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『ドント・ウォーリー・ダーリン』ガールボスより失敗女

 レンタル配信が開始されたオリヴィア・ワイルド監督『ドント・ウォーリー・ダーリン』。お金のかかったセットは壮観なのだが、消化不良でほかの展開を考えたくなる。

※以下、ネタバレ

 消化不良の原因は、オチ=真相までがのばしすぎな肩透かしにある。フェミニズム版『ゲット・アウト』みたいな企画だけど、『ゲット・アウト』と違って「世界観紹介」の緊張と刺激、つまりスリルとワクワクが持続しない。
 監督は「男が全部悪い」メッセージにしたくなかったというが、結果としてそんな感じになってる気が……。べつに「男全悪」でもいいのだが、問題なのは男女両方のキャラに厚みがないこと。主役カップルに関してはハリー・スタイルズが役不足。終盤が急ピッチすぎて「弱者男性のカリスマ」ジョーダン・ピーターソンをモデルにしたクリス・パインのフランクはあっけなく終わり。「リッチな保守妻」がハマっていたジェンマ・チャンのシェリーにしても、急に刺して退場するので、なんだかgirlbossっぽくなっていた。

girlboss:本来「独立した強い女性」だが、この場合、オタク用語「女性キャラをフェミニズムヒーローに見せたい作り手の欲求が先行したりして粗雑になった描写」

 「前時代の幻想を求める男性」テーマにインターネット文化問題を絡めるネタ自体は面白いけど、オチがそれだけなら『ブラックミラー』式の1エピソードでいいよとなる。

 SF設定やホラー演出回収がゆるいのもあり「こうだったら良かったのでは」みたいな妄想はやりやすい。
 たとえば①アイドル編。熱狂的ファンだったジャックが「理想」どおりではなかったパワハラ教祖フランクを衝動的に殺す。男性同士の格差関係、およびファンのアイドルに対する幻想問題なんかが混ぜこぜになる。あるいは②保守ジェンダー編。シェリーを伝統主義者にして、夫殺害の動機を「自分のほうが完璧な伝統世界を創れるから」、つまり過激思想とする。規範と対極の家父殺害妻になる皮肉。フランクにしても傲慢な「理想」洗脳が結実したからこその最後。刺殺がどこまで洗脳被害でどこからシェリー本人の意思なのかはわからない。

 最後は③失敗編。作品テーマを覆す無理筋なのだが、パートナーを仮想世界への道連れにしたのをアリスのほうにする。中盤「ジャックに閉じ込められた」と思い込み奮闘するが、終盤で自分こそ犯人だと気づくプロットツイスト(現実の身体管理に関してはSF設定を変える)。
 まず、現実過去パートで外科医か研修生のわりにボロいアパートに住んでいたこと、お互い態度が悪かったことを活かす。失業中のつらさでフランク崇拝に染まったパートナーから仮想世界について打診されるが「性差別インセル」と罵って終わる。しかし激務のなか奨学金の支払いに追われ、パートナーの就職も絶望的。まわりの実家も恋人も太い同僚とは大違いの境遇に疲れ果てていく。そこで、幼いころおばあちゃんと観た大昔の「古き良き幸せな家庭」ドラマでも目にしたことで、昏睡させたジャックと一緒に仮想世界に入ってしまう。そこは楽な世界だったが、罪悪感からは逃げられず、医師に頼んで記憶を消してもらう。キキ・レインの役の対極であり、オリヴィア・ワイルドの役とは加害者と被害者が逆。
 犯人がアリスだからこそ、ハリー・スタイルズことジャックは「理想のお人形さん」のような棒読みなのである。北米で評判が悪かったジャックの強引な性行為にしても、実は女性に人気があった「無理やり求められるファンタジー」である(行為自体はアリスに対するオーラルセックスや愛撫メインなのでそのあたりも女性向けポルノっぽい)。
 この真相こそ、フランクが主人公を煽りつづけた理由でもある。「弱者男性」文化への軽蔑を隠さない「独立心の強い女」がパートナーをいいようにして「理想的な家父長制世界」に浸っているのだから。物語の終盤、自分のあやまちに気づいたアリスは、夢世界でな幸せになれないと学ぶ。辞めるにせよ仕事と向き合うべきだったし、別れるにせよパートナーともきちんと話すべきだったのだ。しかし、真相を知らされたジャックは「ここに残ろう」「君も夫につかえる妻として幸せだったはずだ」と主張し、暴力的に組み伏せようとする。彼を振り払ったアリスは独りで塔へと走っていく。すでに罪を犯しているから、脱出した先になにが待ち受けるかはわからない。それでも、選択することが重要なのだ。

 ……多方面から非難轟々になりそうなシナリオだが、頭にあったのは「gilrbossよりgirlfailure」トレンド。わかりやすい「強い女キャラ」よりも矛盾だらけの「失敗する女キャラ」こそ今の(英語圏の)女性オタクから求められている、ということだ。この二つは被ることも多いが、見せ方や見方による。gilbossの典型例が『ワンダーウーマン』ダイアナや『プラダを着た悪魔』ミランダであるのに対し、girlfailureは『サクセッション』のシヴ、『ユーフォリア』のキャシーetc、おおむね不道徳なあやまちを犯して失墜していく。元々そういうキャラは高評価だっただろうが、シビアな現実を突きつけられたコロナ禍のあと概念化されたのは納得しやすい。

 girlboss的な「女性の強さ」啓発は、自己評価の低い女性を生みやすい社会構造的に大事である。でも「勇敢な女性が悪い男性に勝つ物語」だけではやっていけないのが現実だ。多くの大人は、高潔な思想信条あろうと、折り合いをつけながら他者と協調して生きていかなければならない。経済や労働、時間、そして責任の面での制限もかかる。たとえばそこで「理想化された古き規範」に惹かれるのはマジョリティ男性に限らないだろう。フェミニストを自認する女性でも、信条に反する「ファンタジー」に揺れたりする(それが商業化された「ファンタジー」の機能設計なのだし、惹かれることは別に悪いことでもない)。
 上に書いたシナリオ案は、そうした矛盾の寓話であり、矛盾との闘争だ。ある面、現実のgirlbossは必ずどこかでgirlfailureになる。矛盾が生まれつづけるのが生活なのだから。

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棒読みとか言っちゃいましたが凄い人です

よろこびます