見出し画像

夢か現(うつつ)か、ある朝のこと

新年早々ですが、最近、とても変わった夢を見たので、その話をします。
正月向けかどうかは「?」ですが、あまりに強烈なインパクトがありましたので。

ある朝、トイレに起きて、でも少し早いし、もう少し寝たいなと思ってもう一度布団に入りました。そこで、初めは考え事をしていましたがその後半分眠って夢に移行したのか。内容は以下の通りです。

ーーーーーーーー

noteを初めて4か月半、思えば私の日常は何かと変化したものだ。
やりたくて始めたnote。やってみると普段の生活の中でnoteに関連することをやる時間がすごく長くなっている。
テーマにもよるけれど、せっせ、せっせと写真を撮り、使う写真を選択し、PCで調整するなどして、並べる。文章を考え、打ち込み、読み直し、投稿。投稿するや、すぐに次のことが気になったりする。・・・ぐるぐるそれの繰り返し。
本当に、noteをやる以前は全くなかった作業をし続ける自分。
そう、やりたくて始めたのだけど、夢中でやっていたものの、ふと、思ってしまった。
「この私って本当の私かしら」
そんなことを考えていたら、写真を撮っている私の姿がそこにあったのが、小さく小さく、そして遠く遠く、なっていった。
そしてそれを見ている私がいる。

ふと誰かから「あれ、気が付いていなかったの?あなたはとっくの昔に死んでいて、今のあなたは夢なんだよ」と言われる。
「夢?」
「夢。生きていたいというあなたの願望が夢を見せているのだよ」
「いつから?とっくの昔にって、どれぐらい?1年前とか?それとももっと前?」
そう言えば私、生まれてこの方、いつも何かでいっぱいいっぱいになって生きてきた。小学生、中学生、高校、大学と通い、仕事をし、結婚して旦那の転勤とともに主婦になり、子供が生まれたら母親業に専念し、そのうち老いた自分の、または旦那の父母の世話に追われ、亡くなったら後片付け・・・。
気持ちの切り替えが下手な性格もあって、いつもその時々の目の前にある課題に振り回されている。特にものすごく忙しかったのは6-7年前までか。
父母、義父母が亡くなって、子供は成人し、(コロナ禍の時期を挟んで)それまで手一杯だった生活の隙間を埋めるようにして始まった写真とnote。
もちろん、今まで通り、家事仕事はやり、少しだけど外仕事もやり、たまに人と会ったりもするが、心は写真とnoteに埋め尽くされている感じ。

それが、実は夢だったとな?私はとっくに死んでいて?いつから?
今の私は夢?

もちろん、こう考えることこそがまどろみの中で生まれた単なる夢。深い意味はない。でもしばらくそのイメージに支配されてしまった。
何なら死んだのは実は3才ぐらいの時でそのあとは全部夢だったとしてもいい。小さな墓石が見えてきた。名前は刻まれていないが私の小さな小さな墓石。それを見ていると何だか悲しい気持ちになってきた。
「意識」があるのだかないのだか、ふわふわと漂っていた。

駄目だ。いつまでもこうしてはいられない。夢を後にして、現実に帰っていく。

幾ばくかの時間、ぼんやりと、気持ちの半分は夢の世界に引っ張られていた。
今後私はどうしよう。写真/noteと他の活動のバランスを上手にとらなくてはいけないのだろうね。大丈夫。なるようになる。
それにしても、もう死んでいるって言われるの、変な感じだ。

ーーーーーーー

自分が死んだ夢というのは再生という意味合いで、そう悪いことではないようです。自分を振り返るいい機会だったととらえて、前向きに生きていきたいと思います。
私にとってnoteはいつも試行錯誤の連続。いろいろな挑戦をしてみたいと思います。まだまだやりたいことは、いっぱいあります。

読んで下さった皆さん、おかしな話に引き込んでしまって申し訳ありませんでした。
現実のこととして、皆さんのおかげでnote活動、励みにもなり、楽しさもあり、学びや発見もあり、充実しています。
今年も1年、お付き合いのほど、よろしくお願いします。




いいなと思ったら応援しよう!