現代結婚論
お疲れ様です。
こちらの記事では、幼馴染と結婚して21年目、
まだまだ仲良し夫婦の夫側な僕の経験から、
現代結婚論と大層に題し
果たして結婚って要るの?要らないの?
という本末転倒なテーマで個人的主観を書こうと思います。
僕が結婚してからこれまで
あらすじ
僕が今の奥さんと入籍したのは、19歳8ヶ月くらいの時。
高校を卒業して専門学校に進学した僕、同じく芸大に進学した奥さん。
子供ができたので、結婚して結果的にふたりとも学校を辞めました。
妊娠が分かって、それぞれの親に挨拶に行き、
中学の頃からデートしてたところに行って、改めてプロポーズしました。
ロフトでシルバーのペアリングを買い、結婚指輪にしました。
挙式も披露宴もなく、成人式の記念撮影で、生まれたての息子と奥さんと3人で撮った写真が結婚記念写真みたいなもんでした。
僕は、そこからスロット屋さんでアルバイトしつつ、運転免許をとったり就職活動をしたりしてました。
無事に長男が生まれてしばらく、特に強い志望もなく就職したのもあって、会社を転々とし、鬱になり、働きに出てくれるようになった奥さんに支えられ、アルバイトから社会復帰して、2人目3人目の子供ができ、また幾つか会社を転々とし、ようやくそれなりの年収になったのが最近。
しんどいこともありましたが、少しずつ生活が楽しくなってきた感じです。
辛かったあのころ
結婚してすぐは、まだまだおままごと夫婦。
そして僕がなにより子供でした。女遊びはしないものの、パチンコに手を出したり、家事もやらない、どうしようもない大きな子供です。
当時は奥さんのことを「お前」とか名前の呼び捨てにしていたし、
気に入らないことがあれば怒り散らかしていました。
それがある時期から、少しずつ転換します。
職場の人間関係がきっかけで鬱になって引きこもっていた時、
結局8ヶ月ほどはほぼ働かず、父の仕事をスポットで手伝ったりする程度。
ほぼ奥さんのアルバイト代で生活を賄う現状に堪りかねた僕は、
ある日「ごめん、別れてくれ。」と願い出ました。
子供だけでなく、こんな自分までも背負ってくれているのが心から申し訳なかったからです。少しでも楽になりたかった。
そんな僕に、
「イヤや。・・・絶対別れへん!」
と手を震わせ目を血走らせていた奥さん。
その表情は、今でも忘れられません。
それが23歳位の頃。
フツーの進学をしている人であれば、大学を出てすぐの頃ですね。
当時は本当に理解不能でした。なぜそばに居続けようとしてくれるのか。今でもその時の気持ちは聞いたこと無いので理解はできませんが、
ただただ、あれをきっかけに、自分から少しずつ「甘え」のようなものが洗い出されていったような気がします。
そしてそのあたりの時期から、少しずつ状況を克服し、
派遣のアルバイトをしながら就職活動をし、その後7年務める会社に出会い、そこでECという仕事に出会い、結果として無事に社会復帰するようになります。どうやら真人間になれたようです。
ちなみに2人目が生まれる前あたりから、
奥さんのことは名前にちゃんを付けて呼ぶと決めました。
二人目三人目は女の子だったので、
奥さんの名前から一文字つけるようにしてますし、
子供らの前でも奥さんをママとは呼びません。
「あんたら(子供)より、◯◯ちゃんの方がオレは大事。」
ときっちり宣言しています。
おしどり夫婦になった
それからも色々と夫婦で喧嘩したりしましたが、
基本的にはラブラブ。よっぽど怒っていない限り毎日、
行ってきます気をつけてねと口づけします。
3人目の子供が生まれてすぐの頃、とある事情により
単身僕が大阪に残り、徳島のとあるところに4人で暮らすという
いわゆる二重生活を送ったりしつつ、なんとかかんとか生活してきました。
最近では、20歳になる息子は単身関東に出て就職し、
娘2人も僕ら夫婦もそれぞれ少しずつ問題を抱えつつ、
基本的に毎日二人で晩酌をし、
家事はタイミングで分担したり一緒にしたり。
という感じの4人と1匹でそれなりの生活を送っています。
今は娘が2人とも10代になったので、留守番をさせ、
夫婦水入らずのデートなぞも時々楽しんでおります。
次の目標は、二人だけでの旅行です。
そんな感じ。
21年目を迎えて思うこと
そんなこんなであっという間に結婚20周年を迎え、
フォトグラファーさんを見つけて記念の撮影会をしてもらい、
相変わらず毎日晩酌してそれなりの生活です。
結婚してなかったら?
時々浮かぶたられば論。
「もし結婚してなかったらどうなってただろう?」
これは数秒で「いや~結婚は絶対してたなあ」と打ち消されます。
お付き合いしていた当時から、
「結婚はするんだろうな」
と自然に考えてたので、遅かれ早かれ結婚はしてたでしょう。
婚姻届を出していなくても、「ともに生きる」は選んでたはずです。
子供がいなかったら?
「子供が居なかったらどうなってただろう?」
という”たられば”を考える時、
どうしてもというか自然な流れで、
「自由 / 不自由」という言葉が頭をよぎります。
若くして所帯を持ち、細々と楽しく暮らしてきたわけなので、
子供が居なければ、
例えば車を持っていたのではないかとか、
もっと広い部屋だったのではないかとか、
もっとじっくりスキルアップできて、
結局今よりも高い年収だったんじゃないかとか。
そういうことは正直、考えます。
けど、子供が生まれてくれた今の人生を振り返れば、
奥さんの色んな面を見れて、自分の色々な内面も見れて。
お金をかけなくても楽しむ方法を開発したり(笑)、
色々な現実に触れながら考えや生活を整え、
一緒に子供に向き合って、
自分を省みて、また少しずつ考えを整え、少しずつ成長してきました。
結論、子供が居なかったら、
「40歳になってもまだまだ浅い子供だったんだろうな」
という考えに行き着きます。
子供がいる子供も多い
では「子供がいる人はすべて”深い”人間なのか?」
これもまた人それぞれ。
子育ての機会を得ても、まだ中身が稚拙な人も多いです。
例えばモンスターペアレンツってのは、
子供が子供を産んで未だ自分も子供のままという典型例です。
結婚して子供が生まれると一口に言っても、
家族に暴力をふるい、刹那的に好き放題に遊び、子供の名前や髪型で遊んだり、食事も適当、言葉選びも教育も乱暴で適当で他人任せ。
そういう深く考えない「みんながこども」な家庭もありますが、
それはそれ。こんな記事の対象者ではありません。
読んでも自覚は無いでしょうし。
「子育ては親育て」と言ったりしますが、
子供という他人の人生に関わる時に、
自分が親から受けた情や教えを振り返り、改めて感謝したりする。
そして自分がカッコいいと思う大人を、まずは演じて、
自分の軌道修正をして、整えていく。
そうしていくうちに、僕の場合ですが、
ちょっとしたことでは動じず、少しのことは許し、
何事も冷静に考えて問題点を見つけ、子供の人生を信じ、
自分は自分の道を見つける。
そんな風に変わってきたよなー、と自覚しています。
奥さんにも子どもたちにも、感謝しています。
結婚とは
ここまで自分の経験や所感を書いてきましたが、
僕の現代結婚論、
「このご時世、結婚なんて言われてするもんじゃない」
「それ、別に結婚じゃなくてもいい」
ってのが結論です。
縁組と自由結婚
一昔前までは、家名を存続させるために
それこそ「縁組」までして男女をひっつけるのが普通でした。
「どうする家康」見ててもその辺は昔は色々あったんだなー、
でもこういうのがあって今の自分に繋がってるんだなー
ありがたいなーとぼんやり考え感謝してます
話を戻して。
それが恋愛結婚、言い換えるなら”自由結婚”が主流になったのに、
古い価値観と現代の価値観がごちゃごちゃになって、
「そろそろ結婚"しないと"なあ」とか「孫の顔が見たい」とかいう、
幸せの既成概念や固定観念に囚われ続けている。
結婚はスキルでも目標でもない
「結婚"でき"ない」という言葉がまだある。
結婚ていつから”技能”になったんです?
ただの相性と考える方向性の一致不一致でしょ。
さらに僕が結婚と紐付けることを嫌う言葉に
「ゴールイン」ってのがありますが、
何?完成?達成?結婚して完成?終わりなんです?
そうじゃないでしょ。
結婚それ自体、今や「おやくそく」でしかないし、
公的なタッグ結成申告でしかない。
公的で手続きが少し大掛かりな”ゆびきりげんまん”でしょ。
結婚”相談”所
こないだ奢りにきた『結婚相談所』勤務マンに「結局、どういう条件の人が結婚に有利なの?」と聞いてみたら、「男は職業と年収」「女は年齢と顔」と即答されて、大量のデータを読ませた結果、「人類を滅亡させた方がいい」という残酷で正しすぎるアンサーを出したAIみたいになってて、とても良かった。
— プロ奢ラレヤー (奢られ日記) (@philosopium) September 27, 2023
タイムリーにポストしてくれてるんで勝手に引用しちゃいますが、
「結婚相談所」なるハブが存在するだけで
「やり手ババア」的な時代錯誤だと思うし、
「安定した仕事と稼いでる額」「生まれてからの年月と見栄え」
が有利とされる結婚がとても不思議。
そんな基準で人間を測るから結婚が足枷になるんじゃないですか?
そうじゃなくても、
孤独や寂しさを紛らすためとか、老後が心配とかいう理由で、
結婚という形式的人間関係を求めるって、
その人達は何がそんなに不安なんでしょうか?
いいやん、その解決策が結婚じゃなくても。
結婚以外の色々を選べばいいのに。
どうしても自分の子供が欲しいんですかね?
それなら、
未婚で子供を作ってなんとか育てるか、
ちゃあんと幸せな結婚後生活を送るか。
運やめぐり合わせに恵まれるしかないですね、
僕の立場から言えるとすれば。
負の連鎖、正の連鎖
子供の頃に両親がどんな姿を見せていたか、
両親からどんな言葉をかけられたか。
これは結婚観にもどんどん影響して連鎖するようで
「男はみんな◯◯」「女なんてどうせ◯◯」
などという思い込みは、刷り込みによるところが大きいみたいです。
僕の場合、父は産みの母と離婚して別の方と再婚しており、
特に喧嘩もラブラブも見たことはないかと思います。
ただまあ、父は晩年、今の母とはラブんラブんで、
僕の奥さんと母とでのろけ合戦をしてるのを聞いたことはあります。
ただ再婚したのは僕が高校に入ったころなので、
その父の姿がどこまで刷り込みにあたるのかは分かりません。
なので、結婚して生活を共にしている両親の姿に、
自然と、潜在的に自分の結婚観や夫婦像を合わせる傾向があるようです。
なので思い当たるフシがある方については、
充分に注意し、第三者にしっかり相談して相手を見定めるか、
そもそも結婚を諦めるのがシアワセなのかもしれませんね。
まとめ
いろんな人間関係の形はありますが、
やはり形式としての結婚に囚われるのは、
ポジショントークでもなんでもなく、
不思議で滑稽です。
なんでお互いがお互いを、
それぞれ人間として正面から受け止められないのに、
わざわざ結婚なんて選ぶんですかね?
あと、
「いい人いないかな」とか「出会いがない」という言葉は、
「いい人見つけられる人間じゃない」とか
「出会い、与えられ待ちでーす♪」
と言い換えてみてはどうでしょうか?
子供がほしいから結婚。
ずっと一緒にいたいから結婚。
”結婚”したいから結婚。
んー、もう数十年したら、
どうにかなるのかな、申請としての結婚。
最後に僕の現代結婚論、再掲です。
「このご時世、結婚なんて言われてするもんじゃない」
「それ、別に結婚じゃなくてもいい」
この記事が何かの参考になれば嬉しいです。
曇りなき眼で、肩の力を抜き、
囚われから脱して、楽に楽しくいきましょう。