カエル先生、再び池に帰る(対談)
◼︎プロローグ
まずはじめに、前回のカエル先生との対談を読んでいない人に断っておきたいのは、これは卒業してから10年経った、教師(カエル先生、芸名)と元教え子(現カメラマン)の他愛もない会話でございます。
(前回の対談のリンクはこちら)
https://note.com/ttosh_1222/n/n12ddb0639c5e
その他愛のなさが一体何なのか、たぶんカエル先生本人にもわかっていないし、僕にもよくわからない。
よくわからないのだけど、なんだか気になってしまう。耳をすませたくなる。目を凝らしたくなる。考えてみたくなる。想像してみたくなる。
そんな感じの会話をもとにしたそんな感じの文章を、ちょっぴり腹筋に力を入れて、でもちょっぴり肩の力を抜いて、長いけれど諦めずに最後まで読んでくれたら、カエル先生も僕もちょっぴり嬉しいかもしれないのです。いや、全然そんなことないかもしれないのです。
◼︎0°と360°
ーカエル先生、ご無沙汰しています。
蛙: 元気なの?
ーう〜ん、なんとなく先が見えないこの感じは嫌だなぁってのはあります。 (2021/5/23、世間はロックダウン中)
蛙: 未来のこと考えてるからいけないんじゃないの?
ーそうなんですよね。この10年くらいその場が楽しければいいっていうか、その時々でやりたいようにやって振り返った時に道ができてればいい、って感じでいろんなことやってきたつもりだったんですけど、意外と未来のことも考えてたんだなって思いました。(笑)
蛙: よかったね。またひとつ大人になれたね。
ーでもやっぱり時々すごく不安になります。これからどうなっちゃうんだろう、みたいな。
蛙: 他人は他人でいいじゃない。周りがどうだろうと、やりたいことがあるわけでしょ?
ーそうなんですけど、そのやりたいことができるかな、とか。
蛙: そりゃ全部が思い通りになんかいかないだろうけど、やりたいことがあって、それをやってみようとすれば何だってできるよ。それにそういう気持ちが満たされることなんてないよ。
ーところで、カエル先生はどんな日々過ごされてるんですか?
蛙: 俺はほら、テレワークだのステイホームだの以前に、もともと全部ここで完結するようにしてたから。
ーなんか、すげえいい感じの部屋ですね。
蛙: 壁紙とか自分で塗ってさ。ギターもあるし、パソコンとモニターもあるし、冷蔵庫にビールもあるし、リモート授業もここでやってる。ここにいれば何だってできるよ。
ーさっきの話に戻ると、こういう状況になって自分の直線的な想像力の弱さみたいなのを痛感してるんですよ。20代を駆動してた自分の線的イメージってこういう非常事態にすごく弱い。それに対してカエル先生から感じる、なんて言うのかな、同時平面的に世界を楽しむ感覚がすごく欲しくなって。これは今回がキッカケというよりも、ここ数年なんとなく頭によぎってはいたことなんですけど。
蛙: 例えばさ、言わないと思うけど、イチローが野球のことを「あんなのただの球遊びですよ」って言うのと、友達に仲間外れにされた男の子が野球のことを「あんなのただの球遊びだよ」って言うのとは話が違うじゃない?
ー違いますね。
蛙: やってみなきゃわからないことってあるんだよ。一周まわってここにいるっていうか。
ー深み、みたいな。カエル先生も実は若い頃に留学されてたり、旅とかされてますもんね。
蛙: そうそう。だから急にここには来れないし、おまえはまだ若いから無理だよ。
ーそうなんですよね、頭によぎってはいるけどその感覚になるのはまだムリなんだろうな、っていう実感もあるんですよね。(笑)そっか、やっぱりまだムリなのか。
◼︎一生懸命がお嫌い…?
ーちょっと話は変わりますけど、カエル先生って努力とか根性嫌いでしょ?
蛙: そんなことないよ。努力できる人とか根性ある人って天才だから。俺にはできないけど、否定はしてない。
ーあ、そうなんですか?(笑)でもほら、真面目であることとか一生懸命であることに対して冷めてるっていうか…
蛙: なに言ってんだよ!俺は一生懸命に憧れてるんだよ。「あの人って一生懸命だね」って俺は言われたいんだよ。だから、「先生って一生懸命ですね」って言って。(笑)
ーいやだから、カエル先生にはすごく言いにくい感じがするし、一生懸命なんか嫌いなんだと思ってました。(笑)
蛙: 一生懸命っていいじゃない。YouTubeの動画とかみてても一生懸命な人の方がグッとくる。できないことをできるようになろうとしてる人とか、多少間違ってても、なんかいいなってなる。でも俺にはできないんだよ。
ーまぁ、それぞれの気質みたいなものはあるかもしれない。
蛙: あとは習慣だね。俺がいま10代とか20代だったら一生懸命になるようにしてたかもしれないけど、いまさら…ね。
ーただ逆に俺はわりとすぐ、一生懸命とまでは言いませんけど、気張っちゃうんですよね。で、硬直した状態で何かするとうまくいかない場合も沢山あるじゃないですか。
蛙: それはある。難しいとこだよね。俺はもう自分が楽しい範囲でしかやらないし、一生懸命にはできない。(笑) やりたいことは沢山あるんだけど、ちょっとやったら満足しちゃうんだよね。
ー俺はまだそこらへんのさじ加減がようわからん。
蛙: あとは、これくらいの年齢になってくると身体も動かなくなってくるんだけど、やっぱそれってとても大きいことなんだよ。
ーいろんなことが身体に規定されますもんね。
蛙: そうそう、跳べる高さが決まってくるっていうか。だからそんなにジタバタしなくなる。ま、新しいことは始めてみたいとは思うし、出来ないことが出来るようになると楽しい、ってのは今でもあるけどね。
ーそうですね。俺にとってもその感覚がいつまでも変わらないのであれば、それは嬉しいことです。
◼︎なんとかなるんだってば
蛙: いまこんな状況だから、授業ができてなくて生徒にものすごい量の課題が出てるわけ。
ー先生も生徒も大変そう…。
蛙: だからこないだ生徒に向けて「いまこんな状況で、何のために勉強してんだかよくわからなくなっちゃうかもしれない。そしたら俺のとこに連絡してこい」みたいな内容のメールを全校生徒に送信してさ。
ー苦しんでる子、絶対いますよね。
蛙: そしたら本当に連絡してくる奴がいるんだよ。「先生に直接教わったことがあるわけじゃないんですけど、いま課題が多くて苦しくて…」みたいな。
ーあ、いい話。
蛙: だからそいつに「そんな勉強意味ないからやめろっ!」って言っといた。(笑)
ー 勉強するな!って生徒を叱る教師。(笑)でもそれって課題出す先生も、それをやる生徒も一生懸命なわけでしょ?そういう一生懸命についてはどう思うんですか?
蛙: だってほら、それは行動原理が恐怖なわけでしょ?大人も子供も周りから怒られないようにしてるだけで。そんなの"何もしてないわけじゃないですよ"ってアピールでしかないよ。
ーなるほど。無条件に一生懸命を肯定してるわけではないのか。ま、行動原理を恐怖とか不安にするとロクなことないですよね。
蛙: うん、ロクなことない。だから大人が大丈夫だよ、普通にしててもなんとかなるから、ってことをちゃんと子供に言ってあげないといけないんだよね。やっぱりそういうのって、子供にはわからないからね。
ーそう言える大人は少ない。
蛙: 今の世の中、子供が病んでるみたいに言われてるけど、けっきょく大人が怖がってたり不安でいっぱいになっちゃってるんだよ。
ー大人が病んでるのか。
蛙: そう。それに、なんとかならないってことにした方が他人に説教したり文句言ったりしやすいからね。
ー「おまえ、そんなんでなんとかなると思ってるのか!」って。(笑)
蛙: それでみんなシュン…としちゃうわけでしょ?
ーどうなるかなんて誰にもわからないですもんね。
蛙: ちがうよ、なんとかなるんだって!
ーそっか、なんとかなるのか。
◼︎蛙的アンチエイジング
蛙: 歳を取るとさ、時間の流れが速く感じるんだよね。
ー単純に5歳の1年は5分の1、80歳の1年は80分の1みたいな?
蛙: そうそう。それって嫌じゃん?で、その解決方法を最近見つけちゃったんだよね。
ーAmazonで不老不死の薬でも売ってました?(笑)
蛙: いや、Amazonで買ったのはこのサルエルパンツだけ。(カエル先生、画面越しにソファの上に立ち上がりサルエルパンツをヒラヒラさせながら回転する)これ楽チンなんだよね。この格好でリモート授業してる。ずっとこうしてたい。
ーすみません、話戻しましょう。(笑)
蛙: えっと、なんだっけ…そうそう。矛盾してるように聞こえるかもしれないけど、あっという間に過ぎていく時間ってあるじゃない?いい音楽聴いてる時とか…
ー好きな女の子とデートしてる時とか。
蛙: でもそれって、あとから思い出すとすげえ長く感じるじゃない。で、長く感じてるってことはやっぱり実際に長いんだよ。
ーストップウォッチ的な時間とは別の時間ですね。
蛙: うん。つまり時間ってのは主観的なもんなんだよ。
ーそれって思い出とか感動とかですかね?ちょっと言い方が安っぽいか?
蛙: うーん、思い出とかになるのかなぁ。ほら、小学生の頃の1日とかすごく長くなかった?
ー答えとしてズレるかもしれないですけど、子供のころに家族で海水浴に行ったときのあの海のスケールっていうか、時間としての密度は、いま海に行っても感じられないです。
蛙: それはね、海を発見してるからなんだよ。
ーあぁ、なるほど。それ、俺が旅に出る理由かもしれません。
蛙: ま、べつに旅じゃなくてもよくてさ。死ぬ間際に走馬灯のように思い出が蘇ってくる、とか言うじゃない?あとは、夢で何かから落ちる瞬間に、現実でもベッドから落ちそうになるとか。
ーそういうのって何なんですかね。
蛙: だからそれも同じことで、死んでしまうこともベッドから落ちることも、周りから見れば一瞬の出来事かもしれないけど、その人にとってはすごい長い時間を過ごしてるんだよ。
ーそっか。非常事態に対して脳ミソが覚醒してるのか。
蛙: そゆこと。俺たちがどれだけ日々、忘れたり考えないようにすることで日常をやり過ごしてるかってことだね。
ーで、何かを発見したり何かに出会ったりする拍子に脳ミソのリミッターが外れて時間が長く感じられるようになる。
蛙: そういう時間を増やせたらいいよね。
ーとなると、カエル先生的アンチエイジングは子供のように非日常として世界を見ること/考えることになりますけど、でもそれってそんなに簡単じゃないですよね?
◼︎散りばめられたコード
蛙: 前に中古のギターを買いに義理の兄貴と一緒に行ったことがあって。その兄貴が楽器の弦を作る人なのね。
ー職人さんですね。
蛙: そこのお店に30万のギターと600万のギターがあって試しに弾き比べてみたんだけど、俺は30万のギターの方が音が若いっていうか、わかりやすい音だなって思ったんだけど、兄貴は「ギターでこんなに違うんだ!」って600万のギターに感動してて。
ーわかる人にはわかるってヤツですね。人それぞれの好みとかとはまた別の話で。
蛙: そうそう。他にも骨董とかもさ、俺べつに全然わからないけど、やっぱり良いものはこれが良いって決まってるんだよ。目を鍛えた人にはわかる何かが。花の美しさがあるんじゃなくて、美しい花があるっていうか。
ーそれはわかります。自分の分野で言うと映画とか写真もたくさん観たり撮ったりすると、月並みな言い方ですけど、ニセモノとホンモノの違いみたいなのはわかるようになります。
蛙: そういう感覚って研ぎ澄まそうと思えばいくらでも研ぎ澄ませるし、俺たちがまだ読めてないコードってのが周りにいくらでも転がってるからね。
ーわざわざ臨死体験しなくても、ベッドから落ちなくても、旅なんかしなくても。(笑)
蛙: ま、若いうちはいろんな経験たくさんした方がいいとは思うけどね。でもとにかく、本当はよく見えてないことがそこらじゅうに存在してるんだよ。
ーそういうふうにいろんなことを味わえる人とそうでない人の差、みたいなのは時々感じます。自分がどっちの人間なのかはともかくとして。
蛙: たぶんそれはおまえが、今までの人生で、読める人だけに読めるコードを知ってる人に出会えてきたからなんだよ。やっぱりそういう人にどれだけ会えるかはとても大事なこと。
ーだとするなら、自分の場合はいわゆる芸術と呼ばれてるものに関わる人たちですかね。芸術ってはっきりした物差しがないし、だからこそ良いって言われると「なにが?」とか「え、そうなの?」とか考えちゃう。しかもその大人たちの良いっていう言い方に、かなり迫力があるから無視できない。(笑)
蛙: そうそう。あるんだよ、そういうの。んで、そういうわからないことがわかるようになるってのは、すげえ楽しいことなんだよ。
ーそうですね。出来ないこと出来るようになったり、わからないことがわかるようになる、ってことの為にこれからの日々があって欲しいなとは思います。
◼︎世の中がよくなる
蛙: ま、本当はね、これを機に世の中が良くなる可能性だってあるんだよ。
ーうん。欲望とか、そういうことをちょっと立ち止まって考えるいいキッカケにはなり得ると思います。
蛙: 今までやってきたことがそんなに意味のないことだったんだな、って。
ーこないだ同窓会で「例えばいろんな道路のタイルを眺めてるのが好きな人がいて、その人が一日中道路でタイル眺めてても食うに困らない世の中になればいい」って、おっしゃってましたね。
蛙: そうそう。みんながやりたいことをやりたいようにやって、最低限の生活ができるようになればいいなって思ってる。
ーいわゆるベーシックインカムみたいな話ですね。お金の問題はやっぱり切実な問題です。
蛙: だけどさ、ミュージシャンで食えなくて文句言ってるヤツ見ると、それは違うなぁとは思うよ。何言ってるの?やりたいからやってるんでしょ?って。
ーう〜ん…俺の場合も、お金になろうがなるまいがやりたいから結局やっちゃうし、多分これからもそういう風にしか進んでいかないだろうなとは思います。ただ、それだけじゃどうしようもない部分もやっぱりあって…
蛙: メシ食うなんてなんとかしなよ。大丈夫、仕事なんて
①愛想がいい
②人の話をちゃんと聴く
③時間を守る
の3つができてればなんとかなるから。
ーあれ、カエル先生、ホームルームの時間遅れてくることちょいちょいありませんでしたっけ…(笑)
蛙: …(笑)。あとは俺の場合だと英語の先生やってるわけだけど、他の教科の先生見てて、あ、この人英語の先生できるだろうな。上手に授業やるだろうな、って人がいるわけよ。
ーそれはフリーランスでカメラマンやってみてすごく感じているところです。もちろん最低限の技術みたいなのはいるのかもしれないんですけど、仕事となるとカメラの技術じゃない何かが作用してるなって。
蛙: うん、なんかあんだよ、そういう仕事するコツみたいなのが。たぶん。
ーカメラマンになりたての鼻息荒かった頃とかは、何でも上手く撮れないといけないと思ってたし、自分のスタイルを早く完成させていなきゃいけない、みたいな焦りばっかりでした。
蛙: それはぜったい違うね。仕事なんて覚えながらやってくもんだよ。
ーできなかったら失格だ、って切羽詰まってたな。
蛙: そりゃ例えば、ミュージシャンだったらジャズもボサノヴァもクラシックもロックも知っておいた方がいいのかもしれないし、そのための努力はするべきなのかもしれないけど、そういうのを完璧な状態でやってるヤツなんていないでしょ?
ーそういう完璧さに押し潰されそうになるっていうか、とにかく悔しくてしょうがないです。それは今もだけど。
蛙: けっきょくそれは観てる人のことも考えてるからだよ。本当に引きこもってやろうと思ってたらそんな風には思わない。
ー例えば"カエル先生"ってキャラクターは、元々は英語講座の動画配信のキャラじゃないですか。そういうのってどんな感じで始めるんですか?
蛙: あれは、世の中よくしたいっていう目的と、やってて自分が楽しいって感じで始めたな。ま、それでもやっぱり俺には一生懸命さが足りないんだけどね。
ーなるほど。そういう気持ちで、自分も楽しみながらそれを誰かが楽しんでくれたらいいな、みたいな気持ちで仕事に臨めたらなとは、いつも思ってはいるんですけどね。
蛙: まぁ、仕事に限らずさ、いまこんな状況だけど、やっぱり自分で楽しくしていかなきゃいけないんだよ。大丈夫だよ、なんとかなるから。
ーそっか、なんとかなるのか。今日はサルエルパンツ履きながら缶ビール片手に家でゴロゴロしてるとこ、ありがとうございました。またこんどお家に遊びに行きますね!
◼︎エピローグ
いかがでしたでしょうか。なんなんだいったいこの文章は!と憤ってる方もいらっしゃるかもしれません。あるいはこのエピローグに辿り着く前に読むことをやめてしまっている方もいらっしゃるかもしれません。
でもカエル先生は、誰にどうやって届くかわからない風船を、ニコニコと楽しそうに空に飛ばしている、そんな感じの人なのです。
だから僕も今回のこの会話を"いったいこれが何になるんだってんだ"っていう自問自答がなくもなかったのだけれども、ま、いっか!飛んでけ風船!みたいな、カエル先生的気持ちでこうして文章にしてしまった次第でございます。
誰かにこの風船が届きますように。明日がいい日でありますように。(おしまい)