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奄美観光2日目|雨の日の奄美観光は難しい

2024年9月19日

この日も天候が良くない予報だったので午前中はゆっくり屋内の施設を観光しつつ、午後にマングローブカヤック、夜にナイトツアーで野生動物たちを見に行くツアーに申し込んだ。

しかし朝の段階で雨が強く、マングローブカヤックは中止になったとレジャー業者より連絡が、、

「ですよね」と思った

アウトドア系のレジャーではカヤックが唯一天候の影響を受けにくいという話だったのでこの日もアクティビティは断念。

朝ごはんを食べてから「奄美パーク」へ。

奄美パークは奄美群島の歴史や文化、伝統などについて体験型で学べる施設で、思っていた以上に楽しかった。
各島のジオラマを見て、自身で気になるスポットを繋いで旅程として情報をスマホに保存して持ち帰れる展示や、各種生物や漁業に使う道具もかなり精巧な展示だった。

ブレたけどこんな感じでハブもいる

ここで色々と奄美について知ることができたが、その中でも印象的だったのは「サトウキビ」にまつわる奄美の歴史の話。
奄美の島々は昔、中国や日本、琉球王朝などの周囲の国々の貿易の要所として栄えていたが、江戸時代に入り、1609年に奄美諸島は薩摩藩に支配された。

薩摩藩は奄美大島でのサトウキビの栽培を命じた。サトウキビを加工して得られる黒糖は当時調味料等として価値が高く、沖縄や奄美諸島で作られる黒糖は薩摩藩の主要な財源となった。

その財力を元手に薩摩藩は薩英戦争や明治維新などに代表されるように日本の歴史を動かしていく藩となるが、その裏で当時の奄美の人々は過酷なサトウキビ栽培を命じられ、地獄のような日々だったという。

捉え方によっては、奄美大島が明治維新、引いては日本の近代化といった歴史的変化を裏側から支えたという見方もできるが、奄美の人が望んでそうした訳ではない以上、犠牲になったという捉え方の方が正しい側面は大きいのだろうと感じた。

今でこそ奄美といえば黒糖焼酎であったり、かりんとうを始めとする黒糖菓子が有名で観光と相まって奄美の一大産業となっているが、歴史を紐解けばそこにサトウキビにまつわる光と闇があった、というのはこうした歴史資料を学んでこその鑑賞だった。

奄美パークを出た後は郷土料理として有名な『鶏飯(けいはん)』を食べた。
鶏を使ったお茶漬けの料理でサラッとしていて食べやすかった。

ご飯とスープはおかわり自由!

食後は大島紬の工場見学に行った。大島紬とは奄美大島の伝統的な織物のことで、ペルシャ絨毯と並び世界三大織物に数えられるという。
着物の女王とも呼ばれる、高級絹織物なのだとか。

この辺りはこれまで旅行をしてきてもほとんど触れたことのない領域だったので新鮮で面白かった。

大島紬を知らない人がまず最初に抱く感想は、高い!ということだと思う。
ものによるがハンカチでも1万以上、マフラーなら10万近くするものもあるし、着物となると50万、100万を超えてくるものもある。

その高さの理由は手間暇がかかっているから。工場を見学すると、その辺りがざっくりと分かる。
全体の工程は40近くあるとされるが、最初の方の糸を染める工程だけでも80回染料につけ直している。

これがなんと工場の中、、大自然すぎる

その後、実際に作りたいものの設計図を作る。
完成イメージのものを方眼紙に落とし、縦横でどのドットをどの色で作るかを設計段階で全て決める。これが伝統技術だと言うのでパソコンがない時代からとてもデジタルな考え方で画像を捉えていたというのはすごい。

作品の一例。遠くから見ると絵に見える

その後、その設計図をもとに機織り機などを使って布にしていくというのだが、正直説明を聞いても完全には理解できなかった。
そもそもどうやって普通の布や服が作られているのかさえ知らないので、基本的な作り方に対してどこが凄い、といった比較ができなかった。近いうちにこの辺りを軽く勉強しておきたい。

設計図をもとに作られた糸

その工場で働いていた47年大島紬を作っているという現地のおばさまが、その人でさえ1日8時間働いて30センチしか進まないと言っていた。
そんな工程と人の手に依存した技術をもって1日にそれだけしか作れないのなら、製品があの値段になるのは理解できるなあ、と思い改めて土産屋を覗くと、見学前は理解できなかった高級さの理由が少しわかった気がした。

夜のナイトツアーは開催されそうだったので、集合場所へ。19時に集合だったが、18時過ぎに日の入りし、19時には外は真っ暗。
ナイトツアーが開催された辺りは店や街灯もほとんどない中、今はもう使われていない急国道に入っていく。

ジープから外を眺める

目当てはアマミノクロウサギ。絶滅危惧種で天然記念物、奄美大島とその近くの徳之島にしか生息していないとされる。

ここでも面白い話がいくつか聞けた。まず奄美群島はその昔ユーラシア大陸と陸続きだった。地殻変動により大陸側から切り離され、大陸側にいたクロウサギたちは捕食され絶滅してしまった。

しかし奄美諸島側にはクロウサギたちを捕食する存在がいなかったので、現在までクロウサギたちは繁殖し続けている。

しかしこのクロウサギ、性格はとてものんびりしていて足も速くなく、ナイトツアーで人間に見つかってもあまり逃げない。奄美大島で天敵がいないからこそ生き延びているのであって、このクロウサギを捕食する存在がいれば大陸側のウサギたちのように自然に淘汰されてしまうようなスペックで現在も生き延びている。

ツアー中は10匹近く見ることができた
同じく天然記念物のオットンガエル

またツアー中に聞いた面白い話。
奄美の生物と言えばハブだが、ハブといえばマングース。ポケモンにもザングースとハブネークというポケモンがいるので、ハブとマングースは同じ地域でライバル関係にある生物同士なのかと思っていたが全然そんなことはなかった。

そもそもマングースは外来種で南アジアかどこかから人間が連れてきた生物だという。奄美の人たちは昔からハブの被害に苦しんでいて、噛まれて死ぬ人はもちろん、足の指を全て切除した人や後遺症が残って体の一部の神経が自分の思うように動かせなくなる人など、被害の記録は無数にある。

そんなハブをマングースは倒すことができる。ならばマングースにハブを倒してもらおう、ということで昭和の時代にマングースを30匹野に放ったそう。しかしそんな強いマングースが生態系の中でハブを狩っていたのかというとそうではなく、奄美の貴重な種類のネズミやカエルを捕食していたことがわかった。

そのためマングースを捕まえ直して島から根絶させたそうだが、30匹いたマングースはこの時すでに1万匹ほどの数に膨れ上がっていたという。

今はマングースは根絶したとされているが、この規模の根絶ができたケースは稀とのことで高い評価を受けているとか。学術的には面白いがマングースの立場からするとまあかわいそうな話。

そんな興味深い話を聞きながらナイトツアーではよく見られる生物のほとんどを見ることができて大満足だった。

さて、雨の日の奄美観光はここに書いた通り、生態系や歴史、伝統文化といった側面を楽しもうという気持ちがなければ屋内で観光できるものはとても限られているため、特に若者にとっては難しい観光地なのでは、と感じた2日間だった。

これが那覇であれば雨なら雨でやれることは色々とあるのだろうが、奄美は良くも悪くも何もないため、雨の日でも何かを学んで楽しもう、という気持ちが重要だと感じた。

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