受験勉強して遊んでいる暇があったら 見聞を広めなさい! その2
僕はいろいろな職業を経験した中で、「就職指導」をたくさんしました。
また、教育機関にも努め、様々な経験を持つ人を受け入れた。
その結果わかったことがある。
人生って、その気になれば若いうちならやり直せるってこと。
だって、高校中退した人が、高卒検定を取得して入学して、立派に新しい道に進んだり、某有名国立大、大学院卒で、超有名企業の研究員だった人が心を病んで辞めて、新たに学びなおして再出発して生き生きと働いている姿などをたくさん見てきたから。
みんなに共通して言えることは、高校生の頃は、自分の進むべき道が見えていなかったこと。
ただ、親や高校の進路指導に従って受験してしまったとか。
今の日本って、いつの間にか大学進学率が異常に上がっている。
僕らの時代は、大学さえ出れば、就職と高い賃金が保証されるみたいな社会が待っているみたいな幻想があったけど、バブル経済崩壊でその幻想も粉々に砕け散った。
だって、大卒見込み者が就職活動したら「高卒と同じ待遇でも良ければ履歴書を出してください」と言われちゃったんだよ。
もっと悲惨なのは、「バブル入社組」の末路。
僕の部下に、誕生日が僕と同じだから、という理由で採用した男がいて、彼は一部上場企業に勤めていた。
職場恋愛の末に、僕の部下になってから結婚したのだけど、その結婚式の奥さん側の主賓挨拶が元上司。つまりお互いを知る人。
普通、二人をほめるでしょ?
それが、僕の部下の新郎をけなしまくるの。新郎側の主賓は僕だったのでフォローしたけど・・・。ちょっとかわいそうだったけど。はっきりと「彼は『バブル入社組』でして、なぜ採用されたのかわかりませんでした」って。
大量に雇用しておいて、景気が悪くなれば粗大ごみ扱い。
これが現実。
だから、安易に自分の道を選択すべきじゃあないなあと。
じゃあ、僕はどうだったのか。
僕は、ずっと父に相談してました。晩酌しながら。
一つは、小さい頃から音楽三昧で、中学の卒業文集でもはっきりとミュージシャンとして生きていく意思を書いているくらいだったから、高校(一応当時は東大進学率全校24位くらいのトップ進学校だったんだよ)への願書の志望動機にも堂々と「バンド活動のため」と書いて出したくらい。
中学でも音楽三昧だったけど、成績は飛びぬけて良かったから、担任もあきらめていた。
で、高校へ進学し、本当に音楽三昧だったんだけど、ある日帰り道に寄った書店で、遠藤周作さんのエッセイに出会う。
エッセイって初めて読んだんだな。
面白くて、珍しく自分で買って帰った。
我が家は、本と楽器は不自由しない家で、いくらでも買ってくれた。
どちらかというと、外で元気に遊ぶよりも、家の中で本を読んだり、新聞を読み漁ったりするような子供だった。両親が読書家だった影響かな。
家中に本棚があって、読む本には困らないのに、父は毎日のようにお土産に本を買ってくるような人だった。
だから、自然と、「文を書くこと」に興味はあったかな。
小学校の修学旅行の作文を原稿用紙100枚書いたり。
高校の学級日誌を1人で10ページ書いて顰蹙(ひんしゅく)買ったり。でも東大卒の担任は、その駄文にきちんとコメントを返してくれるから、また次の当番の時にはさらに受けを狙って書いてしまうというような感じだった。
いつだったかなあ。
父と晩酌しているときに、おもむろに「そういえば、思えは将来何になりたいんだ?」って聞かれて、「うっ」となった。
ちょっと考えて、「最終的には「書く仕事をしたいかなあ」と答えたんだよな。
父は、「ミュージシャン」と答えが返ってくると思っていたんじゃあないかな。結構僕の音楽には投資してくれていたし。
でも父はこういった。
「じゃあ、大学で4年間遊んで来い!」
勉強なんかしなくていいから、見聞を広めて来いって。
それから、文学部へは行くなって。ものを書きたいからって、他人が書いたものを研究したって意味がない、というんだな。妙な説得力があった。
僕が、音楽もアドリブばかりでコピーしなかったのもこの言葉が原点だったような・・・。
そして、父と一緒に考えた。
一番、時間的に余裕がありそうな学部はなんだろうか?
父は金融マンだったので、いざとなればアドバイスができる分野だとも考えたのかな。
実際に卒業できたのは、父が「2時間でわかる簿記」という本を送ってくれたおかげだから。(寄付してくれたおかげという説もあるが)
それで経済学部を選んだ。
実際に、「大卒」が求められる仕事をしたし、その経験の積み重ねで本も書き、新聞に連載も書いたし、新聞記者も経験したから、父の「4年間遊んで来い!」という指導は正しかったのかなあと思うけど、言える親は少ないと思うけどね。
ただ意味もなく大学なんか行っても仕方ないから。
僕は「4年間遊べばいい」から、受験勉強もせずに入試を受け、受かった大学へ行って運よく(要領よくかな?)4年で卒業したが、2歳上の兄は受験勉強して4校も合格したのに、3年で中退し、結局は専門学校に入りなおして専門学校卒。僕と違って明確な目標があったのに。自分の適性を見極められなかった結果なのかな。兄の失敗に親が気付くのは僕が大学1年の時だからね。
身の程を知ることは大切だよ。
誰もが大学へ行くことが必要なのだろうか?
専門学校の方が、夢の実現に会っている人もいれば、高校を出ていれば十分という人もいる。
僕には息子がいるけど、そのうちの一人は、小さい頃から親族の影響で「将来は造園業か大工になりたい」と言っていた。僕の影響は全く受けなかった。
でも、高校だけは地元のトップ進学校を3年間で卒業したんだよ。それは人脈のため。地元で商売していくためには、すごく役に立つから。
僕は造園に役に立つ大学や専門学校の資料を集めては彼に渡し、進学したらと促したけど(僕自身が大学進学しか経験がなかったから)息子は「いや、現場で経験して身に着けたいから」と高校卒業してそのまま造園会社に就職した。高校の担任は、あわてて就職の書類を作ったそうだよ。だってみんな大学か、浪人かという高校だから。
でも今は自分で起業して造園業をやっている。
僕のわからない世界だから、口も出さなかった。
でも、自分の進むべき道が明確な人ってうらやましいと思ったね。たとえ息子でもね。
僕は4年間遊ばせてもらっても、「なぜ就職しなければいけないんだろう?」なんて考え始めちゃって、初志貫徹とはいかなかったから。
なぜ働くのか?
東京のアパートで、1人で考え続けて、出た結論はシンプル。
「憲法で定められた国民の義務だから」
<続く>
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