仁和寺にある法師・兼好法師
原文、まあまあ長いんで端折って粗筋書きます。
仁和寺の僧が、歳とるまで岩清水八幡宮をお参りしなかったのを悔いて、徒歩で参詣し、感激して帰ってきた。仲間には、みんな山に上っていたが、遊びに来たのではないので、見たいけど我慢した、と自慢した。誠に先達は必要なことである。
仁和寺の僧がアホな点。
1、山上に御本殿があるのを知らない。(無知)
2、自分の信仰の厚さを自慢する。(承認欲求の塊)
兼好さんは、他にも仁和寺の坊さんを腐してますな。
皆んなで酒飲んで大騒ぎして、坊さん、ええ気になって、頭から鼎を被って踊り出した(鼎は三本足の花瓶みたいな器)。大ウケしたあと、さて鼎を抜こうとしたが、抜けない。どーしても抜けない。で、せーのって力づくで抜いたら、鼻が取れちゃった。
お気の毒ですが、なんと申しますか・・・。
しかし、
なんで、こんなに仁和寺の僧はアホなんでしょう。
そして、兼好さんは、なんでこんなに名出ししてまで、仁和寺の僧を腐すんでしょうか。
それ、考えてみましょう。いつもの如く、半可通の知識と妄想で書きますんで、間違ってたら、優しくご指摘、お願いします。怒らないでね。
まず、仁和寺ですか、どんなお寺なんざんしょ?
住所は以下の通り。
京都府京都市右京区御室大内
地名は、歴史のタイムマシン言いますから、まず、こっから。
右京区までええんですが、御室? 御室って何?
宇多法皇が仁和寺に「御室」を造営し、起居する御所としたことから、その建物が「御室御所」と呼ばれ、やがては仁和寺の別称となった
Wikipediaより
へえ、法王が起居する御所ねえ。
じゃ、「大内」は?
辞書によると、皇居。内裏。天皇の御所、とかを意味するそうです。
つまりは格式がものすごく高い。平安〜鎌倉時代には、門跡寺院としては最高の格式であったそう。代々の門跡(住職)は、すべて皇室ゆかりの方だそうで。
つまり、内裏にも匹敵する寺。保元の乱とか平治の乱とか、天皇とか上皇が、よう寺に逃げ込みましたもんね。
何が言いたいかちゅうと、そんくらい格式ある寺の僧が、この有様ですねん。て、兼好さん、嘆いてまんねん。
だいたい石清水八幡宮に行きたいとか! なんですか! 八幡宮て、誰のお宮すか。全国にたんとありますが、なんでこんないっぱいあるんすか。
もともとは九州の神さんみたいですけど、メジャーになったんは、源義家が東北平定(前九年の役・後三年の役)で名を売ったことによります。
石清水八幡宮で元服した義家、東北で大活躍。通称、八幡太郎義家。つうことで、八幡宮は源氏の守り神になります。
鎌倉は鶴岡八幡宮ですものね。
それは武士で勝手にやってたらよろしいのに、なんで、貴族側の仁和寺の坊さんが、八幡宮に恋焦がれて、参詣にいかにゃならんねん。
これ、平安の貴族政治が、世の理想と見ていた兼好さんにしたら、怒髪天に及ぶ、です。
お前、腐っても鯛やないか。いくら武士の世、言うても、あいつら平安の世やったら、貴族のワンちゃんやないか。なんでそいつらの神さんに、武士の神さんに、貴族代表の寺、仁和寺の坊さんが、一生にいっぺん参ってみたいとか思うてんのや。プライドないんかい! 貧すれば鈍すか。けったくそ悪い。腹たつわあー。
て、まともに書いたら、武士の世じゃから、叱られるか。じゃ、笑い話のテイで書いたろ。
みたいなノリに見えますが。
どないでしょ。
とにかく、兼好さんて、一筋縄でいかん、ひねくれジジイであることだけは確かです。