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17 まんが道

 研ちゃんが電器店にやってきたのは、漫画のノートを幸子に渡した翌日だった。恐らく学校でそれを見て、ひと晩考えて、ここにやってきたのだろう。
 名前は幸子から聞いて知っていた。昔の俺に劣らぬ漫画馬鹿であると。作品を見て、ああ確かに馬鹿野郎だと、懐かしく嬉しかった。
「健ちゃんさんですか。こんにちは。山本研二と申します」
そう言って、もうひとりのケンちゃんは、俺の描いた"赤マント"のノートを机に置く。ネームと呼ばれるラフ描きだ。
「勉強になりました」
声が硬い。さては、幸子、何も言わんと渡したか。
「ワシが未熟者でありました。今日は勉強さしてもろおう、ちてやって参りました」
声が尖っている。
「いや、ごめん。俺はプロでもなんでもないんで。俺がしゃしゃり出ることじゃないんじゃけど。幸子の奴がどうしても、ちゅうてうるそうて」
「いえ、勉強させてください。どこがダメじゃったのか」
そう言って、研ちゃんのオリジナル漫画のノートを横に並べる。そして、両方広げる。
「どうでしょうか。どこがいかんでしょう」
目が血走っている。これはいかん。いかんぞ。そういうつもりじゃなかった。

こうも描けるよ。参考にしてね。

そう言い添えるよう幸子には重ねてキツく言ったのに、何も伝えてないらしい。いや、殆ど書き直したネームを渡すことが、そもそも失礼だった。
「いや、山本くんのもいいんだよ。これはね、提案なんだ。こうも描ける、みたいな。俺のが正解とかじゃないから。幸子、そう言ってなかったかなあ」
「仰ってください。優しい言葉が才能を殺すのです。甘やかされたくはないんです」
目が燃えている。何か喋らざるをえまい。
「そ、そうだなぁ」
   まず絵面がつまらない。顔首漫画だ。俺なら、もっと引く。人物の全体が見えるコマを必ず入れる。そして、ここの構図はこうする。コマ割はこうだ。ここはまだ溜めた方がいい。俯瞰が少ない。1ページの全体像が目に浮かんでくる。次のページも。その次のページも。
 その想像の誘惑に負けて描いてしまった。悔やまれる。
「コ、コマに動きが出るといいね。顔がアップのコマばっかり続くと、スピード感が出ないから。人物の全体が映るコマを増やしてーー」
「な、なるほど。気がつきませんでした」
メモする。
「角度とか、構図とか1ページのコマの構成に注意して漫画を読んでごらん。そしたらーー」
いかん。強かったか。言い過ぎたか。既に研ちゃんの顔は青い。
「勉強になります」
「いや、単なる感想だから。具体的に描いた方がわかりやすいかな、て思ってさ。別にこうしろってわけじゃないんだ」
「筋は? 筋はどうじゃったですか」
研ちゃんは、重ねてくる。
「いや、面白いよ。船上の決闘とか。爆発とか」
「設定が変わっちょりましたが」
抑揚のない声で研ちゃんが追ってくる。
「あ。ごめん」
直し描きしてるうち、つい自分が出てしまった。自分の面白さで、設定を変えてしまった。
 読んで、面白いんだけど、色がない。女性が全然出てこない。華がない。サスペンスもない。決闘はもっと劇的に。対立がない。大林刑事は明池警部の言いなりだ。これなら、わざわざキャラクターを立てた意味がない。
 つまり、ないない尽くしなのだった。俺ならこうするなぁ、という思いで、ネームを描いてしまった。久々に描いたんで、調子に乗りすぎた。
「すまん。君の漫画なのに勝手なことして」
 頭を下げると、研ちゃんは別のことを訊いてきた。
「健ちゃんさんは、どうして漫画を始めたんですかの」
「どうして?」
「はい。今日、一番訊きたいんはそれです」
 あれ、というぐらい質問のトーンが柔らかかった。

「幸子と同学年だから、君は中学三年生?」
「はい」
「物心ついた頃には、そばに漫画があったの?」
「いえ、ワシは最初は紙芝居です。自分の漫画は少6のとき、友達からもろうて初めて手に入れました。それまでは、人に借りたり、立ち読みしたり」
「ふうん。紙芝居は俺も見た。"赤マント"懐かしかった。今は見ないね」
「あれから、あのオヤジはアイスキャンディーと焼き芋屋になったそうです。紙芝居は儲からんゆうて」
「詳しいね。山本くんの境遇は俺と似てるかも。俺も漫画本は、買ってもらえなかった。友達が持ってるのを見せてもらうだけ。だから、描き始めたんだよ、たぶん。見たいけど見れない。じゃ、描こうって」
「ワシも、おんなじです」
「ふふ。そう」
 打ち解けてきた。研ちゃんもメモはとらない。
「じゃ、なんで今描かないんですか」
 さえ子にも言われた。そう、どうしてだろう。どうして研ちゃんの漫画には手を入れられるのに、自分の漫画は描かないんだろう。
「働いてるからね」
言い訳だ。
「働いてると描けなくなるんですか」
ほら、見透かされた。
好きなら、いくらでも時間は作れるはずだ。前はそうだった。
「もう描きたくないんですか」
「いや、そういう」で、止まった。あの頃の情熱は、もう持ててないかもしれない。確かに。うーん、と考えてみた。
「子供の頃、漫画の週刊誌が創刊されたのを覚えてるんだ」
「ほーですか」
「学校、持ってきたやつがおってね。皆んなで見た。SF漫画とか忍者漫画があって、夢中で見た。ああ、漫画ちゅうんは未来にも昔にも行けるんじゃって。どの時代にも、どんな場所にも行けるんじゃって」
「ああ、わかります」
「なのにね、就職して、電気技師の試験に受かって、毎日働きよったら、おかしなもんで、漫画描きとうのうなったんじゃ」
「時間がのうてですか」
「いんや。どうしでじゃろ。未来にも昔にも行く必要がのうなったからじゃろうか」
 今の生活が大切だという思いは、ある。それを守りたいという思いが漫画を忘れさせた? 
「今の生活があれば、漫画はいらんちゅうことですか」
 そうかもしれない。
「頭、悪かったからね。みんなから馬鹿にされて取り柄がのうて、勉強も運動もできんが、じゃが漫画描いてる時だけは生きてられた。昔はの。でも、今は違う。答えになっちょるかな」
「だから今は必要ないんですか」
「そうかもしれんの」
「健ちゃんさんにとって漫画は逃げ場所じゃったんですか」
「たぶん。たぶん、そうだった」
 研ちゃんは考えている。そんなことを言えば、研ちゃんは"今"から逃げていると言ってるようなもんではないか。いや、研ちゃんの漫画を言ってるんじゃない。訊かれたんで、自分のことを言ってるだけだ。
「じゃ、映画は逃げ場じゃろうか」
研ちゃんは、ポツリとそう言う。
「音楽は、歌は逃げ場じゃろうか。
踊りとか絵とか、そういうんは逃げ場じゃろうか」
「いや、そうは言ってない」
「漫画は逃げ場じゃろうか。ワシは現実から逃げて漫画を描いちょるんでしょうか。漫画を読んじょるんでしょうか」
「人の描いたものを勝手に変えてはいけないね。悪かった。謝るよ」
「それは、ええんです。別にワシの漫画を盗んで投稿したわけじゃないですし。そうじゃなくて、これだけ上手に描ける人が、なんで漫画を描かんのか、それが知りたかっただけです。ワシは、漫画が嫌いになりとうはないから」
「それは、ーー」
「はい」
「それは、本当に描きたいものを、もう俺は手に入れたから」
 言って、やっぱりそうだと納得した。
「そんな。今の暮らしが、そうちゅうことですか」
「そう。俺はこれでええんじゃ」
「平凡ですろう」
「平凡じゃよ。じゃが、平凡でおられることも強いことなんじゃないかな」
「はあ」
「人は色々じゃ。じゃから、山本くんが俺のように生きることもない。漫画には夢がある。さっき逃げ場ちゅうたが、人には逃げ出しとうても逃げ出せん時がある。そういう人間に、いっとき夢を与えられる仕事は必要じゃ」
「ワシは自分が楽しうて描いちょります。他人のことなんて考えませんでした。
 で、健ちゃんさんからノートをもろうた時、激しく反省したんです。ワシはワシのためにだけ、漫画を描いちょったんじゃって。それじゃ駄目じゃって。こんなに面白く読ますには、どうしたらええんかって。それで教わりに来たんです」
「そうか。山本くんは純粋に漫画が好きなんじゃな」
「はい」
いい笑顔をする。
「ええことじゃ。応援するよ」
「じゃから、描き終わったら、また漫画見てもらえますか」
「おう。俺でよかったら」
「お願いします。これでーー」
「なに?」
「これで、ワシの漫画の読者は二人になりました。健ちゃんさん。読者を増やすいうんは、なかなか大変なこどでありますのう」

                                  了

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