『シャイノグラフィ』について -『Dye the sky.』にも触れつつ-
はじめに
久しぶりの更新になってしまった。書きたいネタがなかったわけでは決してないのだが、どうも書く暇がなかった。今でも暇とは言えないが、自粛のおかげで時間は前よりできた。それに、この話題については今書いておかなければならないと感じたので、こうして筆を取った次第だ。
さて、タイトル通り、今回は『THE IDOLM@STER SHINY COLORS GR@DATE WING 01』に収録されている曲のうちA面、『シャイノグラフィ』について感じたことを書いていきたい。素晴らしい考察や感想を書かれている方もたくさんいて、自分はそれほど大したことを言えるとは思わないけれども、文字にして残しておくことに意味があると感じるので、あれこれと書き連ねていく。『Dye the sky.』については記事を改めたいと考えているが、比較のために言及することになるだろう。また、ノクチルへの言及もあるので、ネタバレ注意です。
本記事で書くシャニマス曲の味わい深さを通じて、『アイドルマスター シャイニーカラーズ』の世界の魅力が少しでも伝われば幸いである。
"shino-graphy"
まずは歌詞の前に、タイトルでもある「シャイノグラフィ」という語について。「光空記録」と書いて"My Shinography"と読ませているのが大好きすぎる!(あとWordその他は"shinography"に赤線を引くな!聴いてからそれでも必要だと思ったら引いてください(?))ともかく、3年目に突入するシャニマス側からのメッセージが凝縮されている素晴らしいタイトルだ。さらに言えば、「シャニマス2年間の軌跡」についても言及しているタイトルであると感じる。以下では、この語の意味について考えてみたい。
ちょっと脱線して、私の守備範囲で話をする。読みとばしても大丈夫。英語の話であるが、辞書を引いて初めて-graphyという形態素が拘束形態素であると知った。要は、別の単語と結びつく形でしか現れない形態素である。「形態素」は、言語において意味を担いうる最小単位のこと。形態素が組み合わさって「語」になり、語が適切に並べられることで「文」ができる。さて、-graphyの意味を『ジーニアス英和大辞典』で調べてみる。「1 書法、画法、写法 2 記述する方法[科学]」とある。後者はgeographyとかの後部要素である。OED(2nd edition, revised)でも調べてみる。「1 a descriptive science 2 a technique of producing images 3 a style or method of writing or drawing; writing about (a specific subject); a written or printed list」とある。ちなみに、古典ギリシア語γράφω(gráphō)は「ひっかく」「書く」という意味であり、-graphyはこの語を語根に含むと見られる。総じて、書くことに関連する事柄を広く表せるようである。例としては、calligraphy「書法」,hagiography「聖人伝」。要するに、「書く方法」も「その方法によって書かれたもの」も表せるわけだ。また、前部要素shino-は、-o-がギリシア・ラテン語系の複合語を作る時の連結部分であり、shine「輝き」という語を後部要素-graphyと結んでいるわけである。
さて、それを踏まえてshinographyという語の意味を考えてみると、「輝きを描画する方法」と「輝きについて書かれたもの」と2つの意味を想定できる。「光空記録」に対応するのは後者だ。これは、過去2年間で歩んできた軌跡を指すと考えてよいだろう。では、前者の意味についてはどうか。これはサビに対応するだろう。1番サビ「透明から鮮明に~新しく記してこう」、2番サビ「パステルより繊細で~シャボン玉の夢は眠らない」あたりが、この先進んでいく道を、夢を、どんな描き方で表現するかということに言及している箇所と言えると思う。
諸々を総合して、この「シャイノグラフィ」という語に込められている意味は、「(自分なりの)描画方法で空に描かれた輝きの記録」ということになろう。この「記録」は、歌詞全体からするに未来志向であり、それは間違いなさそうだが、過去2年間の軌跡も「シャイノグラフィ」であるはずだ。すなわち、過去と未来を内包することばであるといえる。
この「描画方法」は、『Dye the sky.』によってさらに補強されていると感じる。GW01に収録されている2曲は対照的に感ぜられる箇所も多く、比較の価値がある。『シャイノグラフィ』における「描画方法」と『Dye the sky.』における「描画方法」は少し異なるように見える。前者は混ざり合っていて、後者は上書きのイメージ。しかし、連続性はあり、相互排他的なものではない。強調される側面が異なるだけだ。『Dye the sky.』においても、2番で「十人十色の 誰かの (筆あと) 混ざりあう世界の (中で)」とある。これは、『シャイノグラフィ』で歌われている描画方法で描かれた世界に他ならない。その中でも、ひときわ特別になれ、というメッセージであろう。つまり、『シャイノグラフィ』(みんなで支え合って)→『Dye the sky.』(でもみんなライバル、自分らしさを出していけ)みたいな感じなんじゃないかな、と思う。
もっと言えば、『Dye the sky.』は「未来」を否定している。「未来なんて実はどこにもない」というフレーズに見られる通りである。度々の言及となるが、上で「未来志向」と言ったように、『シャイノグラフィ』でも「誰のでもない瞬間を新しく記してこう」とある。これは『Dye the sky.』で強調されている側面に他ならず、両曲で描き出されている思想は一致していると言える。「自分らしさ」と「現在」である。現在の積み重ねが未来なのである。一方、「過去」も (『Dye the sky.』において、)「超えてく(光)」だとか、「昨日の私を打ち破って」のように、打破する対象になっていることがうかがえる。つまり、2曲合わせて「シャイノグラフィ(=輝きの描画方法)」であると言うことも可能なのではないだろうか。
また余談だが、日本語では「未来」を特別に表す形式はない。現在形で代用している。フランス語には未来形があるが、それは元々ラテン語では別の形式だった。他の言語のことをあまり知らないが、我々日本人は未来形がなくても困らない。「過去」と「現在」の区別で事足りることも多い。「未来」を「現在」で代表させるのは、実は自然なことであり、あまり先を見すぎる必要もないということだったりするのかもしれない。しないかもしれない。少なくともシャニマスは、「今を大事にせよ」というスタンスであるように見える。アルストロメリアの感謝祭コミュ然り。
結論、『シャイノグラフィ』また『Dye the sky.』は「自分らしい方法で空に"今"の輝きを描いていけ」というメッセージが通底しているように感じられる。それぞれ別の側面からそのメッセージを切り取って2曲で表現してくれたといえる。オタクの回りくどい拡大解釈であろうが、メッセージは間違っていないと思う。良い曲だ...
歌詞について
ようやく歌詞について見ていける。一字一句にコメントするというのも何だかアレなので、刺さったポイントを言っていけたらいいなと思う。
まず、1番と2番の初めが対応している。「1st page」と「Next page」である。ちょっとした仕掛けだろうが、このような枠組みはすごく好きである。
「透明から鮮明に 不可能から可能性に」の箇所は対句法を用いているとともに「成長」を巧みに表現している箇所であると感じる。「透明⇔鮮明」の対比はノクチルのことを彷彿とさせる。後半は「可能"性"」と言ってるのが好き。0がいきなり100になるわけはなく、それでも0のままでなく、1にすることに意味がある、と言っているような印象を受けるからだ。『ラブライブ!サンシャイン!!』をも彷彿とさせるが、「0から1へ」というのは小さな一歩でも非常に大事な一歩である。
「翼」や「羽」という単語が使われている箇所もある。ここは、「君」の存在が前提とされている。自分自身の「色」が現れるのは「羽」である。前節で触れたことと重なるが、1番AメロBメロ、並びに2番AメロBメロでは「一緒に」「一人でも独りじゃない」のように、「君」=「仲間」である一方で、1番サビ・2番サビではそれぞれ「誰のでもない」「ふとした寂しさ」とあるように、ここではおそらく「君」=「ライバル」という風に、視点の転換が盛り込まれているのではないだろうか。その上でラスサビ前(Cメロ)の「ねえ 最初の色 憶えている? ~ どんな空を飛んでも ずっと…」の箇所を見ると、その両者が組み合わさった感情の表出であるように感じられる。とりわけ、「どんな空を飛んでも」は少しく寂しさを覚えるフレーズである。それでも、「自分らしさ」を出していけというのがこの曲の主なメッセージであると思う。
後はフレーズであるが、「パステルより繊細で モノクロームより純粋で プリズムより多彩で 世界に希望を 見せたい シャボン玉色の夢は眠らない」の箇所が大好きすぎる。何を食べたらこんなフレーズが思い浮かぶのだろうか。めちゃくちゃ綺麗なことばだと思う。「モノクローム」は2年目を彷彿とさせる。この箇所は完成されすぎてて私が言えることは何も思い浮かばない。とにかく好きです。
2番サビ「ギュッと」が力強く歌われているのもポイント高い。おそらく現地で聞こうものならここでうるっときてしまうかも。感情が乗っている感じがすごくいい。
ラスサビ前の「ずっと...」が下がり気味なのに対し、ラスサビ頭の「...ずっと」が上がっているのも好きだ。
総じて、綺麗な表現がちりばめられていて、宝石箱みたいな歌詞だと感じる。自分の乏しい感受性のもとではここまでで述べたくらいだが、これからも聞きこんでいきたいと思う。
メロディについて
音楽には詳しくないが、少しだけ。サビの「上昇」感がすごく良い。ワクワクする感じ。それから、後ろで鳴っているドラムの音が疾走感もあってすごく気持ちいい。ヒゲドライバーさんは神。ありがとうございます。
新ユニット”ノクチル”に関して
現段階では雛菜の実装がまだだが、小糸ちゃんまでのプロデュースコミュを踏まえて少しだけ。
まず、上でも言及したが「透明から鮮明に」はまさしく、ノクチルの「さよなら、透明だった僕たち」というキャッチフレーズに対応している。歌詞全体を見ても、「透明」なキャンバスに自分色を塗りたくっていこうという感じであるし、ノクチルの登場タイミングの曲であるから意識されていることはおそらく間違いない。
AメロBメロの「君」の存在はノクチルの各メンバーにおいて必要不可欠な要素であるということは言える。ノクチルの異質な点は、283プロに入る前から関係性が存在していて、その関係性を手掛かりに(そして芋づる式に?)アイドルになっていくという形である。他のアイドルと違って、純粋なオーディションによる採用やスカウトではないわけである。お互いを意識しながら2人同時にオーディションを受けに来た大崎姉妹という先例はあるが、これは純粋なオーディションによる採用であると言える。透はシャニP、円香は(おそらく)透、小糸は(おそらく)透と円香との関係性を手掛かりにアイドルという門にたどり着いた。「アイドル」になることが第一目標ではない。なんなら透は最後までシャニPとの関係性のためにアイドルを続けてきたという印象も少し受けた。これを指して(アイドルとして)「透明」であるというのは頷ける。一人では自分だけの色は出ないということだろう。『シャイノグラフィ』1番Aメロ「鏡を覗いても自分色なんて自分じゃ見えない」と重なる。しかし、幼馴染の4人がユニットとして集まったとき、それぞれがそれぞれの背中に「君色の羽」を見、「自分色」を得ていくということになるのであろう。ユニットメンバーが絡むサポートコミュと感謝祭コミュに期待である。もしかしたらノクチルのイベントも5月あたりくるかも...?現状が現状なので遅れそうだけど、気長に待とう。
「一人でも独りじゃない」は小糸ちゃんのコミュを彷彿とさせる。「思い立って何かを始める時も」もノクチルの全員に言えそうな箇所である。シャニPがアイドル全員に対して、アイドルを始める時に一番近くで支えてあげていた存在であることは間違いないが、ノクチルの場合はそれに加えて他の幼馴染3人という強い存在がある。
『シャイノグラフィ』を聞きながら、新たな色を283プロに加えてくれるノクチルに期待を膨らませつつプロデュースしていきたいという思いである。
終わりに
かなり冗長であり、重複箇所もいくつかあるだろうが、『シャイノグラフィ』を聞いて感じたことを言語化しておきたいと思い筆をとったことは最初に述べたとおりである。めちゃくちゃいい曲なので全人類に聞いてほしい。そんな思いを込めて書きなぐった。作詞の古屋真さん、作曲のヒゲドライバーさんに惜しみない称賛と感謝を捧げつつ、ここで筆を置く。多くの人がこの曲に出会い、シャニマスにハマってくれますように...。あと、ライブでこの曲を聴いて崩れ落ちたい!ということで、現在の状況が落ち着くのを待ちながらアイドルをプロデュースしていこうと思う。皆さんも周りの人たちに布教してあげてくださいね。そして、シャニマスの魅力が少しでも伝わると嬉しいです。