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物語論(ナラトロジー)

現代の批評理論は哲学とか絡んでややこしい。プロップ、トドロフト、ジュネットあたりが提唱したのが、物語論になる。小説を科学的に分析しよう、という考え方。科学って、誰がやっても同じ結果が得られるから科学なのであって、主観的な印象批評に対して、客観的な物語原型を小説から抽出して、小説を科学的に分析しようという試み。推理小説のネタって出尽くしてるってよくいわれますが、彼らは物語全部がそうじゃないかって考えた。で、昔話を人物の役割別、行為別に振り分け、その組み合わせで、物語もできてるってやったわけだ。それを一般の小説にも広げていった。しかし、困ったことに、この三人でさえ、その分類の仕方が違うし、用語も統一されてない。科学的、客観的とは程遠い。20年くらい研究が進んでいたら、用語も統一されて、わかりやすくなったろうけど、その前に、なんか、こんな分類することって意味あんの、みたいな批判が多数出て、それ以上は深まらなかったみたい。形式が先いっちゃって、内容の吟味がなされなきゃ、まぁ意味ないちゃあ、意味ないから。小説の作られ方がわかっても、それが上手くできてるものが、必ずしも文学的価値が高いとは言えないから。構造主義批評もこの流れて批判されたみたい。でも、私としては、も少し煮詰まってもよかったようにも思いますが。わたしの好みとしては、小説って、ちょっと破綻してるくらいが好きなんです。でも、これって主観でしょ。物語論から見ると、ここが破綻してて、それがこの作家の魅力なんだ、とか知りたいじゃないですか。人って思いは溢れるよね。作家なら尚更。そこが魅力と思うわけ。それには、なんか、それを測る定規みたいなものがあってもいいかなって。物語論が有用とするなら、そういう使われ方をした時だと思う。もしかして、アメリカの大学で小説教えてるって、そういことしてるのかなぁ。日本でもシナリオ学校とか、そんなの教えてるんでしょうか。知らんけど。

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