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初めてのマインドフルネス体験談

追悼、
という言葉はガラでもないですが、2023年は僕が半生をかけてリスペクトした男が2人も逝った年なので、今のうちに書いておきます。

人生最悪のうつ状態

の詳細は で書いたので、その時どんなやり方で意志や思考を取り戻したかの話です。

「目をつむって好きな音楽の好きな音に一時間全集中する」
という訓練でしたが、その際に使ったのはROSSOという邦ロックバンドです。

二人はここで宇宙船を見てた
闇が人を埋め尽くしてもまだ
鹿の群れが撃ち殺されても
二人は逃げるつもりはなかった

チバユウスケ 星のメロディー

この世への興味も関心も何一つ持てなかった時代に、結果としてひとすじの命綱になったのがこういった音楽でした。

タンポポの種にも聞こえないくらい小さくFuckYou

ギターボーカルのチバユウスケはわれらアラフォー世代の青春時代にフェスで観客を何人も失神させ、最近リバイバルされたスラムダンクの主題歌を歌いながらあの世へ逝きました。

還暦も迎えていません。

若い人には分かりづらいかもですが、僕やそれより上の世代の男はたいていロックンロールに弱いです。

今でいうヒップホップの代わりに、J-popのど真ん中にはロックバンドがいたからです。

BOØWY、氷室京介からXとhide、L'Arc〜en〜Ciel、GLAY、LUNA SEAとかマジで懐かしい、そんな時代でした。

いつの時代も洋楽を模倣し、それを完全オリジナルに変えてしまうガラパゴス日本文化の中でもチバユウスケは独特なミュージシャンでした。

免許も持ってないくせに寒空の下バイクで走る感覚を思い出させ、明日を捨てて酒と女に溺れつつも、太宰治みたいに「弱さ」を売りにしない。

ミミズ腫れのハートひとつ
いつ死んでも構わないけど
タイミングが分からないたけ

チバユウスケ The Outlaws Greenday


そんなパンキッシュな男に憧れるやつは掃いて捨てるほどいました。

当時原宿あたりを歩いてると、パツパツの黒いジーパンにウォレットチェーンをつけ尻をぷりぷりさせて歩いてる男を一定数見かけたものです。

チバユウスケはその昔ミッシェル・ガン・エレファントというバンドでデビューし、その後邦ロックには英単語3つのバンド名が異様に増えました。
アジカンも9パラもそうです。

解散後にブランキージェットシティ(椎名林檎が憧れてたやつです)のベーシストと組んでROSSOをやりアルバムを3枚、その後はBirthdayというバンドでずっと独特のワールドを旅していました。

いま僕はBirthdayの方が好きです。
ひねくれた男が垣間見せる素直で直情的な世界が性に合ってるからです。

シンデレラに羽が生えて飛び立ってった
クツは忘れっぱなし、でも幸せだって

チバユウスケ なぜか今日は

彼が生きていたらこの記事は多分書いてないと思いますが、何かを愛せない人なんていないのだという気持ちを込め、当時使っていたプレイリストを置いておきます。

(2024/3/9深夜、「あいつがいないならロックなんて興味ねぇや」とうそぶきながら未練がましいのも、ひとつのマインドフルな生き方なのだと実感しつつ。)

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