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【短編小説】そもそもの始まりのこと 連作9

 11月になって三者面談が始まった。高校3年になって、文系クラスに行きたいのか、理系クラスにしたいのか、卒業後の進路選択も踏まえて、決める時期が迫っていた。
「なまじ理系とか選んじゃって研究職とか目指されたら、嫁に行かんとか言い出すかもしれん。文系文系。花乃は頭がええから、英文科やらええじゃろ」
 金を出してもらう手前、平吉にも相談する。すると、私の話半分で、勝手に私の将来を決めようとする。
「でも、お爺ちゃんは理系じゃろ」
 そう反発してみると、
「当たり前じゃ。日本が今発展しつつあるんは、理系のおかげじゃ。自動車しかり。家電もしかり。鉄鋼、コンクリ、ナイロン、みな日本の作るもんは世界一じゃ。それが文系に作れるか」
と、鼻の穴を広げる。
「わかったて。コンクリ、ナイロンは、油島興産が世界一ちて言いたいんやろ」
「花乃。分かっちゃるじゃないか。ええか、よう聞け。日本がだんだん豊かになりよるんは、働くもんの三割の理系のおかげじゃ。文系の者らぁはの、理系の者が作った製品を売るばかりしか能がない。考えてもみい、土台、売るもんがなかったら商売は成立せんじゃろがい。もっと言うとの、その理系の内の更に三割のもんが、日本を支えちょる技術者じゃ。日本の国はの、その三割の三割に支えられちょるんじゃ。音楽じゃら映画じゃら野球じゃら、みんなそいつらの、お陰。お陰様じゃよ。お陰様で遊んじょれるんじゃ。なにが文学じゃ、なにが哲学じゃ、しゃらくさい!」
 ああ始まった始まった。聞き飽きた。
「なら、何で私は文系なん」
「ん?」
と、自分の言ったことの矛盾にようやく気づく。
「決まっちょる。花乃は女じゃからの。嫁に行けばええんじゃ」
矛盾でもなんでもなかった。平吉の働くものの範疇に、女は入ってなかった。
「お爺ちゃんは女を差別しちょる。理系で立派な女の人もおる」
「誰じゃ?」
「んー、と。そうじゃの、キューリー夫人とか」
「誰じゃそれ。野菜屋か」
 話にならない。知ってるくせに、わざととぼける。
 油島興産は、平吉の先代が地主で土地から石炭がでた。その頃、日本のエネルギーの主力は石炭で、先代はそれで大儲けする。跡を継いだ平吉は更に事業を広げ、吉田セメントを吸収し、石炭の液化事業を始め、その技術の転用で石油化学工業に手を伸ばす。ナイロンはその主力製品である。エネルギーの主力が、石炭から石油に移っても、その多角経営が功を奏し、いまだ成長を続けている。
 このお爺さんのどこにそんな才覚があったのか、いや、平吉はただ創業者の血縁だと言うだけで、経営とは関係ないのかも知れない。でも一応は社長だったらしい。七十で代表権のない会長に退き、来年は相談役になるという。
「その理系のお爺ちゃんは、もう会社に未練はないの?」
「未練?」
「相談役とかなにするの?」
「なんもせんな」
「退屈じゃないの?」
「退屈?」
 平吉は笑い飛ばす。この皺皺の顔。血管の浮いたカサカサの手。これが自分の義父なんだ。本当はお爺ちゃんではなくてお父さんと呼ぶべきなんだ。考え方も古い。価値観も硬直している。女は結婚すればいい。それが一番の幸せだって。そう思って、私の未来をコントロールしようとする。善意で。良かれと思って。
「私は理系クラスに行くよ。英文科になんか行かない。勉強は花嫁修行じゃない」
「いや、そんな、ずけずけ言いな」
 母がお茶を持って割り込んでくる。ちゃぶ台に湯呑みを置きながら、自分も座る。そして平吉に加勢する。
「ジイジはな、お前のことを思うて言うちゃるんじゃよ。高校の入学金やら授業料やら出してもらうんじゃけ、我儘言うたらいけんよ」
「女は結婚すりゃええの」
「そうじゃ。ええ人とな」と母。
「そうじゃ。ええ人との」と平吉。
「じゃ、お母さん。なんで、お爺ちゃんと結婚せんの。おかしいじゃろ」
 グッと二人が詰まる。まあ、返事はできないわな。母は平吉のお妾さんで、本妻さんは別にいる。後継の男の子供もいて油島に入っているらしい。立派なお宅で、私は外の壁だけ見たことがある。勿論招待されたことはない。あっても行かないが。
 二人の困った顔を後に、私は部屋に戻った。二人でゴニョゴニョ話して、平吉は9時頃帰って行った。帰りには迎えの車が来る。
     ※
 鼓膜が破裂するかのような爆発音がした。社長室の窓ガラスが粉微塵に吹き飛んだ。椅子ごと倒れた平吉は机の角に額を擦って出血した。ガラスは床に飛び散ったが、幸い平吉には降りかかりはしなかった。窓の外、片手を突いて起き上がった平吉の目に、いっぱいの黒煙が広がっている。何もかもが飛び散った部屋の中に、強烈な異臭が塊となって押し入ってくる。
 平吉は窓に駆け寄った。けたたましいサイレンの音がする。石油精製を行う工場の一角から火の手が上がり、もうもうと黒煙をあげている。工員たちが走り回っていた。車がスピードをあげて行き交う。サイレンがけたたましく鳴り続ける。施設と施設を繋ぐいくつかの鉄管は吹き飛びひしゃげ、形をなくしていた。黒煙の中、蛇の舌のようにそこでも炎がチロチロと見え隠れしていた。窓枠を握りしめた平吉は、手のひらに食い込むガラスの痛みも忘れ、その光景を一心に見つめていた。
 甚大な被害であった。工場はもとより四車線道路を隔てて広がっていた住宅地にも、爆風は容赦なく吹き荒れた。転倒して骨折したもの、ショックで体調を崩すもの、重軽傷者の数は、優に三桁を超えた。中に一人、倒れた家具に潰され死亡した男性がいた。死亡者は、唯一彼だけであった。
 その後の損害賠償の席で、平吉は驚くべき提案をした。賠償金は元より、被害を受けた土地全てを買い上げ、代わりの土地家屋を、工場から離れた場所に用意するというのである。買い上げた土地は緑地とし、万が一同様の事故が起こった場合に備え緩衝地帯する、と。
 全ての賠償の道筋をつけ、平吉は社長職を退いた。事故直後から平吉は被害を受けた家へ謝罪の訪問を始めていた。
     ※
 矢田津矢子の家もそうした中で訪れた。折を見て、数度もう訪問していた。新居の居間で正座する津矢子に平吉は正座して頭を下げる。正面の仏壇には、まだ新しい位牌があった。
 津矢子は亡くなった男の妻であった。専業主婦で娘がひとりいる。
「どうして暮らしていけばええんでしょう」津矢子は言った。「今はまだ賠償金もありますけえ、暮らしていけますけど、お金がのうなったら、どおせい言うんですか」
「賠償額がご不満ですか」
平吉についてきた男が言う。平吉は男を制し、津矢子に言った。
「できる限りのことは致します。何なりとお申し出ください。ご希望でしたら、お仕事も紹介致します。この度は、誠に申し訳なく」と、畳に頭を擦り付けた。津矢子は、
「もう、もう、お帰りください。金、金言うて、まるで金の亡者みたいやね。本当はそうじゃないんです。本当は、主人を──」
まで言って、言葉に詰まらせた。
 菓子折りを置いて、平吉は家を出た。お許しは一生ないかもしれん。じゃが、少しでもできることを、と平吉は思っていた。
           了













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