SDGsはヨーロッパの戦略的な道具だった?
国際制度は自国優位な国際環境に寄与する
リアリズムの視点で考えば、国際社会において優位にある国が、SDGsのような規範・制度を用いてそのパワーを拡大しようとするのは当たり前のことです。国際社会における自国の優位が保つのに規範や制度が寄与するのであれば、その体制の維持は国家の国益に適います。
しかしこの記事に挙げられている通り、今回のケースでは、エネルギーパワーバランスで不利にある国が、ハード面で物を言うことが難しいことからこそ、規範の適切性を主張し・マジョリティを味方につけることで支持を拡大しようとしていると捉えることができます。
これは、リアリズム的な国益追求の行動(エネルギー分野での覇権奪取)と、コンストラクティビズム的な規範の適切性の論理の有用性を認識した行動(気候変動に国際社会でにコミット)という、その両方の側面が同時に見られるケースなのではないかと思います。
この記事を読んで、ヨーロッパのエネルギー先進諸国が規範の支持を通して、その主導者として世界の中心に立ち、影響力を確保しようとしている側面は確かにあるかもしれないと思いました。
SDGsはヨーロッパの覇権を意図したものだったか?
そのSDGsは、MDGsを引き継ぎながら、より環境分野へのコミットを強く打ち出した国際的な目標です。これは 経済的に豊かであればあるほど良い、というそれまでの「当たり前」に疑問を投げかけるものであり、その点で中国やインド、東南アジア、その他非環境エネルギーの消費で発展してきてた国々と比較し、歴史的に環境保護に先進的だったヨーロッパにとって有利な考え方です。
仮にこれを故意のパラダイムシフトだとすれば、或いは規範拡大の途中からそうした性格が強まってきたのであれば、その戦略は非常に狡猾かつ大胆な発想です。これまでの国家パワーの比較軸を大幅に変更し、ヨーロッパ優位な基準をもって世界秩序を再構築しようとしていると考えば、その行動はヨーロッパ諸国が世界のパワー分布の変化を求めているとも言えるのでは無いでしょうか。
その場合、ヨーロッパは世界の覇権に挑戦する意思があるということになります。
今後の国際情勢、そういった国家・地域間の影響力争いにも注目していきたいと思います。
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