『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』S2E2-4 無益な大戦
アンチ・ブロックバスターかのように壮大になるほど増す無益感。『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』シーズン2 第2〜4話、「残酷なレイニラ」「燃える水車小屋」「緋竜と金竜」感想。
建前の崩壊
ブラッド&チーズ事件によって宣言された「真のゲーム・オブ・スローンズのはじまり」。兵をまとめる戦争には大義が必要だが、その建前すら崩れて事態が制御不能になってからが玉座争いだ。
じつのところ、このターガリエン内戦、通称「双竜の舞踏」には、双方政治的な建前があった。黒装派にはヴィセーリス王による公的な継承指名、つまり「王の声が法」。対して、翠葬派が立つのは、ヴィセーリス含めた歴代王の継承法にならう男子相続、つまるは「法が王にまさる」法治主義である。
ただ、翠派は統治の安定も主張できる。ウェスタロスは絶対王政ではなく、領主の権利が重要視される封建社会だ。和平の担保となるのは同盟、なかでも婚姻同盟である。だからこそ落とし子の偽装相続は大反逆罪とされる。これを堂々犯した者こそレイニラ・ターガリエンにほかならない。彼女は最重要同盟の長男たる夫レーナー殺害を流布する「処刑女王」として恐怖政治プロパガンダまで行った。元々領主たちが継承を承認した理由は「殺戮者」デイモン戴冠回避だというのに、その男と無許可再婚してヴェラリオン領主の次男を法的手続きなく斬首までしたのだから、非常に危険な王位継承者である……
……などと政治的理由は出していけるのだが、こうした建前すら瓦解させたのがブラッド&チーズ事件だ。恐怖政治の一環として選んだ夫をコントロールできないレイニラは、残虐な幼児殺しの地位に堕ちた。ポピュリズムを志したエイゴンにしても、無実の平民たちをさらし首にする暴君に成り下がった。大義の崩壊の象徴こそ、義務にアイデンティティを依存してきたアリセント・ハイタワーとクリストン・コールの崩壊だろう(脚本荒すぎてキャラ崩壊してる感ある二人だが……)。
「親族間の絶滅戦争」と記される内戦の幕を開けるのは、アリクとエリクの逸話である。双子同士の殺し合いに敗した翠派アリクは、兄弟へ愛を告げて息をひきとる。生き残った黒派エリクのほうは、兄弟を殺した悲しみに耐えきれなくなり、忠義から降りて自殺する。『GOT』のキャラクターにせまる選択肢といえば「義務は愛の死/愛は義務の死」であったが、ここではそのどちらも成立していない。悲劇的に無益なまでだ。
盤上の亡霊
建前が粉砕されたあと、ゲームのプレイヤーは己の制御すら失っていく。ヴィセーリスに次ぐ元凶ことオットーとデイモンをむしばんでいくのは悲しみである。二人がそれぞれ姪と娘の人生を壊してまで策略をはたらかせていった理由は、権力欲というより、人生価値をヴィセーリス王の承認に置いていたことにある。だからこそ、愛する王が死すと行き場を失ってしまうのだ。オットーにとってのエイゴン王はヴィセーリスではなかったし、デイモンにとってのレイニラ女王も兄ではなかった。
面白いのは、二人が主戦場から消えてしまうことだ。生きる目的を喪失したデイモンの新たな舞台がゴシックホラーなハレンホールとなったのは象徴的で、今や旧世代となった彼は亡き兄(あるいは兄のため行った己の所業)の亡霊に取り憑かれている。かつてヴィセーリスがエイマの死の罪悪感に取り憑かれ、生きる気力を失い、領域も子どもも自分もすべてネグレクトして内戦の地盤を整えたように。機能不全家庭の継承をテーマにするこの番組では、亡霊によって盤上が動かされるのである。
レイニラにしても、ヴィセーリスの霊を追い求めている。アリセントとの平和交渉でもジェイスへの伝承でも、彼女が主張し依存するのは父の寵愛だ。予言が自己正当化に使われるなら、過激化の原動力となるだろう。
古傷の流血
とにもかくにもこの内戦、王族の家庭崩壊に帰するのだが、王族ゆえに被害はひとつの家におさまりきらない。戦争の規模をつきつけるショットが、S2E3冒頭、バーニングミルの死体の山だ。S1でいがみあいの歴史が語られてきたこの二家、親族でもある。シリーズ原作にはこんな言葉がある。
この負の連鎖は、ターガリエン家にも適応できるだろう。レイニスが指摘したように、歴史を知らぬ新世代がくわわり殺戮が加速するなら、争いをはじめた理由すら忘れ去られてしまう。裏を返せば、状況を悪化させてきたのは、古傷に囚われる者がつけていった新たな傷である。新世代の敵対を決定づけたのは、それぞれ父親の負の面を継承したレイニラとアリセントの子育ての末路、具体的にはドリフトマーク事件である。彼女たちは子どもたちからお互い謝る機会を奪い去った。こうして反省しなかったルークは再開早々いじめネタでエイモンドを嘲笑し、それがたった数日後の事故死を招き、ブラッド&チーズへと連鎖した。
子どもたちのあいだでも古傷が化膿していく。虐待サイクルを断つため息子の教育に励んでいたエイゴンは、暗殺事件によって双極性障害を悪化させ、弟を嘲笑する。古傷をえぐられたエイモンドは、ルーク殺害を反省していたにも関わらず、ルークズレストに遅れて参戦し、組み合うドラゴンを敵味方もろとろ燃やした。彼が意図的に兄を狙ったかはわからない──要するに滅茶苦茶だ。
真の相続人
ルークズレストは「核戦争」と例えられるドラゴン同士の戦いのはじまりであり、血気盛んな若者と老兵の衝突である。軸とされたのは、勝ち目の薄いヴァーガーを前にあえて退陣しなかったレイニスの神風特攻。ショーランナーの解説としては、S1E9戴冠式において翠派を殺さなかったこと、それが孫の死につながってしまったことの決算とされた。
軍事的に明らかなのは、逃げたほうが良かったことだ。陣営最大のドラゴンを持つ熟練ライダーを失った黒派は、いちじるしく弱体化してしまうのだから。ここで参考になるのは演者イブ・ベストの解釈だろう。「戴冠せざる女王」は、とうに疲れ切っていたのだ。彼女はS1後半で毎話ごとに親族を失っていった。そのうち5分の3の推定加害者がレイニラ夫婦である。開戦直前にも翠派につこうと揺らぐほど憤っていたのだから、あの二人に巻き込まれて親族殺しに手を染めざるをえなくなったなんてあまりに不条理だ。最後の一打として、落とし子男児継承を推し進めた夫は、妻が提示した孫娘、つまり正当な女子相続人のドリフトマーク継承案を断った。彼が望む相続人は愛人との息子アリンなのだろう。結局、コアリーズも男子相続主義であり、心の底ではレイニスが「真の相続人」と信じていなかったのではないか(だからこそ、S1E9においてレイニスはアリセントから人生ではじめて能力を認められて感動してしまい、翠一家を殺せなくなった設定になっている)。
フェミニストっぽいキャラとして黒の女王を支えつづけていたレイニスだが、ベストの解釈どおり、個人としては「戦争に参加しなければよかった」後悔、「すべて投げ出したい」欲求を抱えていたと考えたほうが綺麗にまとまる。死を覚悟して出陣を決めた時点で、残された相棒はメレイズだけだったのだ。だから愛竜を亡くしたその瞬間、悲しみに包まれて終わる。翠兄弟の計画的奇襲に雄叫びをあげて特攻した原作版と比べてみると、ウェスタロス史にきざまれた英雄譚は無益感へと変換されている。
現実の戦争にこんな歌がある。「老兵は死なず去るのみ、前線で死ぬのは若者のみ」。戦の原因をつくった旧世代が生き残り新世代が犠牲になる不条理を意味するものだが、レイニスの場合、変則型をこころみた。「老兵が去るには若者のため前線で死ぬのみ」。ある面、責任感ある年長者として解放されるには、未来のために全力を尽くした上で殉死するしかなかったのだ。
「戴冠せざる女王」の喪失は、無益な大戦の決定打となるだろう。『HOTD』において、名実ともに「真の相続人」足りうるのは、レイニス・ターガリエンだけだ。統治に必要な思想、安定、責任、統治経験を備えていた。レイニラとエイゴンにはこれがない。二人とも政治経験を積まなかった放蕩姉弟で、中長期的思考や自己抑制のすべを知らず、不安定かつ衝動的で、承認に突き動かされている。その証拠に、なにかあったら自軍が壊滅しかねない立場なのに、そろって無謀な出陣をこころみた。姉のほうがとどまれたのは、レイニスがいたからにすぎない。
「真の相続人」を決める戦争で「真の相続人」すら失われたなら、無益さを増すばかりだろう。流血は無益だといましめてくれる人すらもういないのだ。
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