「広告は作品じゃない」と誰かが言った|佐藤可士和展 in 国立新美術館
「僕らがつくっているものは“作品”ではない」
大学4年の時に通っていたコピーライター養成講座で、とある講師に言われた。
広告はクライアントのものであり(同意)、あくまで広告制作者は黒子であり(同意)、自分を表現するものではない(それが目的ではないけれど、結果として制作者の「らしさ」が滲み出ている広告はいい広告であることが多いなと思う。そして「らしさ」が出るレベルの高いクオリティでつくれる人はほんの一握りだとも思う)。
この「広告は“作品”なのか?議論」は、たまに耳にする。“作品”なんて呼び方は1mmもしたくない派も、ほんのたまにいる(先述の講師もそうかも)。
広告初心者だった大学4年の当時は「“作品”と呼んだら不快な気持ちになる人がいるっぽいから、とりあえず呼ばずにおくか」くらいに捉えていた。
コピーライターになって10年経つ現在は、時と場合によって広告は“作品”であっていいと考えている。
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そんな“作品議論”への解のようだと思った。六本木・国立新美術館の佐藤可士和展。
フライヤーはこちら。
見てください。ロゴ、ロゴ、ロゴな展示室マップ。
ふだんフランス絵画や現代アートが並ぶ美術館の展示室に、街とかネットで見かける有名ロゴが並んでいる良い違和感。圧巻だ。
この展示室を目当てに来た私は、満足しました。
ロゴはロゴであるけれど、この展示室に在る瞬間は“作品”だ。“作品”という視点であらためてユニクロや楽天、セブン、日清食品といった馴染みのロゴを観る愉快さ(美術館という大好きな空間の新たな可能性すら感じる)。
ユニクロのロゴは2006年生まれ。2021年の今、ロゴ誕生から15年経ったことになる。可士和さんのアートディレクションとブランド戦略によって、15年間でこのロゴの価値は大きく変わった。その成長も含めて“作品”である。すごい。
こちらフライヤーの中面。
ユニクロのロゴ前に立ち、ピースしながら写真を撮る人たち。ロゴは作品。そしてエンターテインメントに変化(へんげ)していた。
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「アディダスのロゴが好きで、そのロゴを模写して、ノートをアディダスにしてた」
テレビ東京『カンブリア宮殿』で本展示に合わせて放送された『佐藤可士和』回にて、可士和さんが語っていた小学生の頃のエピソード。
この頃から“ブランドファースト”の考え方だったようで(なんと早熟)。ブランドにとってロゴって超重要!ということが感覚的に分かっていたのでしょうね。
だから自己表現や自分の作品を生み出すうんぬんよりブランド第一。その追究が「らしさ」として作品に滲み出ている。
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私の周りには、可士和さんのファンが多い。「俺も佐藤可士和になりたかった」という台詞をリアルに聞いたこともある。
広告クリエイティブの力を活かせる場がもっとあると気づかせてくれた。価値観を変えてくれた。
かくいう私も、斜陽産業である広告を仕事にして生きていこうと決めたのは(私が学生だった2010年頃、広告費もマスメディアの影響力も下降気味だった)、可士和さんはじめ従来の広告に留まらない場で活躍している方たちの影響が大きい。
展示をすべて見終えてグッズショップに立ち寄ると、ユニクロや楽天、セブンなどのロゴが美しく並んだクリアファイルが売っていた。そう、“佐藤可士和展のグッズ”として。
それを見てニヤニヤしてしまったことは、言うまでもない。
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佐藤可士和展
東京・六本木 国立新美術館にて2021.2.3〜5.10
※緊急事態宣言により4.24以降 中止
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