短編小説『雨の街』

小学生の頃から、私なりの生き方というのは確立されていたと思う。
仮病で早退してひとりで帰っていたとき、海岸沿いのすぐそばで真っ白な毛並みの猫がこちらを見つめていた。

「ともだち、いない?」
猫は尻尾を振る。自分に意思表示をしている。
「じゃあ、ともだちになろう。」
人間、このくらい気楽に友人を作ることができたらいいのに。

そして私は猫に傘をさして、勝手に私はその猫に「レイン」と名付けた。
毎週末はその子の傍で本を読み、時々居眠りしていた。
由来は無い。
ただ、雨が降っていたから。
それだけだった。
スカートを通って、素肌までもがびしょぬれになっても、何も気にしなかった。
防波堤の近くだということもあり、そこまで長居すると「まだちいさいのに
自ら死のうとしているんじゃないか」と思われてしまうので、長くても3時間ほどに収めていた。
最初はあまり甘えない子だった。
ただただ自分を見つめて傍にピタリとくっついているだけ。
黄緑色の瞳は一番星のように輝き、ふと私はその輝きをずっと纏えることができるのならと思った。

「月菜、どこいくの」
「コンビニ」
「こんな夜中に危ないでしょう」
「眠れないんだもん、すぐ帰ってくるから」

学校にも行けない。
環境になじめない。
それに伴う不眠症が私を襲ってから
毎晩毎晩レインに会って、レインが眠ったら帰る生活を繰り返している。
私が求めている最期の理想は
レインとともに逝くことだった。
このときレインと出会ってから、いつの間にか9年の月日が経っていた。

月が輝く日に限って、風はなぜ寒いのだろう。
「にゃぁ」
無邪気なレインの動きは、だんだんゆっくりになっていく。
そのうえで、いつもの場所にこもって保健所に連れていかれないように息をひそめていた。
「レイン、おいで」
瓶にこっそり、母がお味噌汁で使う小魚の煮干しを詰め込んでいつも持っていくのだ。

「やっぱりさ、レインといる時がいちばん幸せだよ」
「にゃぁ?」
「私の、月菜って名前があるでしょう。
 私が生まれた日に、病院の窓の外に菜の花が咲いてたんだって。それが月に照らされてたから、月菜なんだって。……おおかみこどもの雨と雪みたいだよ、お母さんの花も同じような由来なんだって」
「にゃあ」
「分かんないよね。でもね、私が雪で、レインが雨のような、そんな感じがするんだよ。いつかは、別の道を歩くんだからね。」
いつも通りレインの毛並みをたくさんたくさん撫でた。

高校受験が目前に迫ったころ、レインの調子はだんだん悪くなっていた。
一方、私のことでも家庭が荒れに荒れていた。
両親は公立しか認めないという。
でも私が学校に行けない分の学びを取り返すためにどんなに勉強しようと
その経過を認めてはくれず、模試もサボったりした。
私は、毎日毎日レインのもとへと走るしかなかった。私が感じる温もりというのは、レインからしか得られないのだ。
何もかもに対して、急いでいた。

レインは、用水路の隙間にはまった状態で冷たくなっていた。
不合格確定の手ごたえの受験終わりのことであった。

動物はいいなと思った。
餌やすみかは自分たちで見つけ出して、子孫を残したらその子はいつの間にか自立している。喧嘩は長く続かない。
私はどうして人間に生まれたのかなと思った。
細い鳴き声だけが響く。レインはいつの間にか妊娠して、子どもを授かっていた。そもそもレインが雌だったことも分からなかったのに。
もともと衰弱していたし、出産でレインの完全な体力を奪ったのであろう。
子猫は、生まれたてながらレインにそっくりだった。
「ずっと、ずっと、頑張ってくれてありがとうね」

準備をした。
物置から段ボールにガーゼと、幼少期に使ったクッションに、スケッチブックとクレヨンを取り出す。
ぼさぼさの髪はポニーテールにして、制服姿で飛び出す。
段ボールにクッションとガーゼを敷く。
時間をかけて、子猫と、レインの絵を描く。
近くにあった花を集める。
時間はどんどん過ぎる。日はまだ短い。
スマートフォンに連絡が来る。
電源を切る。
その足で、交番へと向かう。

「あら、かわいい猫ちゃん。もしかして……」
「防波堤のそばにいて。放っておけなくて」
「親猫はいた?」
右手に抱えられた、レインを女性の警察官に見せる。
「私の、大切な友達でした。今日受験だったんです。そしたら、その帰りに」
経緯を話すたび、涙は止まらなかった。
「近くに、動物の保護施設があるの。この子猫は預かるわね。ひとまず、お名前とかいろいろ書いてもらうね。」
きっとこれが遺書の代わりになる。
保護施設へ集める手続きの用紙らしきものに、「小泉 月菜」という名前と
住所やら、発見日時とかいろいろなものを書いた。親猫の名前も、そばに記した。
「小泉、レイン?」
「親猫の名前です。友達、よりも、私は家族だと思って。雨の日に出会ったってだけでこの名前を付けたんですけど。」
間をおいて、警察の人は言った。
「この子は、いい名前を付けてもらえて幸せだったと思うわ。もしよかったら、この4匹にも名前を付けてもらえるかな。月菜ちゃんの優しさは、誇りに思ってほしいもの。」
それから時間をかけて、そばで子猫がミルクを飲む姿を見ながら4匹の名前を考えた。
イロハ、ヒナタ、ミライ、カナデ。
響きが良くて、レインと同じ三文字を受け継いだ。

右手に抱かれたレインは、いつの間にか静かに冷たくなりつつあった。
「レインと同じ日に死にたい」
レインは、雨の日に出会って、雨の日に迎えられた。

今日の雨はなぜか、心が暖かい、幸せな雨だった。
幸せな雨ってなんだろうか。
今、正解が此処にあった気がした。
「ねえ、レイン。」
「…」
「レインが、私の、大切な友達で、大切な家族で良かった。」
「…」
「私もすぐ、レインの魂に会いに行くよ。レインから、ずっとずっと離れないからね。」

霧が増して、周りは真っ白になる。
私は、ただまっすぐまっすぐ、歩き続ける。
何か聞こえるような、そんな気がするけれど、私はずっとレインの寝顔を見つめ続ける。

イロハ
ヒナタ
ミライ
カナデ

お母さんからのお願いはただ一つ。
しっかり、しっかり、生きていきなさい。













いいなと思ったら応援しよう!