
【休職をして見えてきたこと】
前回のnoteで書いたのですが、2週間休職して実家に戻ることにしました。
戻って3日経ち、少しだけ見えてきたことがある。
3つの見えてきたこと。
それは、
自分は思っていたよりかなり限界だったこと
娘達は個別のママタイムが必要だったこと
長女にもかなり無理をさせていたこと
地元は、いい。
連絡すればすぐに会える人が会える距離にいる。
子連れで帰ったため、完全な自由はないが家族に見てもらえたり、大人の目が充分にあるのはそれだけで精神的に安心。親も子も。
友人に会いに行くと、
「あんた、顔、疲れてるで。無理したらあかん。」
とすぐに察してくれる。
娘2人は歳が近くとにかく一緒にいると喧嘩が絶えない。
喧嘩は大いにすればいいが、声の大きさが尋常ではないし、単純に怪我の危険があるときはこちらも対応で疲れてしまう。先月は難聴になりかけていた。
そんな状況を見た友人は、
自分も息子さんを育児しているのに、
「今日、子ども達置いていき。私がみといたるから」
そう言ってくれた。
こんなにわんぱくな状況を見ているのにも関わらず、全力でサポートする言葉がスッとでる彼女の心の広さに感激して震えそうだった。
「ひとりじゃないからな、たまには丸投げしていいねん。」
そんな言葉をかけてくれる人がこの世にいる、そしてそれが幸いにも幼馴染だってだけですごく救われた気がした。
娘達と用事があったので預けはしなかったけど、人は言葉だけでこんなに癒されるなんて。
自分は顔を見ただけで限界とわかるほど、精神的にきていたんだと痛感。

その後、わたしは昔のダンス仲間(急な元ダンサー告白)にお子が誕生したとのことでお祝いに
長女は実家にいたいとのことなので次女(通称ハルク)と出かけることに。
そこには懐かしいメンバーが集まっており、生命の誕生を全力で喜んでいた(急に壮大な表現)。
次女は、なんだか落ち着いていていつものハルクらしさがなかった。
(「ハルクらしさ」)

大人の目があって、
それが自分に向けられてるってだけで、
子どもは安心するんだな。
のびのび自由に遊んでいて、
「足りている」という顔をしていた。
たまたま、会いたかった親友と会えてすごくのびのび満ち足りていた。
子どもを保育しながら仕事なんてこの子どもの年齢ではそもそもお互いにとって酷だったんだなぁ。
長女も、家ではずっと太陽のような態度でせっしてくれていて、
「大好きだよ、ママ。」
と抱きしめてくれていた。
実家に帰ってくると、少しわがままな態度を見せてくれるようになった。
長女にも無理をさせていたんだな。
気づくのが遅いけど、
2020年からずっとそうせざるを得ない流れだった。
私だけでなく、
自粛疲れ
リモート疲れ
育児&仕事の二刀流疲れ
自分自身の危険信号に気づきにくくなっている。
地元で休養していて、
「心の声にちゃんと従ってくれてありがとう。
休んでくれてありがとう。
がんばりすぎだったよ。
おかえり」
と言ってくれる人がたくさんいて安心した。
もし、これを読んでいる誰かが、
私と同じような心境で、
すこしでも自分の声に耳を傾けるきっかけになればいいな。
今日も新しい体験をしよう。
