記録 私とお笑いについて

今月末で、お世話になっている芸人さんが
地域おこし協力隊の任期を終えて、地元へ戻ることになった。
私も所属する、東北学生お笑いのサークル同士のつながりというものは
この人を源として発展していったと言っても過言ではない。
心の底から感謝しています。

私は今年からお笑いサークルに入り、半年しか経っていなくて、時間も、お笑いの舞台の経験も少なくて。
それでも私はこの人がいたから、すぐに輪に入ることができて
お笑いという情熱に目を輝かせるたくさんの優しい人たちと出会い、仲良くさせていただけているのだと改めて気づいた。

意図的なのかは分からないけど、いつもライブを見に行くと、見送ってくれる時にグータッチしてくれる背が高い年が1個上の先輩学生芸人さん、すごく優しいなあって思っている、
その人の相方さんも、おなじくらい背が高くて、いつもかっこいいなあって、優しい人だなあって思っている。
だからもっと仲良くなりたいなあって思っている。

ここだけの話だよ。
ないしょだよ、でも見られてるかな。

これから、どうなるのかは分からないけれど
私は大学生活のうちのお笑い活動を通して何を還元できるのか。
そんなことを考える日々を送っている。

そういうことで今回は初心に帰って
私とお笑いについて綴っていこうと思う。


幼少期

「ドドスコスコスコラブ注入ー!〇△□(何を言ってるか分からない)」
実家にある青色のニンテンドーDSiに、このような音声が残されている。

私の小さいころ好きだったものは
アンパンマン、プリキュア、まめゴマ
そして「楽しんご」が大好きだった。
この頃からリズムがあって中毒性があるネタが好きだったのだろう。
今も、あるある探検隊やラララライ、最近はオジンオズボーンのリズムネタなどが好きであることも。
ただ自分は恥ずかしがり屋で内気で、家以外ではそんな姿を見せることはなかった。
だから今も顔があまり幼少期と変わらないのかと思っている。
大人になったのは、たった少しだけ。

小学生時代

幼い趣味から卒業したであろう小学校時代は、伝説的にいろいろなものが流行った頃だった。
白目ができるようになったきっかけになった
ピスタチオ、買い物に行って「お菓子買って」と言えば「ダメよ〜ダメダメ」といつも返されたエレキテル連合、休み時間に踊りまくったラッスンゴレライ、合宿のレクリエーションで踊った永野とパーフェクトヒューマン。
大トリは恋ダンスだった。
芸能というカテゴリーはこの時が黄金時代だったのではないかと思った。

中学生時代

この頃私は、学業が著しく良く無く勉強に一番熱中した時代であった。この頃、TikTokが普及しはじめ、私はSNSの世界にのめり込んでいった時代でもある。
SNSはすごい。
情報という情報が毎日掬いきれないほど流れ、私はその中の「エンターテインメント」の部類を今も楽しみ続けている。

修学旅行で吉本のお笑いを見た。
メディアとは違う、生のお笑いを見たのはこれが初めてだった。

トータルテンボスが一番印象に残った。
例の闇営業問題の直前だったこともあり、純粋にお笑いを見れたのはこれが最初で最後であったものの、ここから自分の「舞台で表現したい」という気持ちが昂ったことに間違いは無かったと思っている。

高校生時代

残念なことに、この時代の記憶は殆どない。
以前の記事にも書いたような気がするが
私はこの時学校に行くことができなかったのである。

いじめによる過度なストレスで高校生活のほとんどの記憶と味覚を失った私は、娯楽というものに触れることができなかった。機械みたいな生活だった。
毎日見る景色は、実家の風景となんとか通えていた塾ばかりで、何を目標としていたのか何を目的として生きているのか分からなかった。
要するにもう死んでもいいと思ったのだ。

けれど唯一触れられたのはラジオだった。
当時、今年M-1の3回戦に進出したコンビ「サンシャイン」の坂田光さんが、GENERATIONSの小森隼さんと一緒にパーソナリティを務めていた番組がある。
「SCHOOL OF LOCK!!」である。
坂田さんが任期を務めたのは1年半と短かったのだが、正直に言えば、いちばんリスナーに勇気と情熱を与えた人だと思う。
今もXでは、「さかたさんに戻ってきてほしい」の声が絶えない。
芸能の道というのは険しい。

でもその道を今も歩んでいるからこそ、伝えた言葉の力は果てしなく大きいのだろう。

今は時々しか聴くことができていないのだが、
今も元気をくれるラジオ番組である。
夢を与えてくれてありがとう、と
その番組に関わる全員にいつか伝えたらと思っている。

お笑いサークルでの活動はもちろん楽しい。
ただ、将来も続けるかどうかはまだ決まっていない。
賞レースにも出たいと思っていたけど
「楽しみたい」というスタンスで入ったので
勧められたとしても、やるかどうかは分からない。
なぜなら
私は私の本当の目標や夢があるから、それを叶えるために今の生活を送っているからだ。
でもやるときは全部やろうと決めているので
「これならできる」と思ったことは
どんどん挑戦していきたいと思っている。

改めて最後に。
清水さん、本当に私たちの繋がりの輪を広げてくれてありがとうございました。
また、戻ってきてください。

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