文章の書き方
人にはそれぞれ好きな作家やお気に入りの著書があるだろう。
感化されたものの違いによって同じテーマの文を書いていたとしても、個人の好みや個性が言い回しや語句、句読点の打ち所のような特徴として表れてくる。
友人を例に挙げよう。
その友人はエッセイなどを書く際に、恐らく登場人物の誰かに自分自身を投影した作品を多く書いている。
そしてそれらの作品は、恋愛に悩み、仕事に疲れ果てていた。きっとその当時の友人の心境を映し出していたに違いない。
別の友人は自身の得意な用語がよく出てくる。小説を組み立てていく中で自分が使いたい言葉を予めどの箇所で使用したいのかがハッキリとしているからだろう。
私をはじめこの様な特徴を誰しも持っている筈だ。だがその特徴についてどれだけ自覚し、認識しているのだろうか。
私の場合、手書き・タイピングに関わらずやや堅く畏まった表現を多用する傾向がある。そのため漢字が羅列され読み手に対し非常に不親切だ。
また、他者と大きく異なるのは『推敲』という作業をほとんど行わないところだ。それは純粋に推敲が手間であり、自分の文章をいくら自分が読み返してもどの様な流れで進み、どう結を迎えるのか知ってしまっているためからだ。
レポート課題などタイピングで文字を起こすのであれば、語句や文の追加、削除、配置の入れ替えが容易に行えるため手間は少ない。
しかし手書きの場合はそう易々と手を加えることができない。だから小論文などその場でテーマを知る類のものこそ“書いたい様に書く”を意識している。
過去に書いた文章を後から読むと自分が書いたはずの文章を訂正したくなってしまう。それは、その文章を書いたのは“その時の自分”だからだ。
徐に書き始め、書いている途中に自分がどういった文章を書きたいのかに気づき、書きながら次の構成を考えてるのだと、これを書きながら気づかされた。
長々と書いてきたがこの特徴は非難されるものではない。読み手がその特徴を受け入れられるかどうかというだけだ。読み手が自分の意図にきづき、行間を読めるような文章づくりを心がけてることが大切なのだろう。
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