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雑記(二〇)

 情事の顛末を小説に書くのは、大変なことであると思う。

 自分の経験を日記ふうに書けば、書けなくもないのだろうし、私小説ならばそれでいいのかもしれないが、何となくかっこよく、洒落た経緯を書こうとすると、途端に見当がつかなくなるのではないか。何しろ密室の出来事だから、他人の様子を見て書けばいいというものでもない。映画やドラマの場面を参考にする方法はあるが、濡れ場の傑作を見つけるのは、難しいような気がする。

 丸谷才一の小説『輝く日の宮』(講談社)に見える情事の場面は、どれもいい。たとえば、大学教員の杉安佐子が、並木という大学准教授と西麻布の焼き鳥屋で食事をした後、二人で並木の行きつけの居酒屋に向かうが、満席で入店を断られてしまう。バーに行っても空席がない。安佐子が「どうでせう? あたしの所へいらつしやらない?」と提案すると、並木が嬉しそうな表情を見せたので、安佐子は慌てて「過剰な期待をなさつちや駄目よ」と釘を刺す。すると、並木は大笑して言う。「もう、しちやつた」。

「この冗談で二人の距離は急に縮み、品川までのタクシーのなかで並木が手を握らうとするのを安佐子が拒んでも、彼らの間柄はまつたく色調の違ふものになつた。住ひの前に着くと安佐子はここでしばらく待つてゐてくれと頼み、居間と台所を手早く片づけてから、念のため(万一のときのためよ、と自分に言ひ聞かせながら)寝室も整へた。シェリーを飲んでゐるうちに男は女の脚を酒の肴のやうにいじり出し、その触り方は念入りで上手で、やがて女はシャワーを浴びにゆくしかなくなつた。そのあとで男もシャワーを使つた。男は足のしやぶり方がとりわけ巧みで、かういふ技術は安佐子の知らないものだつた」。

 この段落はこれで終わり、次はもう翌朝の様子に移るのだが、女は男に気を許すまいと思っていたのに「彼らの間柄はまつたく色調の違ふものになつた」というし、なおも気を張っていたはずの女が、いつのまにか「シャワーを浴びにゆくしかなくなつた」というあたり、自分の意志と相手の意志と、それから自分と相手の二人の間に、それぞれの意志とはまた別に醸成されてゆく雰囲気とが混ざりあってゆく展開が、情事にいたる場の流れとは、まさにこうであろうと思わせる。安佐子はこの後、別の男とも関係を持つが、情事の場面はいずれも余情にあふれた省筆で演出されていて、そういう場面を期待して読ませるというほどではないにしても、物語に湿度と質感を与えてあまりある。

 一方で、安佐子が考究する『源氏物語』の成立をめぐるあれこれや、一九八〇年代から九〇年代にかけての新聞記事的な記述も、もちろんそれはそれとして興味を持たせていて、小説の登場人物たちが、まぎれもない歴史的事実に囲まれながら生きているのも愉快である。

 特に興味深いのは、戦中、戦前期の歴史に踏み込むところだろうか。安佐子の父の玄太郎は、皇国史観で有名な「和泉錠」という歴史学者に師事していたことになっているが、この和泉のモデルは、実在の歴史学者で東京帝大の教授だった平泉澄という実在の人物だ。平泉は、一九三六年の二・二六事件の発生翌日、昭和天皇の弟で決起将校の一部と親交のあった秩父宮と密談している。弘前から列車で東京に向かっていた秩父宮に対して、平泉は上野駅を発って群馬の水上駅に向かい、あわただしいことに、列車内で合流したのである。

『輝く日の宮』では一九九六年の七月、八十二歳になっているはずの玄太郎の病床を見舞った安佐子が、「和泉先生」について、「二・二六事件のとき、秩父宮の列車を待受けてゐて、乗込んで、どんなこと言つたのかしら?」と問うている。これは、情事の場面などとは違って、二・二六事件のときの平泉の行動を知らなければ、うまく読めないところである。見ようによっては、やや不親切な箇所でもある。

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寺井龍哉
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