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「意味」の代わり


ハーシュの理論が私には一番しっくりくるのだが、どうにも旗色がわるいようである。このまま現代の批評理論を追っても、読者を中心に考える方向が主流の気がする。読者は好き勝手に読む。そうした相対主義に陥ることを避けるのに、フィッシュは解釈共同体を持ち出してきた。マヤカシである。ハーシュの言う「作者の意図=意味」のようなものがなければ、様々な意見、感想を統べることはできない。ハーシュの理論を否定すれば、行き着くところは相対主義のカオスではないか。それに開き直って、カオスでいいんだよ、とやったのがポスト構造主義、脱構築のような気がする。知らんけど。そうなら、先を読む気力が湧かない。或いは、その弊を避けるため、フェミニズムとかマルクス主義とかのイデオロギーを「作者の意図=意味」の代わりに据えるなら、それこそいつかきた道、「ためにする文学」になってしまわないか。

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