人』の単行本が従来の形とは違っていると、発売前から感じていた。それもあって、冒頭での商業出版された意味が分からないという思いが強かった。
ただ、この点はどう考えればいいのか分からないし、今回の件とは一旦はいいと思い、紹介程度とさせていただく。また、ASMR自体も企業よりも個人が強く、わざわざ『ケモ夫人』のASMRを出す理由があったのか分からない。
特にこの手の販売サイトでは販売数が、誰からも分かるようになっている。それだけに人気が数として可視化された状態だ。
恐らく、売れ行きよりもこの人気に便乗したいのもあるだろう。そして、作者とは良好な関係を事前に持っておきたいのだろう。
■今後は作家から出版権を獲得するのが編集の仕事となるのか
講談社の採用面接でこんな質問があったそうだ。「1万部売れているとんでもなく面白い漫画と、100万部売れているけど、ありきたりとしか言われない漫画、どっちを担当したいか?」
この質問は随分と前だけに、今だとこの質問内容が編集の仕事とマッチしていない可能性もある。
何しろ、今、講談社の漫画作品というと人気コンテンツのコミカライズ『Fate/Grand Order -turas realta-』。『可愛いだけじゃない式守さん』、『未熟なふたりでございますが』などのTwitterなどのネット発漫画。 そして、「転生したらスライムだった件」を初めとして、漫画アプリでも押す異世界モノ、なろう系コミカライズなど。
他のブランド力を借りた作品が主流になりかねていないだろうか。中にはYouTuberとタッグを組むケースもある。
これは別に講談社に限って傾向ではないが、漫画作品は他のブランドから借りることが珍しくなくなったとは明確にいえるだろう。これに対して、良い悪いといいたいのではない。ただ、そういう流れに変わっているといいたいだけだ。
では、こういった時代での編集の仕事とは何か?
それは”作家が出版させて”あげて貰えるための交渉となっていくのではないか。これからの編集にとっての担当とは作家とともに作り出すではなく、作り上げたモノを探し出すになっていくのだろうか。
そもそも、「シャングリラ・フロンティア」という作品がコミカライズされているが、この原作小説はネットだけで掲載された作品である。こういった形態も最近は珍しくもないが、しかし、この作品は書籍化、コミカライズする前のネット公開時点からアニメ化を望む声を多かった。
それだけに原作小説も書籍化すれば、出版社も利益を生む存在であったはずだ。コミカライズ版だけでも現在、180万部突破しているのだから。
しかし、現状はコミカライズ権だけを作者から許可されている状態。原作小説の書籍化は話はあったことは作者からも語られている。
これにしてもどのような形であれ、出版社側ではなく”作家が出版させて”あげないという選択をしている。
その代わりにコミカライズ権は交渉できたのだろう。
また、そういったコンテンツを作家というか、自社で管理しているのが「Fate/Grand Order」等のTYPE-MOONになってくる。書籍化、コミカライズを他者に頼ることなく、自身の書籍ブランド、TYPE-MOON BOOKSからもコンテンツを発信しているのだから。
■最後に
こうは語ってきたが、出版社で出版してもらうこと、作家から出版することの優劣は当然できることでは無い。様々なケースがあるし、その単体ケースであっても、どちらの選択がより良いかも簡単に決められる話ではない。また、良い悪いという話でもない。
ただ、一昔前のように”出版社が出版をして”あげるという選択肢のみの時代は終わっている。大体、”作家だけでも出版”ができる時代である。
漫画家という職業は出版社からお金を貰ってのみ生計を立てるのではなく、直接、お客からお金を貰っても成立する。これは同人誌という形ではあるが、今風にいえばCtoC、「Consumer to Consumer(個人間取引)」である。転売問題などの負の側面でも騒がれているが、フリマアプリもこのCtoCである。これによって生活が大きく変わった人もいるだろう。
それだけにこの問題は作家側だけでなく、出版社などの企業においてもより選択が求められることとなってくる。個人間だけでビジネスが成り立っているのだから。
『ケモ夫人』の商業出版で感じたことをまとめて見たが、昨今の漫画業界だけでなく様々な生活で変化がある。それだけに漫画業界でも変化がある。
また、収益性の面でも雑誌や単行本の印税だけでなく、漫画アプリでの広告費も作家に還元されていると聞く。それだけに単行本前から多くのPVによる話題性と収益性を確保した『ダンダダン』、『タコピーの原罪』は出版社によるネット発の漫画がある。こちらは集英社の作品ではある。
また、『ケモ夫人』が商業に至った切っ掛けは、編集というよりは漫画家からの推薦だったようだ。
このような自社の社員が適した友人、知人を紹介する形態を、リファラル採用というが近年、企業でも注目されている。そういった漫画家によるネットワークから発掘される話も増えていくのかもしれない。
そして、同人誌そのものが商業誌となることも『ケモ夫人』以外にも多い。その上でデジタルコンテンツは紙とサイズ比、色合いが違う為、そのまま紙媒体に置き換えるには難しい問題も出てきている。
どちらにしろ、現在では出版に取り巻く環境は従来どおりでなくなっている。それだけに時代にあった姿へとアップデートすることは、今後より必須となっていくだろう。
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