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【短編小説】天ぷらの種が全部サツマイモであること 連作5

 その人が来れば、欲しいものは何でも買ってもらえた。サッカーボールでもグローブでもバットでもスパイクでも。野球版でも人生ゲームでも電子ブロックでも。本でもノートでも色鉛筆でも。書道セットでも勉強机でも図鑑でも漫画でも本立てでも。デコデコの自転車でもライダースナックダンボール一箱でも。
「そろそろ音楽に興味が出てくるじゃろ。したら、次はラジカセかの。それとも本格的にステレオか。それを越えればギターかドラムか。ジイジは金がなんぼあっても足らんのう」
 平吉はわざと顔をしかめて困ったのう困ったのうと黄色い歯を見せる。入れ歯でないのが平吉の自慢である。
「カズ。今度は何もろうたん。ジイジにお礼言うたの」
 母は台所でサツマイモの天ぷらを大量に揚げながら、僕に問うてくる。
「言うたよー」
言ってないが、そう答える。礼を言おうが言うまいが、平吉には関係ない。
 ジイジ。が、正しく言えば平吉は祖父ではない。父親だ。父が正しい。お父さんと言うのが。七十半ばのお父さん。流石にどうかと思ったか、平吉は自分をジイジと呼ばせた。
「本当に言うたんかー」
「言うた言うた」
「ホンマにか?」
母が言うと、「まあまあ、ええじゃないの」と平吉が間に入る。平吉は僕の頭を撫でる。不快でも我慢しなければならない。なぜなら僕たちの生活はすべて、この平吉に依っているからだ。最低限の愛想は振りまき続けなければならない。
「そら、揚がったよおー」
そう言って母は大皿に山盛りのサツマイモの天ぷらを持ってきてテーブルの中央に置く。兎に角、平吉が来る時はサツマイモの天ぷらなのである。平吉は飯と味噌汁が揃う前に、いただきます、も言わず食いつき始める。飯と味噌汁を置きながら母が言う。
「あんた、いただきます、くらい言うたら。和馬もおるんじゃし、行儀悪いわ。真似するようになったらどうするん」
「いや、すまん。ワシは兄弟が多うての、うかうかしとったらオカズがのうなる家で育ったんじゃ。勘弁せい。ああ、旨いのう。これが一番じゃ。お前の揚げる天ぷらが一番じゃ」
 食い終わって、もう二つ目に箸を伸ばす。
「旨いじゃろう」
母の声が湿っていて、カンに触る。
「いただきます」
そう言って味噌汁を飲む。僕の飯の上に、平吉は勝手に天ぷらを載せる。
「食え食え。旨いぞ。食え食え」
 頭を下げて、天ぷらにかぶりつく。
「でな、金曜日、学校に呼ばれたんよ」
 さっきの話を母は続ける。
「呼ばれたちうて、行くことがあるか。話を聞けば、そのなんちゅうたかの」
「関根」
「その関根いうオナゴが先に手を出したんじゃろがい。しかも勘違いで。カズは殴られるの防いだだけじゃろ。何でセンコがお前を呼び出すんじゃ。道理が通らん」
 喋りながら口は止まらない。もう三つ目の天ぷらに食らいつく。
「そうなんよ。アタシも合点がいかんでね、文句の一つも言うたろう思うて、学校行ったんよ」
「おうおう」
「んで、教室入ったら、両親揃うて、神妙にしておってな」
 母も天ぷらを摘む。競争のように天ぷらがみるみる無くなっていく。
 ククッと笑って、母は口を押さえる。
「なんか、どうしたか」
「それがの。うちが教室に入ったら、もう両親とも青い顔での、立ち上がって深々と頭を下げるんじゃもの。先生もビックリしての、いやいや関根さん関根さんちうて」
「ほう、なして?」
「それがの」我慢しきれんように吹き出しながら、母は言う。
「関根さんとこのお父さん、油島興産にお勤めなんじゃと。最初のご挨拶の時、すぐに言うたわ」
「あ。あ、そりゃいけんわ」
 平吉も大笑いする。母も大笑い。平吉は油島興産の会長である。その場面を思い出したか、笑いはおさまるようでぶり返し、たっぷり三分は笑っていた。
「そりゃ、そりゃ、関根さんもたまげるわな。腹が痛いわ」
 そこへ姉が帰ってきた。日曜日なのに制服を着ている。
「おかえり。なんね。制服って、今日学校でなんかあった?」
「ただいま。なんでもない」
「着替えたら、食べちゃり」
「ちょっと具合が悪いんじゃ。ごめん。横になる」
言って、姉は自分の部屋に入る。話の腰を折られて、馬鹿げた話の盛り上がりが静まった。だが、母は区切りまで喋りたいらしく、話を続ける。
「先生の話は、電話で聞いちゃった通りで、関根の娘の勘違いで、和馬の非はない。けんど、娘さんが怪我したんで、まあ、女の子じゃし、親御さんに御足労願うた、とか言うちょった」
「んで、謝ったんか」
口の中を天ぷらでいっぱいにしながら平吉が訊く。食べながら喋るんで、口からボロボロボロボロ天かすがこぼれる。あぐらをかいた膝に落ちるのを、これも喋りながら母が拾う。大きい塊は、時々口に入れたりする。
「いや、和馬は全然悪いこたあないのに、あんで謝らんといかん」と母が言う。
「さうじゃそうじゃ」
「と思うたが……」
 いたずらっぽく、母がほくそ笑む。
「なんか。謝ったんか。謝ることなかろうが」
平吉が箸を振って、母に文句をつける。
「まあ、聞いちゃりいね。思うたんじゃ。こっちは全然悪うない。向こうは油島の社員じゃ。恐縮して謝ろうとしちょる。後腐れないよう、メンツで学校はアタシを呼んだ。じゃあの。逆に先に謝っちゃろう思うてな」
「逆に?」
「あいつらどうせ陰でアタシのこと悪う言うちょるに違いない。妾とかなんとか。蔑んじょるに違いない」
「前、なんか言われたんか」
「面と向かって言うわけがないじゃろ。じゃが、そりゃ分かるいね。話しちょると分かる。言葉の端々にな。アタシを軽う見ちょるってな」
「おう。そんななか?」
「そうじゃ。あんたが知らんだけじゃ。アタシも、和馬も、花乃も感じちょる。知らんふりはしてあるがな」
「そりゃあ、そりゃあ、すまんことじゃ」
平吉は僕を見る。僕は黙って箸を動かす。その場にいたので、ことの次第は分かっている。どんな思惑で母があんな行動をとったかなど興味はなかった。母には痛快な話なのだろう。僕は、僕は別にどうでもよかった。
「謝り倒しちゃったわ。本当に申し訳ございません、いうて。娘さんのお怪我はいかがですか。大丈夫ですか。本当に和馬が申し訳ないことしでかしまして。勿論、もちろん、治療代は払わさせていただきます。迷惑料もお払いいたします。どうぞ、どうぞ許してください。由里子ちゃん。うちの和馬がごめんねえー、ごめんねー、ちて言うてね」
さっきの勢いが戻ってきた。母も口から天かすを飛ばす。食欲が無くなって、箸を置いた。
「ほほう。おまえ、考えたの。そりゃオモロイわ。どないな顔しちょったか」
「そりゃあもう、夫婦共々泣きそうで」
二人とも実に愉快そうである。
「じゃから、あんた、関根さんのこと悪うしちゃあ、いけんよ。アタシのしたことが嘘になるけえね」
「承知承知。金一封でも渡したいくらいじゃ」
「全く、人のこと陰で馬鹿にしくさってええ気味じゃ」
「ごちそうさま」
立ち上がって、自分の部屋に行く。自分の両親を見つめる由里子の強張った顔を思い出した。
「どうでもいいし」
そう呟いていた。

           了

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