泣く男
「源氏物語」をお休みして、「七帝柔道記Ⅱ」を読むつもりであった。本も買った。さて、と数ページ読むと、「Ⅰ」を全て忘れていた。いかん、と思って「Ⅰ」を読み直した。「Ⅱ」に移ろうとしたら、今度は「源氏」が気になり出した。で、今、源氏に戻っている。同時に読まないという舌の根も乾かないうちに、この優柔不断である。誠に私らしい。
ど根性筋肉小説を読んだ後、腕力皆無、女性をひたすら口説きまくる物語に移る。バキバキ、ガツガツ、モリモリ小説から、ナヨナヨ、クタクタ、ヘロヘロ小説への移行である。言っとくが、両方誉めてる。
面白いことに、真逆の小説であるのに、両方とも男が実によく泣く。源氏の方は女性が自分の気持ちをわかってくれない、としばしば泣く。あと女性が死んでしまって、なんで死んでしまうんだよお、と泣く。なんか自分のために泣いてる感じがする。帝の思し召しが嬉しくてとか、都が恋しくてとか、とにかく泣く。そのことについては、この後、源氏の感想文でまた書く。
かたや「七帝柔道記」では、まず練習がきつくて泣く。言っとくが、物凄い、頭のおかしな、とんでもない練習である。普通、泣く。それなりに高校で柔道をやってた主人公が、先輩に組み敷かれて泣くのもわかる。もう殺してくれ、とまで主人公は言う。文弱の徒である私には、なぜそうまでして柔道を続けんのか訳が分からない。
やがて主人公は辛い一年を乗り越え、寝技の技術が向上し、体がゴリラみたいになっていく。すると、次第に練習では泣かなくなる。よかった。泣かなくなったと思ったら大間違いで、試合に負けると、依然泣く。
ここまで練習しても勝てない自分に泣く。どうやったら強くなれるか分からないで泣く。先輩に申し訳なくて泣く。伝統に申し訳なくて泣く。自分のために、先輩のために、北大柔道部のために、伝統のために、勝ちたい。しかし負けて、悔しくて泣く。
辛くなると主人公は、過去の部誌を読む。北大が強かった時代、栄光の時代、それに連なる不甲斐ない今。伝統の北大柔道部への帰属意識が主人公を支えているのに、たぶん間違いはない。
自分のためだけでなく、何かのために自分の全てを賭ける姿は、人によると、危ない思想に映るかもしれない。伝統とか訳のわからないものに自分を託すなどもってのほかだ、と。
まあ、そうなんだろう。しかし、私のような愚かものは、何かを背負って努力する様は、どうしても美しく見えてしまうのだ。仕方ないのだ。馬鹿だから。