10年後のことなんてわからない

最近よく「10年後どういう社会人になっていたい?」という質問をよく受ける。

毎回この質問には悩まされて、適当な返事をしているため、質問者は納得のいかないような顔をしてこの話は終了する。

なぜ私が、適当に返事をしているのかというと、15歳の私が「30歳で死ぬ」と決めたからだ。

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早ければ幼稚園生の時から、「将来は何になりたい?」という質問と出会う。

女の子だからかわいらしく、「お花屋さん」「ケーキ屋さん」などと答えればよいものの、私は何も考えていなかった。

そんな私は小学生になった。

私が小学生の時、小学校に不審者が侵入し、小学生が被害にあう事件が多発していた。

それをテレビのニュースで見て、私は漠然と「あぁ、私もこんな感じで死ぬんだろうな」と思った。

ところが、月日は流れ、私は15歳になっていた。

幸せなことに事件に巻き込まれることなく15歳になった。

15歳、中学3年生。進路を決める時になった。

当時私は不登校で1日のほとんどをPCの前か布団の中で過ごしていた。

そんな生活でも、進路を決めなければならない時だった。

「とりあえず、今が人生の折り返し地点だと思って生きよう。30歳まで死ぬ気で生きて、そこで死のう。だって、余命宣告された人ってとても人生を必死に生きようとしてるんだもん。明確な終わりが見えることで、そこに向かって頑張れるんだ。終わりが見えないからいつまでたってもダラダラと先延ばしにしてしまうのは、よくない。じゃあ終わりを決めよう!私の終りは30だ!」

そう決意した。

それからというもの、15歳の自分を脱却すべく生活し、15歳の自分が想像できないような23歳の私になった。

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さて、そんな風に、30歳で死ぬ、と決意し、今でも延命しようと思っていない。

むしろ、あと7年だ。さて何ができる?何をする?と限られた時間を楽しもうというスタンスだ。

だから、10年後、つまり33歳の自分を想像することはできない。だって死後3年が経っている予定だからだ。

もちろん本気で死にたいわけじゃない。ただ、毎日を生きていたいがために30歳で死ぬという目標を掲げただけだ。

とはいえ、5年後どうなっていたい?という質問に答えられるか、となると答えられない。

5年後は28歳で生きているのだから答えるべきであるが、実際のところわからないから答えられない。

やはり漠然に生きていればいい、としか答えられない。

目標に進んで生きることはとても素晴らしいことだと思う。目標を達成したときの気持ちはとてもいいものだ。

そろそろ30歳で死ぬ前にやり切りたいことという目標を決めなければならない。

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