なろう系は基本無料のコンテンツ? 無料層と購入層のずれ
■なろう系は基本無料のコンテンツ?
小説投稿サイトから商業化した作家のTwitterでの発言は、自分に取って賛同しかねる部分が多々あった。ただ、その多くが商業デビュー前のweb上での身内ノリであれば、理解は出来る。
それでも商業化、お金を払って作品を買って貰っているのに、それを無視したような言動も多く、この思いは私だけでなく、一部では炎上に至るケースも度々起きていた。
ただ、この点を冷静に考えると、なろう系作品というのはその原作、更にはコミカライズ、そして、アニメを含め基本無料で読めるコンテンツだと気が付いた。お金を出さなくとも少々の時間、労力で読めのである。
それは某漫画村のような違法な場で読めるというわけでは無い。
ここは少し説明しておくと、小説投稿サイト『小説家になろう』で掲載された作品はその規約の関係もあり、商業化された書籍とwebで掲載されたモノでは大きな差異がない。だから、書籍で買わなくとも、無料で読むことが出来る。確かに書籍とwebで展開が違うモノもあるが、これは少数派である。
また、そのコミカライズであっても漫画アプリでの連載が多いため、基本無料で読むことは出来る。紙の雑誌で連載されていても、漫画アプリ等で読むことが出来る。一応、無料で読める部分は限定されているが、そこは時間、労力をかければ無理に有料にいたることもない。
そして、アニメに至っても地上波であれば、テレビがあれば無料で見れる。また、ネット配信であっても一部では無料で見る事ができる。近年においては円盤、映像ソフトウェアでわざわざ見る必要性は薄い。
これは何もなろう系作品に限定された話ではないが、しかし、なろう系作品に置いてはこの傾向が強い。
それゆえ、小説投稿サイトから商業化した作家、いわゆる、なろう作家が作品にケチを付けるなといった発言は、「無料で読めるモノ」という条件を付け加えるのなら正論であろう。
しかし、それでは口も出す必要も無ければ、金を出す必要性も無くなってしまう。
ここ最近、話題となっていた「なろう系叩き」とはこの認識のズレによるモノもあるのではないだろうか?
作家を含めた、なろう系作品を無料で読むのコミニュティと、お金を出してまでなろう系作品を読むでは、同じ読者であっても根本的に違うというしかない。
■重課金『ファイブスター物語』
すこし、話は変わるのだが、つい先日も新刊も出た『ファイブスター物語』という作品がある。知らない人にこの作品を説明するには難しいが、ただ今はロボットモノの漫画という認識で問題ない。
ここで話したい内容は、作品の物語などではないからだ。
この作品は現在16巻まで出ているが、それ以上に公式関連書籍が出ている。その関連書籍の主は登場するキャラクター、ロボットのデザイン、設定資料がほとんどで、資料は漫画本編ではまだ出てきていない要素も掲載されている。
最近は本編が進むことによって、設定資料の要素も消化し始めているが。
さて、これらの書籍は大型本もあり、『F.S.S.DESIGNS』にいたっては一冊3000円以上となっている。
『ファイブスター物語』を読み解くにはこういった副読本は必須では無いが、十分に理解するには必要となってくる。実際、漫画の単行本だけでも豊富な設定資料が載っており、読み取っていかないと作品を理解はできない。そして、作中での年表を頭に入っているかどうかでも、感じ方も違ってくる。
特に新刊である16巻は本編でも小出しされていたが、設定資料での伏線の回収が多くされていた印象が強い。
また設定だけでなくとも立体化されたロボットなど、この作品の楽しみ方は多岐にわたる。一旦は漫画作品だけに限定しても、『ファイブスター物語』を読むには、金銭のコストと読み解く時間が多く必要な作品である。
ある種、『ファイブスター物語』は重課金によって読まれ、支えられたコンテンツである。それは愛された作品という言葉では片付けられない。
■無料層と購入層のずれ
少し前まで漫画を読むことはお金を出す必要があった。それは『サザエさん』の作品の中でも床屋だったり、病院で何とか漫画を何とかただで読もうとしていたり、そもそも、立ち読みで済ませようとするシーンが出てくる。
しかし、今は基本無料で漫画が読めてしまう。そして、これは完全に若い年代にとって常識になっている。
ここは某漫画村の影響はわずかながらにあるかもしれないが、それでも正式サービスによって違法漫画サイトは駆逐を始め、基本無料のシステムでの収益性は重視し始めている。これは読者だけでなく、運営サイドでも常識となり始めている。
そんな基本無料で読める漫画作品は質が低いことはよくある。特に、そのやり玉に挙げられるのが、なろう系コミカライズだったりする。
どちらにせよ、漫画アプリにとっては質よりも数を集めることが、収益の面でも重要になってくるからだ。そして、話題性でも既に人気のあるweb小説は話題性だけでなく、制作コスト面も含め有利となる。
無料で読む分には読者にとって、質によるリスクは大きな問題にはならないだろう。しかし、漫画作品を購入して読む層からすれば、基本無料で読めても書籍となって金を払って読んでしまえば、質の善し悪しとは重大な問題だ。
これが、無料層と購入層のずれの一つではないだろうか。
ただ、この漫画は購入して読むという概念は、少なくとも数十年も経てばより少数派となるかもしれない。
先日も『こちら葛飾区亀有公園前派出所』が24時間限定で全話無料にされていた。少し前には『ONE PIECE』が90巻までをで無料公開されていた。
これらのビックタイトルなら十分に書籍購入での利益が出ているから、無料公開も出来る芸当ともいえるが、それでもタイミング次第ではビックタイトルも無料で読めるという話になっている。また、漫画アプリの読み放題などを使えば、購入するよりも少ない投資で漫画を読むことは出来る。
こうなっていた場合、無料層と購入層の作品に対する思いとはいうのはどう変化していくのか。
仮になろう系作家が求める批判なき感想を求めた場合、それは良い形となるのだろうか。そもそも、基本無料というのは購入層がいることで、無料層が存在できている。
また、質が低い点は安いコストで作られている場合もある。無料層が多い媒体であっては潤沢なコストは用意できるだろうか。
映像配信サービスは無料と違い、定額制であるがゆえに多くのシェアを確保できれば、オリジナル作品に対しても潤沢な制作費が投入できる。
その中でもアニメは低コストで作れる上、話題性も高くコストパフォーマンスは良いとは聞く。ただ、ここに関しては出資者と制作者が必ずしもwin-winな関係で無いとも聞く。
これら考える材料が多くては、いくら考えようと答えなどそう簡単に出てこない。
■制作パトロン時代か?
TRPGシナリオ『狂気山脈 ~邪神の山嶺~』を原案としたアニメ映画制作企画の第一歩となるパイロット・フィルムをクラウドファンディグが開始されたが、ひとまずの目標金額800万は開始20分で達成されたようだ。
放っておいても、今は基本無料で作品が見られる時代において、企画に賛同して出資してまで作品を望むというのは、どうなのだろうか。
こうなってくると一読者というよりは、出資者として作品を見守っていくことになるだろう。
無料と購入だけでなく、パトロンになるという様々な選択肢の中では、どの在り方が今後の主流になるかはまったく見えてこない。それは作品を作るクリエイターだけでなく、受け手である読者、その制作に関わる会社なども同様だろう。
それだけに、その在り方に正解がない時代に突入している気がする。
■編集サイドの変革(投稿後追記)
これは書き終わった後に目にした内容が、今回の件とかなりリンクするため追記させて頂いています。
上記の記事は色々と見ていく点が多いのだが、今回の件とリンクするところだけ上げていく。記事の内容はKADOKAWA在籍してなろう系というジャンルを編集していた人の退職エントリかつ新規会社の立ち上げである。
また、この人の経歴は新規会社の略歴にもあるが、「無職転生」「盾の勇者の成り上がり」など異世界転生系作品を編集者としての立ち上げである。
さて、これだけの情報で何か見えてくる人がいれば、それは類似する話題にを過去に見てきた人であろう。このようなラノベ、なろう系での経歴で独立した人と言えば、三木一馬氏である。
では、この両名はKADOKAWAという大手にいて、独立を選んだのか。
この理由は様々だろう。また、編集関係に籍を置いてない私にはその理由など知る手はない。だが、そういう流れにある事は別の記事からも読み取れる。
つまりは編集者が大手出版社を辞めても今なら、電子書籍、漫画アプリなどでの新たな道というか多くの席が存在している。そして、これは先の両名に限った話でもないようだ。
今回、語った様に今の変革は作り手、その受け手だけではなく中間に関する編集に対しても大きく動いている。それは、この退職エントリだけでも十分に読み取れるだろう。
また、類似の話題として、こちらも話だけはしておきたい。
名越稔洋氏に関しては以前から中国のゲーム会社に引き抜かれるといった話題が出ていた。今回はまだそこまで確定の話ではないにして、セガを退職下とのことで、いよいよ中国のゲーム会社への引き抜きは真実味を帯びてきたというところ。
名越稔洋氏に関してはゲームを作る人という印象は強いだろうが、肩書きはプロデューサー、制作全体を統括する職務である。この事からも作り手というよりは編集サイドである。
これに関しても、引き続き注目していく話題ではあるので、今回はこの話題もあるというところで終わっておきたい。
しかし、これが今回の記事を書き終えた後に目にしたことは、何らかの啓示とも言える気がした、投稿した後とはいえ追記に至った経緯である。