見出し画像

【短編小説】和馬の母親のこと・その1 連作11

 津矢子が就職したのは、運送会社の事務だった。長距離トラックのシフトを組むのが、その主な仕事だった。集荷場から小売りの配送所へ。部品工場から組み立て工場へ。地方から大量消費地へ。配送センターから配送センターへ。荷を積んで送り届け、そこでまた荷を積んで送り届ける。長い距離の方が儲かるのでドライバーはその方を喜んだ。殆ど休みなし、車中泊でトラックを走らせるのが当たり前の時代だった。荷下ろし荷積みは、本来ドライバーの仕事ではないが、当たり前のようにやらされた。やらなければ、仕事は回ってこない。どう上手くトラックを回すか。どうすれば、カラ輸送を減らせるか。シフト組みにそれはかかっている。勿論、津矢子だけに任されるわけではない。出来上がって事務長に見てもらう。手を入れてもらい、出勤してきたドライバーに集配表を配る。交通事情が良ければそれで済むが、渋滞や事故で予定通り回らないことがある。仕方なしに、戻ってすぐのドライバーに、乗車してもらう場合があった。いやむしろ、その方が常態だった。ひと月、休みがないドライバーなど当たり前だった。
走り詰めで疲労しているドライバーに、またすぐ集配先の紙を渡さねばならない。皆、仕事だから文句は言わない。そんな働き方が当たり前だった。ドライバーはいつも不足していた。そんな時だった。篠田勝明がやってきたのは。
事業部の河田さんが面接した。場所がないので、事務所の一角でやりとりして、内容はまる聞こえだった。
河田さんは履歴書を見ながら、
「ああ、経験者なんだ。前は、当能運輸さん。五年でやめたの。どうして?」
と訊く。
「まあ、金たまっても使う時間ないんで。ちょっと疲れたからのんびりしょうかと思うて」
「そう、で、お金、なくなっちゃったんだ。オート? ボート? 競馬?」
「へへっ。勘弁してくださいよ。仕事はちゃんとやりますって」
「うち前借りなしだからね。んと、事故歴は?」
「ガードレール擦ったことありますけど、そんくらいです」
「本当? 免停とか、くらってない?」
「ある訳ないしょ。勘弁して下さいって」
 簡単な面接で採用予定になった。
「いつから乗れる?」
「ぜんぜん、明日からでも」
「まあ、最終は社長に訊いてみんとな。本採用なら今週中に電話するわ。したら、こっちもシフトとか組み替えなんなきゃなんないし。まあ、電話で言うから」
「はい。じゃ、よろしくお願いします」
 勝明が帰って、河田さんは早速、当能運輸に電話をかけていた。
「うちにきてね。篠田勝明。ん。ん、そう。オタクで五年やってたって。ん。ん。なんで辞めたの。あ、そう。仕事は大丈夫なんだ。ああ、やっぱり、オートね。そう。まあ、大人だから、遊ぶのは自由やしね。仕事さえ。そう、そう。ああ、そうなんだ。ありがとう。また、よろしく」
顔を河田さんに向ける。
「オートだってさ。借金で首回んなくなって、会社に給料押さえに変なのが来て、それで辞めてもらったって」
「大丈夫なんですか」
「まあ、人手不足だしなあ。借金のカタついてんなら、まあ、雇うかな。仕事はきっちりやるってさ」
「そういう人って、その借金て、どうやって返すんですか」
「さあねー、親に泣きつくか。女作って貯金吐き出させるか。知らんけどな、矢田ちゃんも気をつけなよ。あんなのにつかまったら大変だよ」
「はあ」
と人ごとだった。それが本当ごとになるなんて、思いもよらなかった。
     ※
最初に声をかけられたのは、勝明が採用になってひと月目くらいの昼休みだった。
「矢田さん、だっけ」
事務所のお茶っ葉がなくなったんで買いに行った帰りだった。
「はい。矢田です」
勝明は仕事上がりでトラックを洗っていた。
「お綺麗なんで気になってて」
聞こえないふりをして、一応、挨拶程度には会話はしておく。
「どちらまで行かれてたんですか」
「仙台」手を止めて、私を見ている。「上がりなんだ。明日、明後日休み取れてさ」
「はい」
シフトを組んでいるので知っている。
「矢田さんて、独身?」
 え。ちょっと警戒した。何が聞きたいんだろ。
「娘がいます」
「あー、結婚してんだ」
「はい。ああ、まあ」
 夫は油島興産の爆発事故で亡くなっていた。でも、そんなことまで、言いたくはなかった。
「でも、独身なんでしょ。旦那いなくて」
 なんだコイツ。誰が言ったんだろ。
「明日、日曜しょ。どっか行かない。娘さんも一緒でいいよ」
ホースから溢れる水を口に近づけて飲む。目だけが私を見ている。それからまた車体に水をかけてブラシで擦る。
「大変なんだよねー。トラックってデカいしょ。時間、かかんだよね。でも、洗うの俺、好きなんだよね。いい加減に洗ってるヤツの車に乗るの、俺、ほんとヤだから、俺はちゃんと洗うんだよねー」
 なんで私は突っ立ってるんだろ。気がついて歩き出した。
「ねー、矢田さん」
立ち止まって振り返る。
「はい。なんですか」
「返事、聞いてないんだけど」
「私、明日、お休みじゃないんです」
 角が立たないように、そう言った。実際、休みでもなかった。トラックが出ているのに、事務所に誰もいないでは困る。休みを振り替えて、事務所には誰かしら複数人いるようにしていた。明日は出勤だ。
「そうか。ざーんねん」
もう私には関心がないようで、トラックの洗車に没頭する。私は事務所に戻った。
 次の日、出勤すると、事業部長がもう来ていて、電話をかけている。話しながら、私に気づくと手招きされた。
近寄ると、ちょうど要件が済んだのか受話器を置く。
「参ったよ。東名で事故だってさ」
「えっ。うちの車ですか」
「いや、それは大丈夫なんだけど、止まって動けないんだ」
「ああ」
「今日、非番誰だっけ。もう一本仕事が入ってんだよ。近場だから、戻ったら行ってもらおうって思ってて」
「明日じゃダメなんですか」
「事情、話したんだけど、先方さん、なんとか今日中でって」
「ほか、回せないんですか」
「あちこち電話してんだけど、なかなかダメでさ。矢田さん、非番の人に、出れそうか訊いてくんない。こっちはこっちでやるからさ」
「わかりました」
勝明に電話をかけた。電話はすぐにつながった。
「おはようございます。矢田です」
「あ。遊びに行けるの」
「そうじゃなくて、仕事の話です。東名で事故があって、車が回らないんです。篠田さん出れますか」
「え。俺、帰ってきたばっかだよ」
「すいません。お休みは必ず振り替えますから、お願いできませんか」
「積荷は何?」
受話器を手で塞いで、事業部長に、訊く。
「積荷、なんですかって」
向こうも受話器を塞いで答える。
「鮮魚」
すぐに電話に戻る。会話は聞こえてたらしい。
「あー、じゃ今日中だねえ。スーパーで並べるもんなくなっちゃうもんねえ」
「来れますか来れませんか。なんか、予定ありますか」
「実は娘と遊ぶ約束でさ」
「えっ」
「はは。冗談冗談。俺、独身だもん。まあ、矢田ちゃんの頼みなら断れねえか」
「いや、私の個人的な頼み事じゃなくって」
「わかった。行くよ。行くって部長に伝えて。30分後、到着しますって」
 約束通り勝明は来て、昼過ぎには配送を終えて戻ってきた。
「篠田さん。やー、助かったよ」部長は上機嫌で迎えた。「洗車、いいから。今日はもう上がって」
「はいまいどー。あー腹減った。矢田ちゃん、飯食った?」
今日は日曜なんで、なんとなく弁当づくりが億劫で、鞄には菓子パンが2個入っていた。
「まだです」
「今日、弁当?」
「いえ」
言ってしまって、シマッタと思った。
「じゃ、飯食おうよ。部長。1時までに返しゃあ、いいですか」
「ああ。いってらっしゃい」
事業日誌をつけながら、こちらも見ずに部長が言った。
いつの間にか、勝明と昼ご飯を食べるハメになっていた。今朝、頼み事をした手前、私も断りづらかった。
     ※
 会社近くの町中華に入った。
「なんにすっかなあ。俺、麻婆茄子定食。矢田ちゃんは」
「チャーハンにします」
「奢ろっか」
「いいです。払います」
「え。なんか、冷たくない?今日はせっかく矢田ちゃんの頼み事聞いてあげたのにさあ」
「仕事上です」
馴れ馴れしく話しかけられるので、困った。注文の後もあれこれ訊いてくる。
「今日とか、娘さんどうしてるの」
「母に預かってもらってます」
「へえ、おいくつなんですか」
「小学校三年生です」
「そうなんだ。じゃ、お留守番もできる年だ。日曜日、遊びに行けるね」
返事はしなかった。
食べながらも、あれこれ訊いてくる。適当に話を合わせていたが、ある一言で手が止まった。
「ご主人、油島興産の爆発事故で亡くなったんだって」
「・・・」
「大変だったよねえ、あの事故」
「・・・」
「ちゃんと賠償金もらえた? もらえなかったから働いてんの?」
「戻ります」
チャーハン代をテーブルに置いて席を立った。
「ごめん。怒った?」
顔も見ずに事務所に戻った。
          了


いいなと思ったら応援しよう!