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まわりみちー中皮腫と私の関係性ー
私の父が、悪性中皮腫と診断された。2021年初旬の宣言だった。
彼の仕事は内装業に該当する。若い頃から頭脳明晰だが群れることを嫌い、あんぱいである仕事を切ってでも、(自分)を大切にする人だ。はたから見れば、何をやっているんだ、なんて思われることも、それぞれの信念のもとにやることほど、この世界で尊いものはないと考えているから、私にとっては、とても誇らしい。
その界隈の話は疎いが、資格もいくつも習得し、県からの優秀云々や他社他業種からの方々の信頼も厚いようだ。私はその彼の何を受け継ぐことができているのか、今でも半信半疑のまま、生き抜いてきているが、少なくとも負けず嫌いなところや、物事に対してやるまでにめちゃくちゃパワーを要して遅いところ、一度始めたら無敵に匹敵するところ、肝心なところで引いてしまうところ、少し無口だけど無頓着ではないところなど・・・あれ、あげてみたらたくさんあった。
良し悪しだけで判断できないことはたくさんあると思う。性癖なんていうのはまさにそうで、他人にとればいいと思うところがコンプレックスだったり、その逆も然り、一概に言えないからまた面白いところでもある、人生。
でも、まさか。まさかはある一種の坂であるだなんてことも、人だから今消えてもおかしくないことも、理解していても、なかなか理解が追いつかない、自分の本質がどこか軸からズレた点Pにいるような感覚に何度も陥った。
親戚や母などから、いつも冷静で次の段階に向けて準備してくれたり予測できたりして心強い、だなんて言われることもあるけれど、その反動が、一人でいる時にめちゃくちゃくる。寝る前の読経、死への恐怖の追体験、そしてじぶんに迫る時間への焦燥。今一番苦しいのはきっと父なはずなのに、焦ることも、今でも少しある。完璧になんてなれなかった。いつでも完璧主義なのはそんな父譲りなのに。
彼は、片肺の全摘という道を選んだ。
この病は予後もそこまで良い状況が書かれておらず、聞いた時は愕然としたが、幸いにもステージ初期のため外科手術が可能だったため、その選択に至った。いや、悩んでたどり着いて搾り取った。
この病は、少しでも多くの人に知ってもらうこと、それがさいぜんだとは思わないけれど、罹患して今でも苦しんでいる人がいるのは、この世界の1つの真実の形。そして、そんな病とともに過ごすことになったのも、また1つの真実。彼が携わるように、必然的に私も携わることになる。彼1人に背負わせるわけではない。
長らく国が推し量ってきたものたちが悪名高くなるのに、そしてそこに事実があるのに頑なに責任を転嫁し続けた天聖たちも、最近になってようやく、認めるという形を認識してきたようである。長年戦ってきた人々の想いが、ようやく本格的に実りはじめた、その最中にある。
…人がよりよい生活を求めるために、特に戦後の高度成長をもたらした日本人たちが”もたらした”貰い物を、いらないのに皮肉にも、その時代に育てられた彼が、いただいてしまった形で。やるせない、誰よりも本人が、そう嘆いていた。
それでも今、彼は人生の岐路に立ち、今後の生を選び抜いたのだと思う。たとえ、その質が下がろうとも、決断をした、尊い命の選択。時が過去に戻ることはないから、それぞれの進みをしっかりと受け入れるほか、ないのだけれど、その進みに自分たちの選択をいかに組み込ませていくか、勝負することはいくらだってできる。
彼の、負けん気はあるけどビビりなところ、私もしっかりと受け継いでしまっているけれど、一緒に戦うことは、何よりの力になるはずだから。五体満足、生きる力を全ての瞬間に、なかなか変換し切れていないけれど、それでそのギアはいつでも、彼と、中皮腫と、家族とともに。
私と中皮腫の関係性が、できてしまったからには、良好に付き合うつもりは毛頭ないけれど、私は中皮腫を彼とともに、凌駕してやりたい、見返してやりたい。今、彼とともにできることを全力で、やるだけ。家族の1人として全力で支え続けていく。
…p.s
無事手術は成功。抗がん剤特有の味覚障害や食欲不振が今の最大の悩みの種。経口摂取は人間たりうるものや満足感の要でもあるから、ここを踏ん張ってのりこえるために、やれることをやる。
…彼の生命力の強さ、ここぞというときの運の強さ、まじまじと受け止め、さらに尊敬が増している。必死の信念、必ず全ての状況を克服して、もっと親の笑顔をみたい。そして、見せてあげたい光景を実現させる。
稚拙な文面に、彼への愛情と、中皮腫への理解をこめて。
回り道は、必ずしも、遠回りじゃないって、信じてる。