モンゴル紀行 その4
地平線へとゆっくりと太陽が近づいていき、辺りは段々と青みがかってゆき、そしてその青さは着々と深みを増し、気がつけば辺りはほぼ全くの暗闇となる。空を見上げると、無数の星がひしめき合う。いや、ひしめき合うというよりはむしろそれは、地上に迫ってくるような凄みがある。地球だってその星のうちの1つに過ぎず、僕らは宇宙に蠢く星たちの上を這いつくばる、果てしなく小っぽけな、ただ一個の生命体に過ぎない。あるいはそれは、目を背けたくなるような悲しい事実なのかもしれないけれども、溢れんばかりに天を満たす星たちを眺めていると、それは絶望というよりはむしろ永遠であって、静寂の中の爆発であった。
ついこないだ知り合ったばかりの、国籍も風貌も異なる仲間たちとゴロンと横になって空を眺めているだけで、僕のカラダの中からはフツフツと何かが沸き立って、血はつま先からつむじを疾走していた。誰が言い始めたのかは忘れてしまったけれど、それぞれの国の歌を歌おうよ、ということになった。うげっ、こういうの大の苦手である。せめてお酒があれば…モジモジしているうちにムンゴナはモンゴルの歌を歌い、ナイーダはスペインの歌を踊りをまじえておどけながら披露し、ドイツ人の3人はズルくて3人いっしょに民謡を歌った。僕は仕方なくモンゴル800の小さな恋の歌を歌った。だってここはモンゴルだもの。
「この曲ね、モンゴル800(モンゴリア・エイトハンドレット)っていうバンドの歌なんだ。」
「なにそれ!」(一同ケラケラ)
広い宇宙の数ある1つ…
青い地球の広い世界で…
歌い終わるとバンド名の摩訶不思議さとは裏腹にメロディが思いのほか良かったらしく、みんなけっこう喜んでくれた。ムンゴナはエラく感動してしまい、「ワンモア!」と言って2回目をせがんできた。それにしてもやっぱり、この日本人のやんちゃな男の子をみんな末っ子のように可愛がってくれて、僕はそれが嬉しくて嬉しくて終始はしゃぎっぱなしでした。
ゴビ砂漠ツアーも終盤に近づけば、みんな埃まみれでこ汚ねえ有様であった。ジュリアはくしゃみが止まらず鼻に赤い薬を塗っていてみんなにいじられていた。ドイツ人男子はヒゲがボーボーで、いやそれはそれでけっこうセクシーなのであった。僕のヒゲは手入れの行き届いていない人工芝のようになんとも貧相な代物で、勝手に猛烈ジェラシーを覚えていたりもした。ナイーダはみんなとお別れするのが寂しい寂しい、と時々目を潤ませていた。
シャワーも入れず、トイレはそこら辺で済ませ、3食モンゴル料理で、Wi-Fiが通っているはずもなくiPhoneはすっかり時計に成り果て、毎晩ゲルのお粗末なベットかテント泊。1日のうちの半分くらいを凸凹道を走るバンに揺られ、辺りは草原と空と時々、遊牧民と集落。どこまでも続く大地にどこまでも規則正しく浮かぶ雲は、さながら可愛らしい壁紙のようであった。
過酷な大地?夢の世界?
川があれば女の子2人が裸になってキャッキャ言いながら水浴び始めるし、泥にハマったバンをタバコをくわえながら押すフィリップは映画のワンシーンみたいだったし、アレックスは岩があれば登り寝床があるのに野宿したがる。みんなでラクダに乗れば僕のラクダだけ言うこと聞かない。知ってる?ラクダのコブには夢が詰まってるんだぜ?
10日ぶりにウランバートルに、ゲストハウスに、戻って来た。長かったような気もするし、あっという間な気もする。街のざわめきが煩わしいような気もするけれど、落ち着くような気もする。誰かと話したい気もするし、けど誰とも話したくない気もする。とにもかくにも、ゴビ砂漠の余韻が頭の中でガンガンと鳴り響き、足元はフワフワとしていて覚束ない。ひとまず近くのレストランに行き、みんなで打ち上げをすることにした。
そういえばツアー中お酒は一滴も飲んでいなかった。とくれば、乱痴気騒ぎが始まるかと言えば、それどころかなんだか会話はぎこちなく、何かが僕らから消えちまっていた。誰もそんなこと言わなかったけれど、たぶんみんな、寂しかったんじゃないかと思う。少なくとも僕は果てしなくおセンチな気持ちになっていた。
この旅の最大の目的を果たした僕は、ほとほと困ってしまったのである。帰国日まではまだ1週間ほどあった。1週間というのは、ここからまたどこかに移動するにはちょっと足りず、かといってグダグダとやり過ごすにはちと長い、なんともビミョーな長さであった。そして何より、とんでもないツアーに参加したことによるやりきっちまった感が、僕の腰をかなり重くしていた。
みんなで打ち上げをしてから、ナイーダとジュリアと僕でウランバートル近くの国立公園に行った。そこで馬に乗り、ハイキングを楽しんだ。ジュリアはその日が他のドイツ人たちと一緒にモンゴルから中国へ出発する日で、途中でバスで帰って行った。
「ねえ!一緒に来てよ!!」
っていう半分冗談の半分本気なお願いに、なんだか僕は泣き出しそうになってしまった。ナイーダと僕はそのままコテージで1泊した。
「私ね、スペインに好きな人がいるの。でもその人は奧さんがいて、あまりうまくいかなくなっちゃったの。それで旅をすることにしたの。」
「俺はさ、なんていうか…これからどんなふうにどうやって生きていこうか、全然わかんなくて参っちゃってるんだよね。」
なんて、夜通しワインを飲みながらしみったれた会話を延々と繰り広げた。ツアーから帰ってきてからというもの、何をするにもおセンチな雰囲気が醸し出されてしまう。やれやれ。
ウランバートルに戻り、ナイーダもロシアへと旅立ち、ついにこのわけのわからぬモヤモヤを分かち合う仲間もいなくなってしまい、僕はすっかりもぬけの殻であった。ってことで、途方に暮れちまってゲストハウスでベッドの上でゴロゴロとしていると、スタッフがあまりにも僕が何もしないものだからカタコトの日本語で、
「ニホンジンモンゴルミテ!」(たぶん観光しろという意味。)
「ニホンジンアタマオカシイヨ!」(たぶんいつも寝ぐせで髪がボサボサという意味。)
と励ましてくれた。
なんだか心配かけるのも悪いので、映画を見に行くことにした。お、『ハリーポッター』やってるではないか。ということで、僕のハリーポッターシリーズはなんとウランバートルでその完結を迎えたわけであるが...それにしても画面はちょこちょこ揺れるし、上映中に携帯は鳴り出し話し声はするわ、これからクライマックスというところでパラパラと人は帰っていくわ、なかなかにショッキングな映画体験であった。上映後、なんなんだよモンゴルの映画館!と毒づいたものの、なんだかそのわけのわからなさにちょっと嬉しくなってしまい、いくらかスカッとした気分になって、電車でどっかの街に行こうかな、くらいには思えるようになった。ハリーポッターが魔法をかけてくれたのかもしれない。
スフバートルは端っこの町だった。子供の無垢さというよりも老人の素朴さを思い出させるような、始まりというよりはむしろ終わりの町であった。それは僕の旅の終わりに対する意識が象った幻影なのかもしれないけれども。どうしてスフバートルにしたかと言えば、特にこれといった理由はなくなんとなく響きで決めた。
電車で6時間ほど揺られ、着いた頃は夕方であった。駅に隣接している宿は雑居ビルのような佇まいで、内装はこれといった気の利いた装飾があるわけでもなく、部屋もテレビにベッド、机に椅子があるだけ。いたってシンプルであった。その部屋にはちょっとしたバルコニーがあって、そこから町を見渡すことができる。その時泊まったのは4階の部屋であったのだけれども、そういえばこんなに背の高い宿に泊まったことがなかった。景色の眺めは悪くない。
道中の電車はあれやこれやと、落ち着かない時間を過ごした。うっかりしたことに前日出発のチケットを買っていたようで、車掌にチケットを見せたところ「これは昨日のだぞ!」と怒られ、おまけに身分証明しろ、と言われパスポートを見せた。モンゴルはついこないだまでビザが必要にだったのだけれども、最近それが必要なくなった。それを知らない車掌は「なんでビザが無いんだ!」と僕に不法進入の疑いをかけ始め、パスポートをどこかに持って行ってしまった。しばらくしてその疑いは無事晴れたようだったけれども。(そもそも入国審査パスしてるやんけ!)
座席近くにママ2人と子供が沢山いて、どうにもこうにも子供といるとワイワイと騒いでしまう性癖のある僕は、その時も子供5人くらいと車内でフザケまくっていた。3~8歳くらいまでの女の子達で、あっち向いてホイを教え込み、ケラケラ笑いあっていた。すると、それがあまりにもうるさかったようで、子供と一緒に母親に怒鳴られてしまった。なんて言っているかはよくわからなかったけれど、子供一同、粛々とした雰囲気になって、それぞれの座席に戻っていった。なんか今日は怒られてばっかりだな。
そんなやっとこさ辿り着いたスフバートルであったが、それは久しぶりの1人ぼっちの旅であった。頭の中で言葉がグルグルと回り出し、それを話す相手もいないから、少し気がおかしくなり始める。なんとかフラフラと歩き回り、写真を撮って、宿に帰ってはノートに文章を書き連ねて正気を保つ。とは言ってもやっぱりここは端っこの町だからゾワゾワした気持ちにもなれず、というかゴビ砂漠燃え尽き症候群がどうやら尾を引いているようで、毎日何するともなく徘徊して3日目にウランバートルへと戻ることにした。金も底を尽きはじめていた。
モンゴルはすっかり秋であった。朝はセーターを着込み、宿の前で旅人がコーヒーを飲みタバコを吸いながらたむろしていた。ゴールデンゴビにいる旅人の面子もだいぶ入れ替わり、僕はだいぶ古株になっていた。ノルウエー人のフォトグラファーの旅人と仲良くなった。仲間3人と旅をしているらしく、他に医療の仕事をしている人と機械系のエンジニアをしている人と中国で買ったサイドカー付きのバイクに乗って一緒に旅をしているらしい。
「俺たち3人がいれば怖いものナシだぜ。」
夜はバーに行き酒を飲んだ。ノルウエーがどれほど素敵な国か、だから当時世間を騒がしていたノルウエーで起きた連続テロ事件がどれほど悲しかったか、旅をすること/写真を撮ることがどれくらい好きかなどなどいろんな話をしてくれた。
「これからロシアに行くんだけど、ビザがなかなか手に入らなくて困っちゃってさ、やっと今日手に入るんだ。」
しばらくすると、他の仲間2人とモンゴル人がやってきて机の上にそのビザらしき物を置いた。よく見るとそこに写っている顔写真が全然違う人であった。
「これはさすがにムリじゃね?」
と、仲間のひとりが言う。みんな一斉に笑い出す。え、いや…不法入国?ついに身動きがとれないほどお金がなくなってしまって、主食をピーナッツに切り替えた。腹が減ったらそれをポリポリと食べていた。すると隣のベッドにいたアイルランド人のお姉さんが
「あなた、いつもピーナッツばっかり食べてるわね。」
と話しかけてきて、お金がなくなって仕方なくピーナッツを食べている答えると
「ダメよ!まだそんな若いのに、ちゃんと食べなさい!ホラ!」
と持っていた菓子パンを大量にくれた。髪が黒く目の澄んでいて、笑顔がチャーミングなとても綺麗なお姉さんだった。なんだか情けなくなってひたすら感謝して、こんなに素敵なお姉さんが世の中にいるならもっと男を磨かなければ、と堅くモンゴルの大地に誓った。それにしても旅先で出会った、もう二度と出会うことはないだろうイカした大人たちは、今も僕のアイドルであり、追いつかない背中であり、悩ましき人生の道しるべであったりする。
2週間半かけてきた道のりを6時間のフライトで帰るのである。それは僕にとって、ワープ以外の何物でもなかった。変な鉄の塊の狭っくるしい席に座ってウトウトしていれば、なんだか知らないうちに着いちまうのである。フライト時間は朝早く、たまたまゲストハウスで知り合った日本人の(しかも僕の通ってる大学出身)お姉さんと一緒にまだ夜の明けていないウランバートル市内を車に揺られていた。
ウランバートルの空港は小さくて、電車の駅に毛が生えたような簡素さで、アナウンスはもちろんウルドゥー語だし、誰が乗客で誰が飛行機会社の人か見分けがつかないし…ちょっとでも油断すれば、飛行機に乗り遅れてしまいそうで、自分の飛行機を逃すまいとお姉さんと2人でキョロキョロそわそわしていた。
1ヶ月の旅の終わりが名残惜しいかって?現実に舞い戻るのが怖いかって?いや、それはもちろん多少ある。けれども、旅に出る前の生活があまりにも遠い昔の出来事な気がして、イマイチ実感が湧かないのである。あるいはいろいろなことがあり過ぎて、自分の周囲の環境の変化に対して、どこか麻痺してしまっている部分があるのかもしれない。あるいはあるいは、日本から陸路でウランバートルに行くなどという無茶をしたものだから、飛行機に乗るということが一体どういうことなのかピンと来てないのかもしれない。
いずれにせよ御涙頂戴、感動のラストシーンなどは存在せず、けっこう淡々と僕のこの一世一代の旅は終わりを迎えた。果たしてこの旅がいったいなんだったのかよくわからないけど…それどころか今でも時々ふっと、自分はあれから果てしない旅の続きをしているのではないかという気がしたりもするのだけれども…
人生とは旅であり、旅とは人生である。(おわり)