そもそも縦割り活動とは?
導入から、学年っていうくくりもどうなんだという話になりました。
小学校低学年では一斉指導ではできる子はあきるし、できるようになっていない子はおいて行かれます。いっそオランダのように誕生日から入学してはどうでしょう?
特別支援の学校では逆に実現しているようです。一斉授業の効率や形式的な相対評価から抜け出せれば、普通学級でも実現できるのではないでしょうか。
また、効果的に行うには、自発的内発的な活動であるべきで、その余地、暇もない状態にあることに問題があるように感じるという話になりました。
先生主導の縦割り指導の実際。
6年生にどう仕掛けるか。先生これどうしたらいいですかと聞いてくる学年はダメ。目当てを伝えられていたら、子どもたちから動き出すというお話も伺いました。
目的と方針をもって、指導することは特に小学校段階においては大切なことだなと思いました。
後輩を面倒見る関係もよいのですが、同時に先輩を敬わなくてはならない関係も生まれ、一年、場合によっては数日早く生まれた人と上下関係ができてしまうところには問題意識を感じます。その人との関係性の中で自発的に出る尊敬関係はいいと思うのですが…。
「縦割りの指導事項」がもしあるなら、そもそも縦割りの目的は何か。付随して表れる事後的な副次的なものではなく、縦割りでなくてはならない指導事項。
学年と言う分け方ではなく、資質能力ベースの誕生日入学などになれば、「上が下を教える」という上下関係性にもくさびが打てるかもしれません。本当の意味での学年を超えた学び合いが成立しないでしょうか。最も知識理解ベースだと、今度はわかっているわかっていないの上下関係が発生しそうなので、そこにも配慮が必要です。教員が一斉に教えるのではなく、子どもたちが目的に応じて必要な学びを選択し、教師のサポートを受けるのがよいのではないかと思いました。
ただし、学年であることの良さも現状では活かすことも考えていいかもしれません。縦割りで探究活動を行う。ゼミ形式で行う高校の実践。先行研究を活かすという意味で教育的意義の大きい活動に感じました。
一歳の年齢差が中身の伴わない上下関係を産み出している負の側面もあるように感じます。(良いところもあるとは思いますが、昨今においては何を優先するかが大事かも。)